虚勢をはらなければならない人達

毎年お決まりの年初のMarketing主催のKick-off meetingだ。集まった顔ぶれに大きな変化はないように見えるが、毎年少しずつ確実に顔見知りの数が減ってる。他の事業部から回ってくる人はいない。誰かが抜けた後はどうしようもない同業他社から転がり込んできたのが埋めてきたが、抜けたままものことも多い。今更埋めたところで、どうなるわけでもないと感じている人も多い。小手先のごまかしでなんとかなる段階は遠に過ぎた。確かに特殊用途向けだから製品寿命は長いし、変化に時間もかかる。ただ、たとえ特殊とはいえコンピュータをベースとした製品で、もう六〜七年も新製品を開発してこなかったのだから、当たり前と言えば当たり前の事態に陥っていた。事業部の状況を多少なりとも理解し、業界知識をもって先を想像できる人なら、この事業体がどうなるとも思っていない。限られてはいたが、状況を理解している人達の本音の関心事はいったい何時まで持つかのか?と、何時までには別の船に乗り換えなければ危険かだった。
前日の夕食時くらいまでには海外勢と米国各地の支店の面々が次々とホテルにチェックインしてくる。毎年、決まったようにロビーで一年ぶりに再会して、お互いの無事−まだレイオフされてないかった、転職してなかった−を確認し合う。後は、気のあった連中がグループで飲みに出かけてゆく。どこでもここでも、時間があれば、気のあった仲間どうしで、お互いのこの一年のステータスアップデートのような話が繰り返される。たわいのない武勇伝もあるが、話題の多くは市場や競合の状況、知り合いの転職やらなんやらで、直接、間接に仕事に関係したことになる。
米国の製品事業部と近場の支店からの人達は素面で、ホテルに泊まった人達のほとんどが二日酔いのなか、Meetingが始まった。事業部のトップは穏やかなイギリス人でいつものように淡々と事実と今後の計画と説明していた。何も特別なこと、何か引っかかる口調のようなものもなく、会場のほとんどがろくに聞いていない。何もないというのがニュースといえばニュースという情けない事業部だった。
米国の産業構造の変化が社としてその事業部への投資を躊躇させてきた。米国の客が世界の市場をリードしてきた七十年代中頃までは、米国の同業他社と競合するかたちで新技術を搭載した製品を次々と開発してきた。七十年代中頃から米国市場が日本勢に侵食され、八十年代には米国の客が壊滅した。
その後は、米国のベンチャーが開発した製品を取り込んだり、ヨーロッパに合弁子会社を作り、そこの製品を持ち込んだりで余命をつないできた。余命をつなぐパッチワークしかしようのない予算しか取り得ない、そこまでしか考えられなかった経営陣だったとも言える。とは言うものの、よほどのVisionaryによる博打のような戦略がどこにでもあるわけではない。フツーは、フツーの体制でフツーの事業、。。。がフツーででしかない。
聞きようによっては眠くなる事業部トップの誠実なオープニングが終わって、マーケティングのトップへと引き継がれた。事業部の中枢としてのマーケティングの立場からは、本来事業部トップが引いた枠組みの中での話しかしようがないはずなのだが、人一倍の出世欲と狡さだけの茶坊主の語り口に抜かりはない。事業全体からここはという光の見えるようなところだけを取り出して、話を膨らまして皆の聞きたい話に変えて場を明るくしていった。明るくするのはいいが、事業部の置かれた状況は、社内でも市場でもどうにもなるものではないところまできている。それを分かっていて、この場をつくろうためのボラ話をして何になるのかというか。
かつてのように競争相手が米国の会社ではなく、日本の会社になって久しい。米国の競合数社には勝った。勝って米国市場は自分のものだと思っていたら、日本から名前も聞いたことのない煩いすばしっこい小バエのようなのがでてきてあっという間に米国市場の大半を食われてしまった。
真っ直ぐ市場を見れば、誰もが認めなければならい状況がある。日本の競合が米国の常識では考えられない速度で次々と新製品を市場に投入してくる。バイアスなしで見れば、説明に窮しようのない事実がある。事実は事実としてそこにあるもので、好き嫌いの話ではないはずなのだが、好き嫌いからしか始められない人が結構多い。 マーケティングのトップ、最初から、たかが日本の名前も聞いたこともない奴らが持ち込んできたものだ、大したもんであるはずがないとう固定観念がある。バイアスの常で、もともとあったバイアスが年を追うごとにひどくなった。まっすぐだったバイアスが捻れて捩れて怪物のようにまでなってしまっていた。それが茶坊主をしてスーパーマンの役を、どんな窮地にあってもつっぱりだけで弱みを見せないアメリカンヒーロの役を演じさせるまでになっていた。
技術的にも、価格や販売・サービス体制も、全ての点で彼我の差が埋めようがないというより、日本の競合の背中が見えないほど置いてゆかれてしまっていた。それにもかかわらず、節度を逸した口語表現で日本メーカを張り子の虎にたとえ、罵り、自社の枯れた製品の優位性を、営業体系やサービス体制の優位性を会場に問いかける。会場との丁々発止でイカレタ熱気を煽って、もうなにかの決起集会のように会場と一緒になって気勢をあげて彼の話が終わった。
それは、まるで無知な大衆がプロパガンダで生きてきた空威張りのリーダーの扇動に乗ると同じだった。熱意はなきゃならないが、事実を事実として理解もせずに−市場における自社のポジションも分からずにというのでは、扇動にのせられた只の衆愚に過ぎない。
誠実で人としての徳だけでは足りない、常に強くなければリーダー足り得ない。リーダーたるもの弱みは見せられない。虚勢を張ってでも強く見せなければならないという米国の幼児性、まるで小学校の腕白小僧のような精神構造を多くの経営トップが必須のものとしているように思える。このイカレタ精神構造、米国産だけとは思わないが昨今の米国流経営学の蔓延が米国流イカレタ精神構造の感染に一役買っているような気がする。ライン型社会民衆主義の意思決定方式などいう大層な名前を報道関係から頂戴した名誉あるドイツ流無責任合議制が支配した会社でのKick-off meetingは米国企業で経験したものより過激だった。その過激を生み出したのは、多分米国の有名私立大学でMBAをとったフィンランド人のCEOだった。(日本と中国の区別がつかない程度のアジアに関する知識だったのだろう、日本の競合を黄色いペーパードラゴンと呼んでいた。その程度で戦になる訳がない。)
熱意のないところから価値あるものが生まれるとは思わない。熱意は絶対に必要だが、事実を事実として理解せずに、自分の都合のいいように解釈して、その解釈を過激な表現でアピールする。どう考えてまともなリーダーがすることとは思えない。過激さを売り物にするのは映画のなかのCEOだけにしてもらいたい。実ビジネスが求めているのも必要としているのもよく言われるCool headだろう。
もっとも、無能なリーダーができることといえば、洋の東西を問わず三文役者よろしく過激な言動のリーダー役しかないだろうが。
2013/06/09