二流の組み合わせ

技術屋として職業人として専門分野ではそれなりの基礎知識と実務で培った知識はある。一端の技術屋を超えた技術屋だという自負もある。ただ、製造現場は離れて久しい。現場に張り付いた昔ながらの技術屋ではない。
技術屋として一生を送る選択肢もなくはなかったが、一生かけたところで技術馬鹿で終わるとしか思えなかった。突き詰めようと思っていた技術が社会でどのように使われているのかを気にもせずにそのまま続ける気にもならなかった。技術屋が技術屋として生きてゆこうとすれば、専門分野、それも益々細分化された領域に特化し続けることが要求される。特化した領域とその関連領域では重箱の隅を突きかねないし、それ以外のことへの関心が薄れ、社会音痴になってゆくのも怖かった。
モノ造りの日本などという言葉がいらなかった技術屋全盛期だった。ただ、技術屋然としてそのままでいたくなかった。かといって事務屋に転身する気にもなれない。そこに技術屋として突き詰めながらも、知らなければならない技術領域に際限がない、そのうえ社会−市場との関わりにまで責任をもたなければならないポジションを用意してくれた会社があった。最近では、日本企業でも聞くようになったが、当時そのような部隊を組織だって持っていたのは米国企業だけだった。マーケティング、今では内実は怪しいにせよ部署名としてはフツーに聞くようになった。
よく職業柄という前置きをしてから、何を専門としてどこまでの周辺をカバーしているかという話をすることがあるが、マーケティングにはこの前置きの意味がない。マーケティングは必要とならば何にでも手を出す。たとえ専門的知識なしではどうにもならない領域であったとしても、踏み込まなければならないのであれば、何らかの方法で手を出す。少なくとも、その米国企業においてはどこまで出てゆかなければならないのか、どこまでしか出て行ってはいけないのかという縁がなかった。社の、事業部のビジネス展開の全域においてたとえ間接的であったとしても関与するのを善としていた。
マーケティングとして、自分が担当する製品群に関係する技術的なことがらから市場全体、個々の客やパートナー、競合関係から何から何まで把握しなければならい。製品担当としてであれば、担当製品と直接関係する製品の範疇でよかったが、五十万点を超える製品を誇ったところで、たとえ日本支社とはいえマーケティング部隊を率いるとなると、もう一人の人間の能力ではどうにもならない質と量になる。
溢れる仕事のなかを這いずり回っているうちにやり方ができあがっていった。全ては分かりっこないし、できっこない。出来るのは技術的なことがらでも市場でも営業でも最小機能単位に分解して理解することだった。これ以上分解すると特徴としてもっている機能が機能しなくなる、他の機能と有機的な結合をし得なくなる一歩手前のレベルまで分解しておき、いざというときには、分解しておいた最小限の機能単位の必要なものをさっと組み上げて状況判断にあたる。 最小機能単位は、ちょうどマルチタスクで動いているソフトウェアの機能モジュールに似ている。画面表示の機能モジュールであれば、それがどのような画面表示でも基本機能は似たようなもの。入出力モジュールであれば、対象がPCでも、携帯端末でも、装置一台でもなんでも同じように入出力機能ででしかない。このモジュールをさらに細かく分解していって、最終的に“0”か“1”にまでしたら、機能も何も見えなくなる。最小機能単位までで抑えておく。
このやり方であれば、さまざまな状況にそれなりに対応できる処理体系を作り上げられる。ただし、専用に構築された体系に比べれば能力も性能も、ありとあらゆる面で劣る。専用機と汎用機の違いと言えば分かりやすいが、誤解を招く。ビルディングブロック式でカスタマイズすれば専用機なる汎用機。
特定の条件に最適化した専用機に対する羨望の念がある。誰をも寄せ付けず、有無を言わせぬ圧倒的な能力と性能で問題に対処する。ただ、この専用機、あまりに使える局面が限定されている。多種多様で掴みどころさえみえないことの多いビジネスの世界では無用の長物になる可能性の方が高い。敢えて特化した専用機としての能力を追わずにモジュール化した機能を取り揃えて、個々のモジュールの強化をはかり、都度ごとの組み合わせの能力を磨き上げた。
専用機という一流の仕事をやってのける能力を追い求めずに、あれもこれもそこそここなせるカスタマイズの利くビルディングブロックの二流の仕事に自分の存在価値を見出した。何をやらせても専門家の仕事ではないが、あれこれ組み合わせた仕事になるビジネスの世界では専門家ではないこれとあれ、あれやこれ、トータルで見たら専門家、専用機の仕事を超えたところの仕事をこなす二流の組み合わせの仕事。二流の組み合わせが一流以上の仕事をする。要素を一つひとつみたら、どれもこれも二流の域をでない。ただ、それを有機的に組み合わせる能力があれば二流で終わらない、しばし一流さえ凌ぐことをやってのける。不安がないかと聞かれれば、ないわけがない。ある。いつも不安を抱えて生きている。しかし、それを超える矜持がある。恐ろしいほどの不安とやってきという矜持、薄い紙の裏表。
2013/11/17