傭兵稼業 (改定1)

まさか傭兵のような稼業になるとは考えてもみなかった。フツーに学校を卒業して、フツーに就職した。ただ、就職先が構造不況と言われて久しい業界のなかでも遅れをとっていた会社だった。定年までなんとかなどと言う気もなかったが、願ったところで叶うようなところでもなかった。遅かれ早かれどこかで見切りを付けざるを得ない。十年そこそこお世話になって業務上の付き合いはあるが全く違う業界に転職した。最初の会社で得た経験は生きたが、全く違う業界、仕事をしているのか勉強をさせて頂いているのか分からないような生活を送っていた。
そんななかクライアントの一社から声がかかった。今になってみれば、そこで傭兵としての基礎訓練を受けた。アメリカ人の社長からの立ち話で、困っているところがあればどこにでも行く機動隊のような存在になった。問題を抱えて二進も三進も行かなくなっていたこっちの事業部、あっちの事業部。。。の立て直しばかりやらされた。
どこに行っても、なんとかなってるときより手に余る問題を抱えて右往左往していたことの方が多かった。四苦八苦はいつものこと、新製品の開発でも、一事業体の立て直しでも、代理店やパートナーも含めた営業体制の再構築でも、三年もやれば大まかな目処は立つ。なかには十年やっても、まだまだ途に付いたばかりという地点までしか進めないものもあるだろうが、幸か不幸かそこまでしぶといのに遭遇する機会はなかった。
今やっていることの目処が立ちそうだと分かった途端、社内のどこかへと次の話が聞こえてきた。まるで便利屋のように、しばしば複数をかけもちで走り回っていた。幾つもの事業体で走り回っていれば、社外の方々ともお会いする機会が増える。その結果だろうが、社内だけではなく、社外からも相談が持ち込まれた。ただの相談であるうちはよかったが、よそ行きの格好をつけた言葉で言ってはいるが、要は事業の立て直しを受けてもらえないかという話が転がり込んでくるようになった。
渦中にいるときは丁重にお断りしていたが、お聞きすればするほど、あまりの滅茶苦茶さにどうやったらそこまで滅茶苦茶にできるのかに興味を持ってしまったケースや十中八九間違いなく沈没する船を、怖いもの見たさに惹かれて、まあ、また三年もすったもんだしてみるかという調子で頼まれるがままに。。。、気がいついたら傭兵稼業になっていた。
新しい(会社)職場で、何がどうなっているのか?なにがどうしてこうなっているのか?経緯も含めた現状把握を始める。優秀なコンサルあたりになればさっと現状を把握して、差し障りのない万能薬の処方箋を書いて一件落着になるのだろうが、現状把握は請負稼業を終えるまで終わらない。見える問題は、フツーの頭に目と耳がついていれば分かる。多くの場合、問題は見えた問題が問題として直接解決すべき問題でないことにある。よくある話だが、しばしばどっちが原因でどっちが結果なのか、互いに関係していて切りきれない。問題を問題として引き起こしている原因、その原因を生み出している、生み出してきた原因やその環境とその変遷。解決とは行かないにしても、改善のきっかけには出来そうな何か、改善への有効な手はあるのか、あったとしてその手を打てるのか、危険を承知で打ってみるしかないのか、打ったら打ったで副作用の危険は。。。問題の本質を探し当てるために、泥沼の水位を少しでも下げる方策は。。。泥沼に潜り込んでの作業が続く。
傭兵が職場の人達に暖かく迎えられることはない。今までにも鳴り物入りで伝統的な管理職の肩書きで似たような人達が来てはかき回して、いなくなるを何度か繰り返してきたのだろう。今度来たのは?今までのと違って、話し方も話の内容も違うが、どうせバタバタやって、たいした時間もかからない内にいなくなるだろうというのが職場の人達の本音だろう。事実こうして終わった、終わらせたケースもある。戦にならない戦場、戦をする環境を提供して頂けない戦場は早々に放棄させて頂く。お互いに時間の無駄だろうし、一人稼業の傭兵としては意味のないことに精神的体力と知的腕力を消耗するのは避けたい。変な深手を負えば回復に時間がかかる。
傭兵一人で何が出来るわけではない。会社と社員に馴染む努力をする。“皆さんの仕事を楽に、日常業務の負担を軽減して、事業を成長軌道の途に載せるために来た。ご指導とご協力を頂戴したい。”と一所懸命説明したところでまともな反応があることはほとんどない。一部のオープンな人、あるいは現状にうんざりしている人達、このままでは浮かばれない人達、困っている人達に話を聞いて頂けるようになるために平身低頭のお願いから始める。教えて頂く立場だから平身低頭する。この人として当然の腰の低さを人の低さと勘違いする痴れ者には手を焼くことが多いが、人としての生き様にまで関係する平身低頭をやめる気はない。平身低頭までして会社と社員に馴染む努力を繰り返す。フツーの人が傍から見たらかなりの馬鹿としか見えないだろうこと、自分でも分かっている。分かっていても請け負った仕事を遂行するために自分を殺して平身低頭を続ける。自信がなければ平身低頭できないくらいのことに気がつく人は驚くほど少ない。
ただ、傭兵が職場に馴染むと言っても本質的にそれは半分まででしかない。馴染みきって、現状を肯定していたのでは傭兵は務まらない。傭兵の視点は現状の承認でもなければ追認でもない。現状を批判的に見続ける。何も問題がないのであれば、解決しなければならないようなことがないのであれば、傭兵はいらない。周囲の人達のロジックや日常の言動、全てを批判的に見ざるを得ない。常に問題の根源を探す努力をし続ける。一つの根源が消えかかるとその後ろに隠れていたしぶといのが見えてくる。何をしても完璧はありえない。いつまで経っても見えてなかったやっかいなのがでてくる。
少しずつ社員の方々からお話をお伺いできるようになって、バラバラだった点としての情報同士が有機的に線に、そして面に広がってゆく。各人が各人の立場で見える景色で、見たい景色というバイアスのかかった話、しばし保身目的のような話すらお聞きしながら全体像を描いてゆく。お聞きした話の全部が事実ということもないし、全て嘘ということもない。事実もどきとしばし明らかな嘘のごった煮のようなものから全体像を描いてゆく。描いた全体像のどこかに楔を打ち込んで改善の途を切り開くことを試みる。楔を打ち込むところ、打ち込んだ楔が効果を発揮するところを見つけ出せれば、勝てる可能性が見えてくる。
請け負った仕事を遂行するため、試行錯誤しながら楔打ちを試みる。試みようとすると常に違う種類の問題が起きる。解決しなければならない問題を改善するというのは、担当者やその上の管理職や周囲の関係者が今まで十分には仕事をしてこなかった、あるいはさせてこなかった、できる環境を提供してこなかったということを証明することになる。証明されかねないことの責務が複数の部署や何人もの担当者に分散していて、今までの未熟さや拙さが自分の、自分達のせいと感じられないのであればいいのだが、ほとんどの場合、証明するということは誰も目にも問題の根源と責務をはっきりさせることになる。問題が大きく、改善の効果が大きければ大きいほど、その改善をしてこなかった責任の所在が職階層の上位の人達にある。
傭兵がまともに機能すると困る人達がいる。困る人達の多くが役職連中や古参兵?で、ときには傭兵を招聘した役員その人だったり、創業社長だったりということも起きる。極端な場合(往々にしてありがちな)、その人達の社会観から矯正しないことには根本問題を解決し得ないこともある。招聘されて、“来てやった”と傲慢な言い方をする気はさらさらないが、少なくとも“招聘された”傭兵のはずにもかかわらず、多くの人達に疎まれる。
招聘に至るには、多分、万能薬しかない巷のコンサルなどに相談しても一向に改善しないので、知り合いから、知り合いの知り合いあたりから噂を聞かれて招聘してくださったのだろうと想像している。ご自身(達)の社会観(フツーにお考えと言ってもいいが)でしてきたことをしてきたようにし続けて、し続けたのとは違う、身のある改善を手にしたいというのは、もうその時点でご自身の社会観(考え)が崩壊していることを示していることに他ならないのだが、そこまでの考えに至る人、気がつく人はなかなかいない。ちょっと考えれば小学生でも分かることなのだが。今までと同じことを同じようにしていれば、同じような結果しか得られない。自明の理だろう。
現状追認がご希望なら茶坊主を雇えばいい。傭兵の出る幕じゃないと言いたくなることもよく起きる。
運良く大方のケリがついてか、見通しが立ったら傭兵はお役御免。あとは今まで通りの人達が見通しの立ったやり方で工夫をしてゆけば済むことなのだが。傭兵がいなくなったら、かつての既得権益層が、嬉々として傭兵が苦労して矯正したのをまた矯正前に戻す愚を犯す。元の木阿弥の仕事はしたくないが、傭兵にはそれを止める権限はない。後はお好きにとしか言えない。請負仕事が終わればお互い何の関係もない。元の木阿弥となったとしてもこっちには関係のしようがない。ただ、いったい何をしてきたのかという変な自責の念が尾を引く。
映画“七人の侍” の最後シーン−平和が戻った証拠のように百姓が野良仕事の歌を歌いながら田植えをしている−を背にして、侍大将役だった志村喬に黒澤がボソッと言わせた言葉を思い出す。「今度の戦も負け戦だった。勝ったのは百姓だった。」分かってて言わせたのだと思うが、あえて口にする言葉じゃない。それが傭兵稼業というもの。得られるのは、不安がないというと嘘になるが、それでもやってきたという自信、やって行けるという矜持。その矜持があるから明日がある。
2013/9/18