トラブルを楽しむ

マーケティングのトップとして、個々の製品のマーケティング(市場の理解と開拓)業務は、部内のそれぞれの製品担当者に、また製品マニュアルなど日本語資料はマーケティングコミュニケーション部隊に任せていた。マーケティングの個々の製品担当者がリーダーとなって営業部隊とその先の代理店やエンジニアリングパートナーを組織化して、市場理解と市場開拓のプログラムを立案し遂行してゆく体制だった。
日常業務は、個々の製品担当者とその関係者に、営業上のことは営業部隊に、技術的な問題は技術部隊にというかたちで任せて、日々の個々の課題や問題に必要以上に踏み込まないように注意していた。注意していたと言えば聞こえがいいが、踏み込もうにもそのキャパが、手がたりない状態だった。あまりに、毎日毎日、社内外から、営業マンや技術陣、物流部隊、代理店からエンジニアリングパートナー、エンドユーザ。。。から何らかの問題、しばしそのくらい担当ベースで処理できないかと苦言を言わざるを得ない話が持ち込まれた。冗談半分に、“パチンコ台の一番下の穴だから、どこにも落ちない、誰もとろうとしない球=問題はここに落ちてくる。代紋背負ってる以上逃げるわけにもゆかない。落ちてくれば必ず対処する。全ての関係者の立場や利害を考慮して対処はするが、関係者全員がハッピーとなる解決ばかりじゃない”と言っていた。
言ってはいたが、もうちょっと現場担当レベルで処理ができないものか、しっかりしてくれというのが本音だった。特に営業部隊では誰も彼もが、自分と自分に密接に関係する小集団の業務効率−表面上の好成績を求めてだろうが、面倒なこと、あるいは面倒な状況になってしまったものを、即他部署に押し付けて自分(達)はきちんと業務を遂行していますという体裁を整えていた。
頭の乱視で“上”と“都合のいい事”しか見えない営業トップは、自身が問題を整理、理解して対策を決める能力に著しく欠けていたこともあって、問題を持ち込まれる、あるいは相談されると、あらためて己の無能を実証しかねない。そのためだろうが、問題に対する対処を相談にでも行こうものなら、相談にきた担当者が詰問されるのが落ちだった。彼は、ああだのこうだの苦言も呈することもなく、一見スムーズに、業務を流しているに過ぎない、“見栄え“のよい体裁をうまく整え、あたかも涼しい顔をしてアイススケートでもしているような人材を高く評価していた。
一方、技術部隊のトップは、豊富な知識と人としての鷹揚さで頼りになるかと勘違いしてしまうのだが、話はできても対策として何をするかを決められない人だった。決まったかと思っても、一向に実施に移らない。あまりにも動かないので“不動大明”いう過分なニックネームを献上した。
この、狡さにかけては優秀な営業と動かない技術のトップだからたまらない、本来、営業部内で、あるいは技術部内で処理されるべき問題や課題、営業として、あるいは技術部隊としての米国本社の担当事業部の関係者とのやり合いまで、英語が不得意だからという常套句の逃げ口上でこっちに押し付けられた。問題は英語である以前の最低限の知識と能力だが、それ以上に広い意味での人としての責任感の欠如だった。
問題や障害ごとに行きがかり含めた経緯も違うし、解決に必要とする能力も、その能力を持った人も違ってくる。全てができる人はいない。問題を解決するために、誰がどのような能力を持っているのか、額面ではなく実質としてどこまでなら任せられのかが重要になる。問題を解決すべく、部内の信頼できる同僚に任せられるものは任せてから社内を駆けまわる。社内で事足りなければ、パートナーや知り合いに相談することになる。障害も問題も今までの経験や持てる知識の範疇に限って起こる訳じゃない。何時も新鮮な障害と問題に遭遇し、それを解決する過程で自分も部隊のなかの意識ある一握りの人も持てる能力の限界を知るとともにその限界を広げる作業をし続けた。し続け、成長してゆくなかでやってきたことにもとづいた自信と自負が生まれていった。ただ、残念ながら一握りの人達だった。
渦中にいたときは、“戦場は五里霧中“の言い草の通りで、面倒になると他部署が逃げて、こっちが後始末に右往左往して毎日がバタバタを過ぎてゆくだけだった。しばしば自分が率いる部隊から造反が起きた。なぜ代理店、エンジニアリングパートナーも含めた営業部隊がごちゃごちゃにしてしまったものをマーケティングが後始末しなければならないのか?フェアじゃなさ過ぎる。当然の疑問で、的を射た苦言だった。自分に言い聞かせるのが半分の感じだったが、部隊に言い続けた。”能力がなくて、できないヤツにやれと言っても、しようとする意思がないヤツにやれと言っても問題は解決しない。解決しないどころか、問題の火の手を見れば、どこがやるのかと言い合っている時間的な余裕がない。たとえ些細な効果しかないにしても、できるヤツが、まず火の手を抑える手を打ちながら、一日も早く本格的な消化作業にとりかかる算段をするしかない。完璧に問題を可決できないかもしれないが、状況は、どう見たって俺たちがやるしかないだろう。大変だ〜、どうしようと大騒ぎしながら、大騒ぎを、問題をできるだけ楽しむようにしようや、何が起きたとしても地球の最後でもあるまし。俺たちならなんとかなるし、なんとでもなる。忘れてもらっちゃ困る。俺たちは日本で働いてはいるが、米国本社の製品事業部の出先の人間で、給与他のコストは日本支社ではなく事業部が負担している。日本支社の体たらくとその限界のなかで安穏としている訳には行かない。背負ってる、背負わされている代紋の重さを考えろ。“
Job Responsibility=分掌というのから見れば、明らかに越権かボランティアになっていた。それを耐え難い不合理な負荷と捉えるのか、Job Responsibilityの枠を超えて経験、勉強させて頂く機会を頂戴したと考えるかは個人の志向次第だろう。もっとも、管理規定の適用が緩かった時代、組織だから許されたことに過ぎないかもしれないが。
20年も経って振り返ってみたら、越権かボランティアをしてた人達は転職する気になればできるという感じで転職しているのが結構いる。問題を放り投げた営業部隊にはレイオフされたあと、職が見つからないままでいるのが何人もいる。当然の結果だろう。