悠久の時の使い方

随分前になるが、ドイツのコングロマリット傘下の日本支社でお世話になった。日本支社を設立して数年経っていたがゴタゴタばかりで立ち上がらない。そこには日本支社長の席をめぐった本社内の諍いというおまけまで付けて、ドイツのやり方をそのまま日本に持ち込んでいた。当然のこととしての全機能不全。その機能不全を、あきれたことにドイツ贔屓の日本人従業員がドイツのいいとろだと自慢話になるから機能するはずがない。
情けないことにドイツ本社で日本支社に関係する人たち(一人を除いて)も日本支社のマネージャクラスの人たちも日常会話レベルですら英語があやしかった。一人だけ言葉使いの例外がいた。英語、ドイツ語に口語の日本語は堪能なアイルランド人なのだが、自分で判断して決めるというマネージメントに必須の能力も意志もない。日常業務を遂行するための最低限の意思疎通がままならない。当然のこととして、市場理解や自社や製品のポジショニングなど支社の立ち上げに必須の話などしようがない。全てがぼんやりとして決まったのか、決まっていないのかもはっきりしないまま時間だけが過ぎてゆく。支社長にもマネージャクラスの人たちにもビジネスをドライブしてゆく基本的な能力がない。
何をしようにもドイツの階層社会の弊害と新聞用語でいうところの「ライン型社会民主主義の意思決定機構」のせいだろうが、常識を遥かに超えた時間がかかる。半導体のような速度はないにしても技術基盤は常に進歩し続けている業界で鎬を削って活きているはずなのだが、かかる時間からはまるで悠久の歴史をメシのタネとしているのかと錯覚を起こしかねない。
出社初日に腰を抜かすほど驚いた。机はあるがPCがない。PCでネットワークにアクセスせずに何をどうしろというのか?技術部隊の使っていない古いPCがあるから、PCの手配が済むまでそれで我慢してくれと。携帯電話に至っては、たまげたことに支給されるまでに半年かかった。近くのショップに行けばその場で買える携帯電話。日本支社のGeneral Affairsから、これこれこうで今度来た営業部長用の携帯電話をと本社にProposalでも出したのだろう。Proposalがドイツ本社の関係者から関係者に回る。回ってきたら即Approveして次に回す人ばかりではない。上の顔色みて仕事をする人たちにとって日本は気にするところでもなし、緊急ではないからと電子書類の山の中に。入ったら最後ライン型社会民主主義の意思決定機構の溝に落ちたまま当分でてこない。
General AffairsもIT部隊も、全ての組織が悠久の歴史遺産を満喫するかのごとく、ゆったりと人が来てから人が動く。どこにも米国系のようなあくせくしたところもキビキビしたところもない。ストレスの少ない豊かな私生活が優先なのだろう、そのゆったりさにはまってそれを社会のあるべき姿だと、アメリカに対する反感を露わにするドイツ贔屓。ちょっと古いが、歌の世界じゃあるまいし、この変化の早いときに“時の流れに身を任せ”ていたら溺れ死んでしまう。
幸か不幸かゆったりしたドイツ文化に溺れるまえに、かつての同僚の引きで画像処理業界では悪名高い米国企業の日本支社に呼ばれた。日本支社の新社長が画像処理業界の市場開拓を任せ得るマーケティングが欲しいということだった。初出社してGeneral Affairsと会議室でしなければならない保険やなんやらの事務処理をしているころに社長秘書が息を切らして飛び込んできた。
ドアを開けるなり、「朝九時にいらしてくださいとお願いさしあげましたよね。」
「ちゃんときてますよ。入社に必要な事務処理をしてるじゃないですか。」
「違います。九時に社長室です。」
事務処理を中断して、社長室に案内されたというか、社長秘書に連れて行かれた。社長とはひと月ほど前に面接で一度お会いしただけだった。挨拶も一言二言、即の作業の話しになった。
「あと四日しかない。だから早く来てくれって言ったんだ。」
「来週、社長就任のスピーチを二回しなければならない。一つは四百人ぐらい。もう一つは六百人くらい。出席者でかぶるのは一握りだが、同じ内容のスピーチではまずい。四日間でスピーチを二本書いてくれ。五日後にはそれを持って一緒に米国本社だ。固い話だけではなく、笑い飛ばす軽いジョークも入れなきゃ。。。」
「ちょっと待ってくだいよ。この会社のことは大体分かってますが、それでもそれは外の目であって、内部の細かなことは知りませんよ。」
「社長のスピーチともなれば、日本支社として経緯と市場の変化に対する予測も含めた自社としての。。。新任社長としてお考えも打ち出さなきゃらないでしょうし。。。今日来て、今日書けと言われてできるもんじゃないでしょう。誰か適当な人はいないんですか?」
「いれば、頼みゃしない。今日来たばかりで分からないなら勉強すりゃいいじゃないか。四日で」と言って、社長室のガラス越しのブースに目をやって、部屋から二人で出た。ガラス越しの空きブースに携帯電話は箱のままだが、PCは馬力のある最新のデスクトップとノートPCが一台ずつセットアップされていた。マーケだから色々資料も貯めこむだろうという配慮から隣のブースも空けてあった。手回しよくフルのビジネスクラスの予約までしていた。ビジネスクラスには驚かないが、家から空港までの行き帰りの送迎タクシー付きのフルは初めてだった。
翌日の夜十一時半頃、「もう、電車があぶないんで、そろそろ失礼します。」と言ったら、
「電車?だからどうした、終電逃したら車で帰りゃいいじゃないか」
二日目から二時頃のタクシーになって、毎週半分くらいはタクシーで帰る生活になった。
ことを成すために、ことを成す能力のある戦力を補充する。補充した新戦力にできるだけ早く期待通りかそれ以上の結果を叩きだしてもらうための環境を用意して待っている。
そこには、目的を達成せんがための時間との競争の毎日がある。やること、やらなければならないことが多すぎて、意識して適当なところで切り上げないと切りがない。「今日できることを明日に延ばすな」ではなく、「明日に延ばしてもいいことは今日しないで、明日以降に」にせざる得ない。
方や悠久の時の流れのなかに身を任せて、それに慣れれば心身ともに健全な生き方、方や時間と能力の限界を追求するある意味ギリギリの生き方。三年、五年かけて経験し勉強させて頂ける社会と文化、似たようなことを一年もかけずに突き抜けてゆくことを要求される社会と文化。全ての人に平等にある時間。その時間をゆったり使う人たちと蜜に使う人たち。人様々、好き嫌いの話であるうちはいいのだが、そうも言ってられない状況になったとき、どちらに身をおいていた人の方が次の状況に対応する能力が高いか?問うまでもない。
人の価値を実務における能力で云々するなという声も聞こえてきそうだが。言わんとすることは分かるが、これは残念ながら好き嫌いということで片付けられることではない。それでも最後は個人個人の好き嫌い。ただ、その好き嫌いの結果は好き嫌いに関係なく受け止めなければならない。そこには好き嫌いの選択肢はない。
2014/3/16