幸せな時代の不幸な遺物

何年か前の話だが、倒産状態の米国子会社の立て直しのために、ちょっと大げさに言えば、一ドルを気にしてオペレーションしていた。崩壊から回復軌道に載せるには、現有の人材の活用以上に、優秀な人材が欲しかったが、増員や昇給は望むべくもなかった。子会社状況報告会という儀式を設定され、毎月帰国して本社に顔を出していた。本社にゆく度に営業部隊の増員を目のあたりにした。その度に不安というより怒りに近いものがこみ上げてきた。このままでは、国内営業は前年度割れした昨年の売上げにすら及ばない結果になるのが目に見えている。昨年は市場需要サイクルの底だったので前年度割れも冷え込んだ市場の故と言い訳が成り立つ。しかし、今年は、かなり回復してきて、ご同業は順調に売上げを伸ばしている。にもかかわらず、営業部隊には売上げを上げるために何をどうするかといった最低限の考すらなかった。
営業部長は以前より承認を得た戦略に基づいて営業部隊の強化策を講じ、営業活動を推進していると主張していた。記憶に残るような会議はなかった会社だが、何かの会議の席で何度か営業部長の戦略とやらを拝聴する羽目になった。何度聞いても、どのような聞き方で聞いても、それは戦略と呼べるようなものではなかった。そこらのオヤジの与太話の方がよほど気が利いていると言いたくなるゴタクだった。
半年ほど前に、役員からその営業部長招聘の話しを聞いた。某大手制御機器メーカの営業畑一筋でキャリアを積まれた方で、営業のプロという触込みだった。営業部長がご経験(実績とは言わない方が無難だろう)からだろうが、自信満々に戦略と称して主張していたのは、大まか次の通りだ。『売上げが上がらないのは、営業マンが客を訪問する回数が少ないからだ。毎日のように訪問して、製品を売る前に自分を売れ。お客さまに可愛がってもられる営業マンじゃなきゃダメだ。可愛がってもらえない営業じゃ注文はとれない。そのためには現有の営業マンでは足りない。営業マンを雇ってくれ。挙句の果てが、トップセールスにはゴルフが欠かせない、そのためにxxxクラブ会員券を会社で買ってくれ。。。』。 営業マンが増えれば、営業マンへのトレーングに加えテリトリ分けや引継ぎに営業部隊内だけでなく、関係部署の工数が割かれる。さらに営業部体内での情報共有に時間が手間隙かかる。その手間隙を補佐するために派遣の女性社員が増える。ああだのこうだの戦略と偉そうに言っていたが、一言で言ってしまえば、人海戦術でルートセールスをやるということに他ならない。
市場需要の変動サイクルをもろに受ける業界なので、需要が落ちたときに必ずどこかで経験者がレイオフされる。おかげで、容易に業界経験者を中途採用できる。ところが経営陣が自分より知識や経験の豊富な中途採用者を雇うと自分たちの立場が脅かされかねないとでも考えていたのだろう、中途採用者は業界知識のあり得ようのない、驚くほど関係のない業界からの人達だった。その多くは業界知識以前の中学理科レベルの知識すら怪しく、もともと烏合の衆だった営業部隊は営業の効率とか生産性どころの話ではなくなり、ほとんど機能不全に陥っていた。
なぜこのようなことが、起こるのか?個々の営業マンの問題ではない。個々の営業マンも営業補佐の女性達も与えられた環境の中で、制限の中で結構忙しく働いている。問題の根源は、上に挙げた戦略?を掲げる営業トップとその掲げられたことくらいまでしか考え得ない経営トップの無知、無能にある。
前任の営業部長は、営業経験はないものの論理的な思考に長けた人で、営業部隊を整然とした効率の上る体制に変革しようとしていた。変革が始まった途端、変革されなければならない機能不全の営業体制を作った田舎の金融機関崩れの経営トップが面白くない。そこでご自身と同じ程度かそれ以下の人材を拾ってきた。拾われて、たとえちゃちな舞台であったとしても、また舞台に上がれると舞い上がって、ああだのうこうだの言っているのがルートセールスの営業部長だ。
経営トップも営業部長も話を聞く限り、今まで、曲がりなりにも戦略と呼べる戦略に接したことがあるとは思えない。彼らが社会に出てビジネスマンとしての実務経験を積んで、基礎的な知識を吸収した時代は、戦略などというものを必要としなかった時代だった。もはや戦後ではないといわれた頃、主に米国からだが、新しい技術と製造設備が導入され、製造業の生産性が急速に向上し、同時に日本経済が毎年右肩上がりしかありえないようなかたちで拡大していった。単純な拡大再生産の時代だ。やることははっきりしている。やり方の工夫もそこそこにしておいて(ろくに考えもせずに)、やっていることの数を増やし、規模を拡大すればよかった。新しい製造設備、技術によって製造現場の生産性は上がった。技術、製造部隊が主役で、ホワイトカラーは技術部隊のパシリでよかった時代だ。営業などのホワイトカラーが生み出す付加価値などということが考えられる時代でもなかった。ゆけゆけどんどんといった幸せな時代だった。そこにずっぽり浸かって、何でもかんでも手を出して、規模の拡大以外しか経験することのできなかった“幸せな人達”がいる。この経験で得た知識以外の知識をほとんど持たない彼らに、規模の単純拡大ではなく、限られたリソースをどこに優先的に割り振って、どう生産性を向上し、ビジネスを推進し拡大してゆくのかという、最低限のなんとか戦略と呼べるようなレベルのものであっても戦略と呼べる戦略を求めること自体に無理がある。象に空を飛べと言っているようなものだ。空を飛べるダンボは漫画の世界にしかいない。
この間違いが日本の労働生産性が何時まで経っても改善されない原因だ。まさか、労働生産性が上がらない理由を勤勉な労働者の働きが悪いからなどと主張する馬鹿もいないと思っていたら、そうでもなさそうだ。情けない。
2013/4/14