人は命令では動かない

最近パワハラなどという日本語化した英語を頻繁に耳にするようになった。あまりに相手の人権までをも無視した強圧的な言動がパワハラというカタカナ語を持ってしてはじめて認識されるようになった。英語からしか規定しきれないところが寂しいが、認識がないよりはましだ。パワハラという言葉が流行語ではなく定着した感があるので、多少なりとも抑制が働いてパワハラという社会現象は多少減ってはいるだろうと想像している。社会現象として減ってはいるだろうが、パワハラという社会現象が認識されたことから認識される件数は増えていると思う。雑談になるが、これは技術が進歩して検出器の感度が上がったら、今まで検出できなかったレベルのものまでが検出できるようになってというのに似ている。
パワハラ自体は何時の時代にも、どこにでもある。組織が付与した己の権力を振り回したい、権威を誇示したいというのは、かなりのレベルで人間の本能に近いところもものだろうから、これからもなくなることはない。また、パワハラが人間関係のありように関わっているため、これはパワハラ、これはパワハラではないという、いつでもどこでも画一した定義をし得ないところがある。ある社会のある状況の、これこれの時にはパワハラと認定されるが、全く同じと言ってもよいほど似た状況でもそれはパワハラじゃないという認定がくだされることも起きる。認定の基準は受ける側がそれはパワハラだと申し立てれば、大まかその主張が通ってパワハラと認定されることが多いと考えた方がいい。それをパワハラと言われてもね〜という、パワハラをしている側の主張が採用される可能性は少ない。しばし、どっちもどっちなのだが、それほど、人間社会は複雑で、人間の行動も感情も、もっと言ってしまえばその存在自体も一義的に定義できるものでも、しようと試みるものでもないだろうということに過ぎない。
パワハラ云々が長くなってしまったが、ここで指摘したいとことはパワハラかパワハラでないかということではなく、人に何かを依頼する(指示する、命令するという人もいるだろうが)、あるいは苦言を呈するにときに人として注意しておいた方がいいだろうという、実は当たり前のことの確認ででしかない。パワハラがどうのこうのと、騒がしくなったが、いまだにどこに行ってもなぜこれほどまでにと思うほど高圧的に、しばしほとんど脅迫に近い口調で部下に命令している、部下を叱責している管理職に出会う。フツーに生活していれば、またフツーのそこらに転がっている程度の社会常識を持ち合わせていれば、ご自身のその言動、世間一般の認識基準からして間違いなくパワハラになることくらいのことを理解するオツムは持っていると思うのだが、どうも期待しすぎらしい。
“パワハラなんてのは関係ない、オレはオレの部下にしっかりした営業マンになってもらおうと思って、愛のムチ。。。でしかない。それをパラハラだとか言う方が間違っている”と正々堂々と持論を展開する人もいるだろう。ただ、残念ながら、その持論自体がもうパワハラになりかねないことを覚悟の上の発言であることを承知しての発言なのかと念を押すことになる。繰り返すが相手がパワハラと思えばパワハラになりかねかいのだから、それなりの立場にいらっしゃるのであれば、言動にはご注意をと言わざるを得ない。何でも言いたいように言いたいのであれば、それが許される立場になられてからにされた方がいい。
パワハラであろうがなかろうが、人は強圧的に命令されただけでは動かない。訳の分からない命令に従うということは、よく分からないけどこれしろと言われたからやっただけで、その結果に対する責任は命令した側にあるもので、した側にはありようがないという、当然の理論が成り立つ。しろと言われてしただけで、することに何の工夫もありえない。筋道立てた合理的で納得のゆく説明もなしで、ただただ権限をかざして命令する。人を、部下をこのようにあつかって、愛のムチはないだろう。権力を振り回した言動は、自分にマネージメントする能力がないということ、自分は任に能わずの人材であることを自ら証明していることになることに気がつくオツムはないのか。
理路整然とした説明を受けて、その説明を自分なりに理路整然と理解し得て、なおかつ自分がしなければならないと、責任をもたなければならないことを理解することによって、それをすることに要する時間や苦労に見合った見返りがあるであろうことを期待して、納得して始めて、自らの意思で状況を検証し、自らの責任で自らの意思で行動する。
当たり前の話で、なんだかよく分からないが“やれ”言われたからやっているというところかから何か価値あるものが生まれることはない。ましてや一人前の営業マンも、もっと言えば一端の社会人も生まれない。価値あるものを生み出そうと思うなら、納得して頂かなければならない。納得は命令からは生まれない。理路整然とした説明があって、始めて生まれる可能性がある。
人は命令では動かない。人を動かすのは納得だけだ。分かるか?愛のムチだかを振りたがる能のない管理職。
もっとも、日本で管理職といえば、ただの物か何かの管理をする能力はあっても、manageする能力のない人達のことだから、しょうがないのかもしれない。情けない。ここで何を言わんとしているのか分からないかもしれないので、Longman辞典から引用しておく。
Manageとは、to succeed in doing something difficult, especially after trying very hardということだ。おい、管理職、中学校レベルの英語だ。このくらい何を言ってるのか分からないはないだろう。それとも、管理職だから英語のできる部下に偉そうに何を言っているのか聞いてみるか?
2013/7/7