現場主義

ピザのデリバリーの店を問題提起の仮説に使わせて頂く。この仮説からいくつかの問題提起があるのだが、今回はトップの現場主義に言及させて頂く。ピザのデリバリーの店を調査したわけでもないので実情とかけ離れているかもしれない。問題提起のために仮設として使わせて頂くだけなのでご容赦頂きたい。
ここにピザのデリバリーの店があったとする。デリバリーに出る人は合計三人。主任と、そこそこの経験のある人が一人、新人が一人。今晩は大雨でできれば誰もデリバリーに出たくないと思っている。「そこへ、今晩の初デリバリーの注文が入った。誰が一番先にデリバリーにでるか?」という質問を三十人以上にさせて頂いた。返ってきた答えで一番多かったのは、「新人」だった。似たような仕事の仕方が一般的だからだろうと想像している。なかには、「新人が行くケースが多いだろうけど、本当は主任が一番先に行くべきだと思う」いう回答もあった。リーダシップ論の延長線で考えれば、後者の答えが正しいことになるし、そう思っていた。
ところが米国でお世話になった公認会計士に同じ質問をしたら、違う答えが、なぜそうなのかという納得のゆく説明も付いて返ってきた。正直自分の考えの至らなさが恥ずかしかった。答えは、「そこそこ経験のある人が行く。大雨なので事故が起きるかもしれない。そのため、主任は一番経験のある自分が行きたいと思うだろう。しかし、もし、主任が事故にあうと、その後の処理をする責任のある立場の人間がいない状態になりかねない。で、主任としては店を守る側に回って、そこそこ経験のある人にデリバリーを任せることにする。」この米国人と同じ回答をした日本人は一人だけだった。
新人が行くのか、あるいはそこそこ経験のある人が行くのかという、この二通りの考えというか理解の違いは何に由来しているのかをしばらく考えていた。
色々な視点もあるし、所属する社会集団の違いによる得られる経験の違い由来する理解の違いもあるだろう。しかし、違いを生み出した最も大きな理由は、大きい、小さいにかかわらず社会の、組織の根幹を支える指導者−リーダと呼ぶべきなのか適当な名称が思い浮かばないのだが−この立場にいる人の社会や組織に対する責任についての本質的な考え方の違いだろう。
しばしば、そこには日本人がリーダに求めがちな感傷的なヒロイズムが根底としてあるように思えてならない。このヒロイズムがしばし安易な現場主義を生み出す。ヒロイズムの典型として双眼鏡を首に掛け旗艦の先端に立つ東郷元帥や山本五十六元帥の写真や絵がある。能力のある、それも実務能力のあるリーダであればあるほど、自らが現場に出て処理したい誘惑にかられる。もし、それをすれば、局地戦の処理(だけ)は間違いなくできるだろう、しかし大局を見ることが難しくなるというより、ほとんど不可能になる。
参謀本部の中枢が一局地戦の処理のために参謀本部を留守にしたらどうなるか想像がつくだろう。しばし現場主義という美名?のもとに経営トップ自らが局地戦から局地戦を巡回するようなことが称賛されている。本当にそうなのか?経営トップの思い入れがある特定のことに集中して現象として起きていることに過ぎないのではないか?そもそも経営トップを支える部隊を全て引き連れて巡回する訳でもないだろうから、出先では経営トップは自らの支援部隊のサポートが得られない。
出過ぎれば必然として経営トップ自らのパーフォーマンスの低下を招く。情報化の時代と言われても、本拠にいてのサポート部隊も含めての処理能力と現地に出ての処理能力では歴然とした差があるはずだ。起きうるかもしれない状況を想定した上で、自らの責任を果たすべく合理的に考えれば、自ら処理してしまいたいという誘惑を断ち切ってでも、現場は信任できる人に任せざるを得ない。自分でできることを自分でやっていてトップが務まるのであれば苦労はない。これでは一担当者に堕する危険性すらある。
現場という戦場を全く知ろうとしない、関心すら持たない経営トップは論外だが、現場主義のスタンドプレーに酔っているような経営トップもただバランスを欠いているだけに過ぎない可能性の方が高い。
本部に強力なサポート部隊を構築し、現場の状況をつぶさにトップに上げてくる組織体やその文化を作り上げるのが本来のトップの責務ではないのか?それもせずに、現場を回ってというのは、その組織なり文化を作る能力はありませんって、トップとしての己の力量の不足を証明しているようすらに見える。まんざら穿ち過ぎとも思えないのだが。話題を振りまけば事足りる情報誌や経済誌が持ち上げる現場主義の経営トップ、スタンドプレーなしではトップとしての恰好もつかないだけの三流以下と自らデモンストレーションしているような気までしてくる。
もっとも、もし、本部にいるはずの強力なサポート部隊が実体は単なる茶坊主部隊だったら、茶坊主相手をしているより、現場に出た方が何らかの仕事はできるだろうが、まさかそこまで傷んではいないだろう。もし、近からずも遠からずだったら、先が危ぶまれる。スタンドプレーの先に醜聞が待っている?
2013/4/21