電話は憚れる

植物生理の実験、研究用の、さらにその先の植物工場で使用するLEDの照明を販売していたことがある。顧客も顧客の知識レベルも両極端に分かれていて、一方に大学などの研究者、もう一方に植物工場ビジネスに異業種から参入してきた製造業の方々がいらした。
展示会も頻繁に開かれているし、結構な数の関連学会もある。学会の会員にもなっているし、先生方の名簿もある。植物工場ともなれば、植物生理に精通していて植物の光応答に踏み込んだ環境を作り上げているのかと思いきや、そこまで踏み込む企業は希だった。コスト優先の市場で受注したとしても薄利を免れない。薄利の過当競争から一歩引いて利益を確保できる特殊用途−植物生理の実験、研究用の照明に活路を見出さざるを得くなった。この市場では先生方の信頼とご贔屓がビジネスの成り立ちを大きく左右する。
ベンチャー企業ながら業界での知名度は驚くほど高い。それでも存じ上げてくださっている先生方はほんの一握りにすぎない。考えようによってはまだまだ成長の余地があるという嬉しいことなのだが、まだ存じ上げて頂いていない先生方にどのようにして知って頂けるかが最初の関門になる。
半年以上試行錯誤して、従来の類似品からは想像もできない性能の製品ができあがった。価格もそれまで業界の常識を大きく塗り替えるものだった。いくつかの学会の名簿から可能性のある先生方と研究者をリストアップして、発売記念キャンペーンとしてご紹介のメールを配信させて頂いた。こんな照明をと探していた先生方からは即引き合い、注文が入ってきたが、非常に限られたケースだった。嬉しい悲鳴があがるような反応がないのは予想通りだが、それにしても反応が少なすぎる。
どうしたものかと思案しながら、まず存じ上げている先生方に電話をさし上げた。先のメールでご紹介した。。。ご覧頂けましたでしょうか?と聞いたら、ほとんどの先生から、何それ、その類のメールは見ないで捨てることにしているとのことだった。面識のない先生方に恐る恐る電話してみた。暇なのか、お人柄なのか、あるいは偶然ご機嫌がよかっただけなのかもしれないが数名の先生とはお話させて頂けることもあった。ただ、これは非常に希なケースで、多くの先生方から、このような電話はしてくるなと窘められた。
懇意にしてくださっていた先生に電話でのコンタクトについて聞いたら、同じこと−電話を入れるのは逆効果しかない。電話は今している作業を中断させる、割り込みになるので余程のことでもない限りしないようにとのことだった。
米国のコングロマリットの日本支社にいたときに、投資なんとかという類の会社からしょっちゅう直通電話が入ってきて往生したことがある。社内の誰かか外注業者から事業体の主要従業員の固定電話と携帯電話の番号が名簿屋に抜けて、そこからからあぶなっかしい業界に渡ったのだろう。名簿が売られる度に、新たなあぶない投資会社から電話がかかってくる。部下の一人がきつい調子で、個人情報を入手して。。。と苦言を呈したら、頻繁な嫌がらせ電話がかかってくるようになって、電話番号を変えなければならない羽目に陥った。煩い、即切ってしまいたい電話であってもそれなりの対応をしないと代紋に傷が付く。で、かかってくる度に、そこそこ丁寧にお話させて頂いた。残念なことに、こちらの丁寧さの意味が分かるような知的レベルの相手じゃなかった。中には可能性があるともで思ってのことか何度も電話してくる痴れ者すらいた。
突然の電話で嬉しいことがあった記憶はない。いくつもある、しなければならないことに優先順位をつけて時間との競争のようなかたちで仕事を進めている。事務所にいる間ずーっと緊張した状態でいるわけではない。かなり面倒な作業を抱えて何日も作業をしている時もあれば、一息ついてということもある。メリハリのある、生産性の高い、付加価値の高い仕事をしようと思えば、仕事の仕方もペースも仕事をする人が決めるのが鉄則になる。相手や状況に振り回されてバタバタしているようでは仕事にならない。
そこに、全く関係のない電話が入れば、それは邪魔以外のものではない。たとえ仕事で関係した内容であったとしても、緊急を要する場合、メールによる意思疎通を試みて、この先はメールでは無理ということで電話、あるいは電話会議になる。お互いに物理的に離れたところにいる人達の間での情報交換や意思疎通の主要手段が電話やFaxからメールになって久しい。メールであれば、文章で説明できるし、添付資料として回路図でも概観図、写真でもなんでも送れる。
ところがこれほどまでに便利になったメールを使わずに、即電話してくる人達がいる。まずメールで検討資料なりなんなりを送ってからの電話ならいざしらず、何もなしで電話を入れてくる。電話会議を設定しての電話ではないから、何名もいる関係者のうちの一人としか話ができない。話のリレーゲームではないが、関係者が複数いれば、必然的に話がずれる。電話の割り込みを受けた側の生産性は低下する。人の生産性を害してまでの緊急性のある要件、即電話というものがどれほどの頻度であるのだろう。メールを使わずに電話で済ませようとする人達をみていると、なぜ電話で、なぜメールしないのかの理由がいくつか見えてくる。 まず、最初の可能性。文章に記録として残るのを避けるために電話にする。きつい言い方をすれば、ごまかそうとしての電話ということになる。 つぎの可能性は、まともに対外文章を書く能力がないか、その能力が非常に低い。軽い文盲に近い。 最後の可能性は、暇なので知り合いで電話してダラ話をしたいという、問題外の人達。 理由としてはこんなところだろう。
電話をする前に、電話をすれば、忙しい相手の作業なり思考なりを中断させることになることを思ってからにした方がいい。相手の迷惑も考えることなく、電話を入れば、その時点で少なくともビジネスマンとしては失格だ。ましてや、考えの整理もついてないまま要を得ない電話では、社会人としての常識と知能レベルすら疑われる。
2013/2/17