米国の合理性(改版1)

債務超過と人心の荒れで崩壊状態にある米国子会社の立て直しを請け負った。傭兵稼業の常で、即仕事で結果をださなければならない。状況を知れば知るほど最短でも三年、下手すると五年はかかるだろうと雇用主には伝えた。表面的には分かったような顔をしても納得などしっこない。一日も早く改善の兆候だけでも見せて、まずは負けない戦に持ち込まないと傭兵家業がなりたたない。
家族を連れての米国駐在生活に入った。仕事での抜き差しならない状態にあっても、私生活−家族の日常生活と子供の学校が落ち着くまでは、どうしても家事に時間をとられる。私生活の安定があってはじめて仕事に集中し得るという、当たり前のこと痛感させられた。家のことは、もしかしたらダメだろうなとは思いつつ、任せられることはできるだけ女房に任せた。
女房が子供を連れて毎日まいにち日常生活の基盤作りに走り回った。当然のこととして女房が使うクレジットカードの支払いが毎月かなりの額になった。日本で発行されたクレジットカードを使えば、支払いの度に円−ドルの為替手数料が別途かかる。日本で発行されたクレジットカードには米国クレジットカード屋の名前が付いている。付いているので、日本でのクレジットレコード(使用実績とそこから生まれた信用?)から米国でもその系列カードを取れると想像していたが甘かった。日本で発行されたクレジットカードのクレジットレコードは日本のもので、米国ではリファレンスにしてもらえない。そのため、米国ではクレジットレコードなし=信用なしという判断になり、クレジットカードを発行してもらえない。米国で発行されたクレジットカードを持っていないから、米国でクレジットレコードが残らない。残らないから信用がつかず、クレジットカードを発行してもらえないという悪循環だ。
そんなかで日本の航空会社が運営している米国のクレジットカード屋を女房が見つけてきた。駐在員など支払いの心配はまずないが、米国でのクレジットレコードがないために米国のクレジットカードを取れない人たちに発行されるものだった。このカードのお陰で米国でのクレジットレコードが残るようになった。
半年以上経った頃だったと記憶しているが、アメリカン・エキスプレスから女房に電話がかかって来た。英語での話でよく分からないので電話を亭主にということで代わった。アメリカン・エキスプレスが女房にクレジットカードを発行したいと言ってきた。女房のビザは亭主の駐在についてくるものだったので、合法的には労働もできないし、労働の対価としての収入はありようがない。無収入のうえ、Social Security(厚生年金のようなもの)も持っていない。自分では銀行に口座も開けない。。。ことを電話で伝え、カード発行の可能性はあるのかと聞いた。大丈夫、Social Securityがなくても、IDとしてパスポートはあるだろう、まず、アプリケーションを郵送するから記入して送り返してくれとのことだった。
数社のクレジットカードからクレジットレコードがない、居住期間が短すぎる。。。でカードを発行してもらえず、不自由していたところへの電話だったので、本当かよ?というのが正直なところだった。
収入もないしSocial Securityもない、まず常識的に考えて可能性はない(と思っていた)。それでも、ダメ元じゃないか。どうなるか分からないけど面白い、試してみよう、遊んでみようということで、女房が届いたアプリケーションに記入して送り返した。
数週間後、アメリカン・エキスプレスから自宅の女房に電話が入った。女房が英語なので細かなことが分からないと伝えたら、アメリカン・エキスプレスが出張で日本に戻っていたオヤジに電話してきて、女房とオヤジ、そしてアメリカン・エキスプレスの三者での電話会議をしたいと言ってきた。要は細かな本人しか知らないような内容(アプリケーションに書かれた内容)を使って本人確認をしたいだけだった。これならグリーンのカードくらいもらえるかもしれないと思っていたら、数週間後に、たまげたことにやたらに色々な特典のついたゴールドカードが女房に届いた。オヤジには同じゴールドカードでもファミリーカードだった。
これには驚きを通り越して、さすがに米国、一本とられた気がした。ちょっと考えてみれば当たり前ことに過ぎない。クレジットカードを発行する側からすれば、できるだけ大きな支払い能力があって、毎月その支払い能力の限界に近いところまで使って、ちゃんと支払ってくれる人を客として掴みたい。ただそれだけだ。支払い能力の裏付けが、米国での労働に対する対価として得られる収入なのか、それともどこからか出てくるものなのかは関係ない。 Social Securityを持っていようがいまいが、ワーキングビザを持っていようがいまいが関係ない。不法滞在のような法に触れることでも無い限り誰でもいい。国籍がどこでも、白くても黒くても、どんな宗教であってもかまわない。手が一本なかろうが、目が不自由だろうが。。。一切関係ない。あるのはいい客であり得るか?だけの一点になる。
発行したクレジットカードでそれなりの額を使ってくれなければ、いくら高給取りでも資産家でもカード会社にとってはなんの意味もない。オヤジはたいして使わないからファミリーカードで十分。メインのカードはよく使う女房に発行ということになる。実に合理的判断と言わざるを得ない。
日本のクレジットカード会社に“収入なし”、IDは運転免許でカードの発行を申し込んだら、どうなるだろう。米国のアメリカン・エキスプレスと似たような判断をするだろうか。ここで”米国の“と断り書きをしたが、この断り書き、多分正しいだろう。
仕事でも私生活でも本来キーにすべき判断事項に気が付かず、決められた項目を何の疑いもなく、ただ漫然と判断項目として使いっているんじゃないかと心配になる。ちょっと見渡すと、お役所は言うにおよばず民間企業でも何を気にして?というのが多い。いいとこ“何を気にして”程度の形式だけに過ぎないことが多すぎて、あえて何を判断項目として。。。と言う気にもなれない。機械的な処理に忙殺されているのだろうが、ときには一歩後ろに下がって、これでいいのかと見なおしてみた方がいい。
2014/12/14