名刺の目的(改版1)

親しい仕事仲間が転職した。理由なんかどうでもいいんだが、転職祝いということで飲みに行った。お互い傭兵稼業のようなことをしてきて、市場開拓や組織づくりは慣れたもの、環境さえ許せばという条件があるにせよ、どこに行ってもなんとでもしてきた。言ってみれば転職族、仕事はするが、そこにいる価値がなければ長居をしようとは思わない。辞めたところで、多少時間はかかっても仕事はある。

ビールで口を潤すまもなく転職先の話になる。入ったばかりで、まだ右も左も分からない状況かと期待していたが、とっくに絵を描き終わっていた。主業務は、上位系コンピュータシステムのシステムコンサル。アプリケーションエンジニアリングで禄を食んでいる会社らしいが、どこにでもある、危なっかしいというのか怪しいエンジニアリング会社にしか聞こえない。いい経験にはなるが、長居をするところじゃない。

日本に本来の意味での上位系コンサルできる会社はなかなかない。そもそも、クライアントが自分たちが何を必要としているのかはっきりしない。クライアントもコンサルもクライアントが必要とする上位系がなんたるやが、はっきりしないままシステム開発を始めてしまうからたまらない。クライアントに開発仕様を明確に規定する能力がないから、どこかで始めてしまわなければ、いつまでたっても始められないという事情がある。

俄か大工の切った張ったの木造建築よろしく、必要になれば釘でパンパンと打ちつけて、いらなければのこぎり持ってきて切って終わりのバタバタが当たり前の人たち。それでも、外資が提供しているプラットフォーム上で出来る範囲での開発仕事、とんでもないハズレは起きない。最後は潰しがいのある若いのが体力勝負で片付けて一件落着。住めないことはないが住みたかない安普請の建売住宅のような業務処理システムができあがる。

ちょっと経ってから、「おい、さっき渡した名刺の肩書を見ろ」。しみじみ見るほどの名刺でもなし、もらってろくに見もせずに名刺入れにしまった。名刺を取り出して見て、なんだこれ。二人で酒の肴にした。日本語も英語も肩書が二つある。ジェネラルマネージャ、担当部長。肩書が二つあるが、何をする人なのかの記載がない。営業なのか、エンジニアリングなのか、経理なのか、人事なのか、何の話をする相手なのか名刺からでは分からない。
裏返して英語の方を見て、「これ、みっともなくて使えないだろう」。General ManagerとDeputy Managerが並んでいる。英語で仕事している人がこの名刺をもらったら、どっちなんだろうと思うより、印刷手配のミスだと思う。それほど初歩的なミスとしか思えない。あまりに基本的なことで、会社組織の思考の欠陥など想像できない。

日本の会社の米国支社にいた時に、かなりの人数の名刺のコピーがメールに添付されて送られてきたことがあった。組織も何度か変更になっているし、海外市場関係の業務に携わる人も増えているので、両面印刷にして裏側に英語表記を加えたい。日本語の記述を英語に訳してみたが、米国支社のネーティブにチェックしてもらえないかと。

翻訳された英語の表記を見て、驚いた。上司に言われて、社内では英語ができると言われていた女性が一所懸命翻訳したのだろう。部署内、部署間の人の上下関係を肩書に反映させたいということなのだろうが、整理しようのない形容詞のようなオマケが肩書についている。部署名が泣かせる。名前のインフレとでもいうのかxxx事業本部などという大層なものから始まって、yyy部、zzz課、aaa係、bbb担当と並んだあとに、やっと意味のよく分からない主任などというご本人の肩書がくる。
中身のない軍人が晴れの席の正装につけている万国旗のような勲章の方がまだいい。ごちゃごちゃあるが、氏名以外は、明日にも変わるかもしれない社内の組織名。狭いスペースにところ狭ましと文字が並んでいるが、肝心の何をする人なのかの記述がない。アプリケーションエンジニアなのか、開発のエンジニアなのか、営業マンなのか、……。

かなり神経をつかって、時間をかけて翻訳して、上司の承認をもらってチェックを依頼してきた。ここに至るまでの努力を思うと、申し訳ないという気持ちがあった。ただ、このまま使うのは恥ずかしいというより、もらった方が肝心のこと――相手が何をする人なのかが分からない名刺は困る。翻訳チェックせずに、勝手に全て書き上げた。書き上げた部署名と肩書、なぜそうするのか、そうしなければならないのかを、そこそこ代紋のある会社の人たちの名刺を例にあげて丁寧に説明した。いくら説明したところで無駄とは思ったが、説明だけはきちんとさせて頂いた。それをどう理解するのか、使うのかは先方のご都合で、こっちがとやかく言っても聞きゃしない。

チェックを依頼してきた女性の上司、顔を潰されたと腹をたてただろう。腹を立てられるのはいいが、なぜ今まで散々お会いした海外の方々の名刺を参考にすることもなく、ただただ、日本語を英語に翻訳しようとしたのか。そもそも名刺の役割を考えたことがあるのか。事業本部から始まって、社内組織構成を箇条書きにしたような名刺。

組織構成はあるが、問題のご本人の職責の記載がない。まるで定型書式の履歴書のように所属する組織名があるが、そこで何をしてきたのかは分からない。名刺をもらう側にしてみれば、名刺を差し出した人の会社の組織構成を細かく知る必要はない。ましてや、その人が所属する組織が部なのか課なのか係なのかなど、何の意味もない。その人の職責さえ分かれば、どのようなことを話せるのか、話したとして理解し得るのかを想像できる。
もっとも何が分かるわけでもなく、何ができるわけでもない、ただの部長や課長というのも多いから、日本の名刺、それを反映しているだけと言えないこともないかもしれない。それにしても、少しは考えた方がいい。

名刺上の記載でもなんでも言えることだろうが、目的がどうのなどと七面倒臭いこと考えずに、今まで通りが一番楽だろう。楽をしたけりゃ、そうしたらいい。そうしていられるのならそうしていればいい。否が応でも、早晩そうしていられなくなるときがくる。そうなら、来た時に考えればいいじゃないかというのも一理ある。禄を食んでいるうちにはこないかもしれないし、面倒にはできるだけ関わり合いたくないというのもごもっとも。ただ、余計なお節介だが、なにかつけ、折にふれて目的を考えてみる習慣は付けておいた方がいい。使いつけない頭、急には使い物にならないから。
2016/10/23