格好だけはつくPowerPoint(改版1)

いつの頃からかプレゼンテーションというカタカタ表記の英語が日本語になった。あまりに卑近で好きにはなれないが、長すぎるので、略してプレゼン。プレゼンという言葉を頻繁に耳にするが、昔ながらの説明や発表会もきちんと使われ続けている。何かの判断基準に従って両者を上手に使い分けているのだろうが、勉強不足で何が判断基準なのか分からない。ここでは細かな事抜きで、プレゼンで包括して話を進める。

プレゼンにも色々あるが、大手メーカーの新製品発表にでもなれば大仕掛なイベントの中心としてプレゼンがある。そこまでゆくと全体をとりしきるプロデューサーやディレクター、音響効果から視覚効果。。。さまざまな専門スタッフから成るチームの産物になる。プレゼンそのものとその周辺が一つのプロジェクトとして作り上げられ、イベントとして実行される。フツーの人はこの類のプレゼンを受けることはあっても、提供する側で仕事として関与することは希だろう。

フツーの仕事−何をもってフツーというのか曖昧過ぎるが−で使う、あるいは受けるプレゼンは大小あっても、おおまかな構成に違いはない。分かり易い道具立てから言えば、まずPCにマイクロソフトのPowerPoint、プロジェクターにレーザーポインター、ちょっと大きな会場になればマイクにスピーカ。この道具のなかでは、プレゼンの中身を載せるソフトウァア−PowerPointがキーになる。それ以外は状況に応じたオプションで使うこともあるが、なくてもかまわないことも多い。
プレゼンは、関係者の助けを借りたとしても、プレゼンする人が全責任をもって作り上げる。組織の後ろ盾はあったにしても、本質的に一人の作業になる。PowerPointという便利なソフトウェアが、一人でプレゼンを作ることを可能にし、プレゼンに画期的な機能を提供したというのか、説明のありようを変えた。

従来、説明会などに説明を受ける側として出席する人たちの多くには、事前の何らかの知識を持って望むことが期待された。有意義な説明会にしようと思えば、主催者から参加者に事前情報が提供される。参加者は多少なりとも、なんらか準備をして出席するのが常識、あるいは良識とされてきた。
PowerPointを活用したプレゼンが、このよき習慣をこの前時代的なものにしてしまった。PowerPointを使えばプレゼンを受ける側が、何の準備もない白紙状態でプレゼンを受けても理解してもらえる、あるいは分かった気になってもらえるプレゼンを作れる。

PowerPointがグラフィック情報の扱いを容易にし、文字ですら色や大きさだけでなくスタイルでさえ、いかようにもできる−文字のグラフィック化まで当たり前のものとした。
プレゼンの本来の主旨、その主旨を裏付ける論理展開、そこから導き出される結論−従来であれば、整理された文章として提出されたものが、PowerPointによる要点のリストアップと口頭説明による論旨と結論に置き換えられた。

PowerPointを使ったプレゼンでの口頭説明は感情も込めたメリハリの効いた説得力をもたらすが、込み入った展開を口頭でされても、付いて行けない可能性がある。口頭での説明は音として消えてゆく。消えてゆくものに整合性を保って論理展開、よほどの人でもなければ、聞く方も大変だが、話す方はもっと難しい。
口頭での説明がいかに怪しいものになりかねないかを確認してみたければ、政治家の演説を録音して、そのまま文章にしてみればいい。主部と述部の整合性のある文章がほとんどないことに気づくだろう。どこに句読点を入れるかがはっきりしない。どこが文章の終わりなのか分からない。内容に至っては何をか言わんやで、何を言っているのか分かることの方が珍しい。

プレゼンで提供される情報に関する知識をそれなりに評価できる知識を持っている人ばかりではない。リスト化された要点とグラフィック化した分かり易いというプレゼンの表層のおかげで、なんとなく分かったような気にさせられる。事前知識のない人たちは、一見もっともらしいPowerPointを活用したプレゼンに騙される。財務の視点しかない頭の乱視の経営陣など、手練手管のコンサルにコロッと料理される。中身は何もないが、ひと目で分かる上っ面の体裁のいいPowerPoint上の表示に、はったりトークがまかり通る。

PowerPointは非常に便利なツール。使うなという気はない。ただ、それを使えば何の整合性もない、いい加減な論理にならない論理ですら、感情のこもった言辞が妙な説得力を生み出す。中には、このいい加減さをフルに活用して、記録に残らない口頭伝授のごまかしで禄を食んでいるのがいる。騙される方も騙される方だが、注意してみると結構多いのに驚く。
うまくまとめたPowerPointに、こなれた英語のプレゼンでアメリカ系の巨大コングロマリットの日本支社(従業員一万人以上)の社長に収まった詐欺師のようなものいる。流暢なプレゼンだけが能のような人で、それ以外になにが出来る人ではなかった。

PowerPointはまったくたしたツールで、ろくに内容のないプレゼンでも、どこかまともなプレゼンに見えないこともないプレゼンを可能にする。まっとうな職業人なら、その類のプレゼンに騙されることもないだろうし、PowerPointを使ってもそうはならないプレゼンを作るだろうが、情けないことに、そのような人はいるようでいない。
呆れたことに、大学生や社会人に向けたプレゼンスキルの習得を謳った授業やセミナーが花盛りらしい。「始めに言葉ありき」が、今や「何はなくともプレゼンありき」といったところか。言葉のお遊びを術とする人たち同士のやりとりで、ことが進んでゆくとなると、どこに進んでゆくのか心配になる。
2016/7/17