インドマジック

OEM向けの制御機器であれば、日本が強い工作機械など生産設備産業の輸出仕様に特化して、そこそこの事業規模の日本支社もありうるが、技術的に大きく遅れたエンドユーザ市場向けの製品だったため、日本支社の売上は中国支社の売上の数パーセントしかなかった。インド支社は、一桁以上も違う売上を誇っていた。
超大重厚産業の時代ではなくなったことがはっきりしている日本で、少なくなったの設備投資に日本のご同業が群がっている。全ての点で遅れをとった外資にはよほどのこと、何か特殊な条件のプロジェクトしか回ってこない。日本の企業との合弁という特殊な環境に置かれてはいたが、短期の財務の視点しかない経営陣の目には日本はあってもなくても大勢には影響のない存在になっていた。経営陣の目は、大きな売上を占める中国とインドに注がれていた。
中国とインドの成長なくしては、経営が成り立たなかった。中国あるいはインドの数字が大きく落ち込めば、米国本社の経営陣の更迭になりかねない。米国本社の経営陣の両国への依存度が高くなるに従って、微妙な関係になっていった。毎年のビジネスプランで米国本社は中国とインド支社に対して、大きな神風でも吹かない限り、現実離れしているとしか言えない成長を要求した。当然の結果として、神風のような何かがない年は、計画した売上数字に達しない。米国本社の経営陣は、はなから達成できなくてもいいと思っていた。達成できなかったとしても目の届かない高さにある数字に向けて現地にプレッシャーをかけ続ければ、到達できる高さを高くできると信じていた。
長期低落の速度を遅くするくらいの能力と権限しかない日本支社には、中国とインドの産業成長基盤が羨ましかった。市場がどんどん大きくなるので、放っておいては言い過ぎとしても、毎年の自然成長だけでも日本市場の数倍が積み上がる。ミーティングで会った時の中国とインドの現地マネージメントの自信に満ちた、勝ち誇ったような言動、こっちの僻みからではないと断言できる、横柄に見える態度にしばしうんざりした。好きになれない後味を残す人達だった。
数ヶ月経って、中国のカントリーマネージャーが突然退職した。聞きもしないのに中国の知り合いから転職先の連絡がきた。なぜ連絡してきたのか分からないが、それ以上になぜそんなところに転職したのか分からかい。数ヶ月前の自信満々の横柄な態度は一体なんだったのか。同業の成長に比べれば恥ずかしいレベルででしかないにしても、米国の事業体部内では他を抜きん出た成長を記録してきたし、これからも成長を期待される国のカントリーマネージャージャーが何故突然辞めたのか?辞めたのか、辞めざるを得なかったのか、辞めさせられたのかは分からかい。成長市場だけにノルマも厳しかっただろうし、毎年半分近くの従業員が入れ替わる支社のマネージメントがどのようなものかの想像もつく。
インド支社は当時数年に渡って奇形的?な売上体質−上司にインドを見習えとすら言われた−を誇っていた。毎四半期、最後のひと月になるまでは売上がほとんどないにもかかわらず、最終月にたまげる量の受注と出荷を繰り返していた。産業用制御機器ビジネス(多分、一般的にもビジネス)の世界にいる者なら、誰が見ても、なんか変と思うはずなのだが、優秀なビジネスリーダーに率いられた、あのコングロマリットでは“変”ではなく“すごい”になっていた。
そのコングロマリットでは四半期ごとにインテグリティのトレーニング?確認が繰り返されていた。当然、四半期の期末に代理店への押し込み販売は禁止されていた。売上に計上するには、期末日までに代理店か顧客に納品され、受領書が必要だった。何年も続いたインドの“すごい”のネタがある日、割れた。客の注文書も運送会社の送付状も受領書も、売上計上に必要なものは、以前に使ったものをコピーし、手書きで書き直されたものが使われていた。
売上数字がノルマ(敢えてノルマと近代的な言い方をさせて頂く)に達しないと簡単に解雇される企業文化が、上位下達のインド社会で“すごい”手品を生み出す遠因となった。インド支社の社長から営業マン全員が解雇されたのは聞いたが、会計監査をしてきた本社の経理部門、“すごい”手品に感動していた明き盲−はっきり言ってしまえば任に能わず−の社長以下の経営陣の責任問題になったとは聞いていない。
以前に使った伝票を手書きで書き換えるという偽造というにはあまりに稚拙過ぎる、インド支社が勝手に監査法人を選べるような管理の甘いコングロマリットでもない。勝手な憶測の域をでないのだが、状況をフツーの目でみれば、監査法人(現地も本社も)もコングロマリットの本社経理部隊も経営トップもインドマジックのタネを知らなかったはずがない、と考えるのが順当だろう。一四半期の一回だけでなく、数年に渡って四半期毎に同じインドマジックを見せられて、“すごい“と感動する”優秀な“ビジネスリーダーもいないとは言えないが、決算の全プロセスに関与した、それぞれその道の”プロ“であるはずの全員がいつも”すごい“はないだろう。
ある大きさ以上の数字がないと、インド支社の経営陣は困る。解雇される可能性も十分ある。それでも高度成長を続けているインド、仕事はいくらでも見つけられるだろう。インド支社の経営陣が困る以上に、多分、米国の事業部の経営陣の方が困っただろう。おそらく、彼らも最初はインドマジックに感動した。ただ、二度三度と見てもタネに気が付かいないほど馬鹿じゃない。タネを知った上で、自分達の延命にために意識して軽い中毒をおこし、インドマジックを再演させ続けた。いつまでもマジックは続けられないのは分かっている。かぶりつきの席を専有して、自分達(のみ)の延命を図ってきたが、ここまでという限界に達した時点で自分達の延命のためにマジシャンを切った。彼らは、あのコングロマリットでは有能なビジネスリーダーということになるのだろう。