邪魔なだけのちゃちなプライド

三年後、五年後を見据えた市場開拓や新規事業を進めようとすれば社内外の関係者の協力を求めざるを得ない。(自己申告によれば)日々の業務で忙殺されている技術部隊や営業部隊への支援要請は極力避けたいのだが、マーケティングだけで全ての作業はできないしすべきでもない。現業部隊に同化する訳にもゆかないが、関係を断ち切ったところにいる部隊でもない。お互いに刺激しないながら、ぶつかり合いながら、社としての目的に向かって進む基本構成組織として緊張関係を保たなければならない。
何をするにも一人のリーダー役を核として、関係者数人で目的や目標地点の確認とともにぼんやりとした地図−目標地点に辿り着いたときにみえるであろう景色を描き上げる。ぼんやりしていて、説明されても、作成に関わった人以外には、地図の設計思想やその背景、その背景に隠れている、地図を地図たらしめている要素は分からないことが多い。この類の地図の宿命で目標地点が視野に入ってくるころにならないと、ぼんやり度合いが減らない。目標地点にしたところで、一度決めたら不変という訳でもなし、途中で変更した方がよければ、すべきであればいつでもする変更する用意がある。そこまでの柔軟性がなければ仕事にならない。決めたことを愚直に遂行した方が社としての目的に叶うのであればそうするが、市場開拓や新規事業などというものは、今までしてきたような、ある意味現業部隊が今しているようなやり方ではやりようがないところが苦しいというか面白みがある。
そのぼんやりした地図を前にして現業部隊などの関係者にプロジェクトの目的から始めて全体像、さらに多少は具体的なアクションプランを説明させて頂く。ただ、読み解くための知識や能力がない人、やることもやり方もはっきり決まってないと動けない人たちには説明が説明にならない。立っている位置も違えば手にしているセンサーも違う。同じようなものを見ているはずと思っているらしいが、立っている位置が違うため見える景気が違う。センサーも違えば同じ景色でもそこから何を見てくるかが違う。いくら説明しても一つの景色の近景と遠景、夜明けか昼か夕方の景色の違いくらいまでしか見える景色の違いがないとしか想像できない人たちには説明のしようがない。
協力して頂かなければならない関係者には全てではないにしても大まかな粗筋は分かってもらわないと困る。いくらお話をさし上げてもご理解頂けず往生したことがある。周囲からはいくら話しても、分かりっこないからよしとけというアドバイスが聞こえてくる。アドバイスが合っていることは分かっている。分かってはいるが、分かってもらわないと困る。説明のしようがないことをしようがないとして諦めれば、多分起こすであろう破壊行為が起きることを是認するとことになりはしないかという強迫観念があった。 過去に実際にあった分かり易い例をいくつかあげて、仲間に言わせればする価値のない説明を試みた。話していて、こう考えれば起きてきたことの説明がつくというものに気がついた。その人の目的は社としての成長でも、組織の効率のよい業務でもなんでもなく、ただ個人としてのちゃちなプライド、そのプライド満足しうる権力の行使、それを周知するためのご本人にしか意味も価値もない言動、その根底にはむき出しの出世欲と金銭欲があった。
人間社会、絶対値というのはなかなかない。誰も、常に他者との比較ででしか自分というものの存在、その存在価値や意義を認識し得ないという本質からは自由でありえない。それでも誰もがたとえぼんやりとしているにせよ自分としの絶対値−生き様と言われたり、社会認識と呼ばれる何かを持っている。これなくしては、自分が自分としてあり得ないという精神障害に陥る。何を見るにも考えるにも、全てが他者との比較に基づいてされるとしたら、自分はいったい何なのかという存在規定のありようがない。
自分の頭の上を何かが通過して行ってしまうことは許せなかったのだろう、何にでも必ず割り込んできた。割り込まれる事自体には何の問題もない。自分たちのロジックの欠陥を見つけてくれるかもしれないので、違った視点からの批判は大歓迎だった。プロジェクトの個々のプロセスのあれを任せろと言われれば、これも大方歓迎だった。いつも、やらなければならないことが多すぎて手がまわらない、速度を上げたいがエンジンも弱いしシャーシも危ないというような感じでアクセルを踏み切れないイライラはいつものことだった。
大歓迎も大方歓迎もプロジェクトを前に進め得るからであって、誰のプライドとか誰の成績とか誰のエゴで物事をすすめている訳じゃない。押しかけてきては、整合性もなく、だたただ違うことを言う。あまりに違うこと目的として言っているので、こっちの違うこととあっちの違うことの間に整合性がないとうより、相反して両立し得ない。それでも、違うということによってのみ、その違うものの存在がありうるという類の主張を繰り返す。多少なりともうまくいっているプロセスであればあるほど、声高に違うことを主張する。自分が主体となって関与していない業務がうまくゆくと自分の相対的価値が下がる可能性があるとでも思っているのではないかとしか考えれない言動を、人間関係を上下関係で見て繰り返す。
地動説しかありえないと関係者だけではなく、目が開きかけた周囲の人たちも思っているところに、ちゃちなプライドに職制の衣をまとって天動説を主張しては、やっと途についたプロセスを破壊しようとまでする。
ライバルだなどということ考えたこともないし、そんなにこのプロジェクトを背負いたいのならいつでも明け渡しますよという気持ちの整理だけはつけていた。やりたいならやればいい。できるとは思わないが、もし、助けが必要になったらいつでもいってくれという気持ちでいた。自分のない人たちのちゃちなプライド、振り回す価値もないし、振り回せば振り回すだけ醜態を晒すことになることくらい分からないのか。情けない。
2014/4/6