迷宮都市の廃墟で探し物

傭兵家業で会社を渡り歩いていると、常識では信じられないことに遭遇する。どこにいっても、たまげることに一つや二つはあるが、そこまでいくと、もう会社として成り立たないのではないかというのがある。

遊牧民でも探検家でも、必ず何らかの目的を持って移動する。求めるものが放牧地だったり、食料や塩、貴金属などの交易品のこともある。どこにゆけば、xxxを手に入れられるはずと分かっている。行けばxxxを得られると分かっていても、xxxの価値が行くためのコストに見合ったものでなければ、行こうとしない。ましてや、行っても期待するものがあるかないか分からないところに行こうとはしない。これは人間の行動に限られたことでなく広く生物全般に見られるから、生物が生きてゆく上で基本的な判断基準だろう。

傭兵家業、会社の現状に埋没はできない。できるだけ早く立て直しのかたちを見せなければならない。どこでも、状況把握から始めるのだが、あって当たり前の資料が見つからない。砂漠で銭湯のような、ありっこない探しものではない。資料は、昔は紙ベースだったが、今では多くの場合サーバ内の特定のフォルダ内に保管されている。個人の資料ではなく、会社の資料なので管理されているはずなのだが、サーバ内は、廃墟と化したアラブの迷宮都市のような状態で、どこをどう探せばいいのか見当もつかない。

当初は何らかの考えに基づいて作られたのだろうが、ある時を境にメンテナンスをしなくなったのだろう。当時の都市計画の跡が見えるが、時間が止まったところに鳥が住み着いたような一角があって、そこには現行製品の資料がないことはないが、あるべきものがほとんどがない。都市の崩壊とともに、そこに集いメンテナンスしてゆかなければならない住人たちが各自のPCへ逃避した。
崩壊が進めば逃避が加速する。逃避が始まれば崩壊も加速する。負の連鎖が一度始まると、それを留められるのは管理職なのだが、その管理職にして会社としての資料管理の考えがなければ止めようもない。中には個人のPCへの逃避のきっかけをつくったのが「由らしむべし知らしむべからず」の新任の管理職だったというのすらある。あっという間に歴史を伝える資料が放置された廃墟になる。

迷宮都市の廃墟で道に迷って、あって当たり前の資料が見つからない。廃墟になる前を知っているベテラン社員に、これこれを探しているのだがと助けを求める。運が良ければ、自分のオアシス(PC)をちょっと探して、探していた資料を引っ張り出してくれる。誰もが社の資料が管理されているはずの迷宮都市の廃墟には頼れないから、各自が個人のPC内で資料を管理している。この資料を持っているか持っていないかが、業務を遂行する際に必要な知識を持っているか持っていないかの違い―日本人の好きな差別化を生む。

運が悪ければ、二通りのアドバイスのいずれかを頂戴することになる。「そんな資料、あったかな、ないと思うよ」と無碍もないもの。「その類に資料なら、xxx当たりにあるかもしれない」と迷宮都市の郊外のもう一つの迷宮都市の存在を知らされる。いずれのアドバイスからも、もしなければ社として問題になる資料があるのかないのかわからない。社の体制に頼れないから、誰もが一匹狼のような仕事の仕方になる。これはと思う資料やデータが個人資産になって、何か特別な理由でもなければ、同僚と共有しようとはしない。

探すと言っても、あって当たり前のものを探すというのは、探しているものが「どこ」にあるのかを探すのであって、あるのかないのか分からないものを探すのはちょっと意味が違う。事件を解明する手がかりが何かないかと家宅捜査する訳じゃあるまいし、あって当たり前にもかかわらず、ないかもしれないものがどこかにあるかもしれないという物探しは困る。散々時間をかけた挙句が、あるべきものがないという事実を確認したということになりかねない。

あるとき、いくら探しても操作説明書が見つからなかった。販売停止した昔の製品ではなく、今販売している製品の操作説明書がない。Operators’ manualは見つけたが、書かれていたのは製品の仕様で、操作とその手順が書かれていない。存在しないものを探していた。ドイツの会社ではよくある話で、いいんだかよくないんだか、そんなことに慣れてしまって、またかで驚きゃしない。

製品を販売したら、製品仕様が書かれたOpeators’ manualを持って行って、客の作業者に操作手順を口述伝承のように口頭で説明してよしとしてきたのだろう。万が一、客の作業者が変わったら、先輩の作業者から後任の作業者に操作方法が口述伝承される。数回繰り返せば、間違いなく伝えられた内容が元の内容からずれる。ずれても、実用上差し支えなければいいじゃないかという主張もあるだろうが、十九世紀でもあるまいし、この類のことはきちんと誤解のないように書類にしておかなければならない。万が一口述伝承の内容がずれて事故にでもなったらどうするつもりなのだろう。

そんなところで、社としてありようを聞いたところで、鬱陶しがられるだけで、何がよくなるわけでもない。迷宮都市の、それも廃墟と化したところの住民にはなりたくない。
2017/1/15