市場調査とKKDと。。。

教科書やビジネス本にでてくる市場調査なるものが本当に可能なのか、手間暇かけてするだけの価値があるのか、あるいは価値のあるしようがあるのか気になる。市場の特性や市場における企業のポジションや戦略から可能なこともあるし現実的ではないこともあるだろうと思いつつ、後者の方が一般的だろうと想像している。想像はしているが、それは経験してきたとこがあまりに旧態依然としたものだったためで、今日日の状況から置いてきぼりになったのかもしれないという不安がある。
データ解析などが進化してモデル化とか相関係数などという用語が日常会話のなかにでてくる時代に何を言ってるのかと思われるだろう。しかし、システム化した市場調査と収集したデータの解析を基に戦略云々を言っているのは、まだまだほんの一部の人たちに過ぎないのではないか。さらに最新のデータ収集と解析方法を使うことが目的化している可能性も考えれば、多くは未だにKKDと言われる、“経験”と“勘”と“度胸”が幅をきかせているのが実情ではないか。
日本でも海外でも外資の立場で、市場ではマイナーなプレーヤだった。マイナーなプレーヤ故に知り得る知識も、入ってくる情報も限られている。限られた知識の中から欲しい部分だけを拾って、その他をとりあえず横に置いておく。知り得たことは何でも気にするが、使える、使うのは恣意的に選択する。KKDと思われるかも知れないが、ちょっと違う。新規に開拓する市場での“経験”はない。“勘”も別の業界、別の条件や環境で培ったもので、開拓すべき市場にそのままは当てはまらない。“経験”も“勘”もないところに“度胸”はないというより、あってはならない。“度胸”は、最後の最後、いくら考えてもこれしかないところまで来て、後は思い切って決めるしかない時点で、“ええーい”と持ち出すものででしかなかった。
いてもいなくても市場には影響のないマイナープレーヤ、どうしたところで市場全体は見えない。そこに市場全体を鳥瞰し根こそぎにするような戦略を立てる知識や能力があるはずがない。マイナープレーヤとして、常に市場のある特定の一部分に注力して、その注力した、ニッチと呼んでもいい狭い部分に出来る限りのリソースを投入する。まずは一点突破を試みるしかない。
マーケティングとして社の命運をかけた市場開拓の戦略は書ききれない。市場全体を漫然とみていたのでは切り開けない。力任せに推し進めるほどの能力もリソースもない。持てるリソースでなんとかできるニッチ−どこなら孔を開けられるか−注力するところを間違わなければ勝てる。手持ちの限られたリソースの一部を使って、ここと思うところで偵察戦を試みる。偵察戦はどこに注力するかを決めるためのもので、そこでは戦力を極力消耗しないように努める。偵察戦の結果から限りあるリソースをここはと思うところ、ここをとれば後が続くところに集中的に投入して一気に切り開く。
比喩として適切かどうか分からないが、大きな土手を崩すことを想像すれば分かりやすい。土手を走り回って、撫でていても土手は崩れない。パートナーも含めた自分たちの能力でここならと思う土手の本当に狭い一部分に持てる全ての力をかけて小さな孔を開ける。たとえ小さな孔でも開けられればそこから水が流れて土手の一部が崩れる。一部を崩せれば、あとは正規部隊の営業に任せれば事足りる。
日々バタバタしながら、もっと真っ当なマーケティング手法があるはずと思い何冊ものビジネス本を手にしてきた。どの本にもこんな泥臭いマーケティングのバタバタなど書いてない。読めば読むほど、ある意味きれいに筋の通った説明がある。どうやったらそのような綺麗事で仕事になるのかと思っていたときに二冊の本に出会った。二冊の本に書かれた内容が事実なのか、後知恵なのかは知らない。ただ、後知恵にしても市場調査なるものの限界と意味のある市場調査をするには何が必要なのかが示唆されていた。
一冊はGMの市場調査について書かれていた。米国の小型乗用車市場を日系メーカに席巻され困ったGMが消費者がどのような自動車を買いたいと思っているのか調査した。消費者が希望しているのは、あの日本車、この日本車のような車という調査結果だった。調査データのなかには、今まで見たこともない、こういう自動車がいいという意見もあったろう。しかし、そのようなデータは少数で統計処理の過程で“外れ値”として除外される。当時のGMのことなので相当な規模の、かなりの予算と優秀な市場調査とデータ処理の専門家による市場調査だったろう。そこには次の時代を牽引する能力のあるビジョナリーも少なからず参加していただろう。ただ、規模が大きすぎてそのビジョナリーが活きる体制は取れなかっただろうし、データ処理が主体になればヴィジョナリーの視点は消える。
二冊目は本田の社員の思い出話で構成された暴露本に近いものだった。米国のその名も轟くコンサルティング会社によると本田は米国市場参入に確固たる戦略を持って臨んだことになっているが、熱意はあったが戦略など何もなかった。米国の高速道路の長時間運転に本田の二輪車はリコールだらけでどうしようもなかった。金がないので西海外にいた社員がスーパーカブで日常の買い物をしていた。これが大手デパートの目に入って、そこから本田の熱意に引っ張られたバタバタが始まった。某コンサルティング会社が本田の戦略的経営の成功−後知恵で作り上げられた−を売り物にしてきたと、本田の社員らしく率直にケレン味なく書いてあった。
コンピュータの処理能力が飛躍的に向上した。データ収集方法も進歩して多変量解析も当たり前の時代になった。ビジネスグルがこの時代の先駆けを放っておくはずがない。グルの多くはデータ収集や解析の専門家ではなく、ビジネスエリート、あるいはそうありたいと思っている社会層向けの小手先のテクニックの解説者に過ぎない。
一見誰も目にも、綺麗に整理され説得力のある論理や手法に見える市場調査とその周辺について解説した本。ただ、どこをどうまちがったのか早くも手前味噌の頭の乱視のような、見えるもの、見易いものだけを取り上げてきて即の効果にしか興味のないビジネスエリートどもでも分かる単純な論理を振り回す先生方とその使徒たち。注意しないとつい、先生方が用意してくれた、何を食っても美味くない一杯飯屋の定食のような、食えない状況に陥りかねない。
幸いにもSteve Jobsの言葉がある。曰く、「製品をデザインするのはとても難しい。多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ。」市場調査を無視しての言葉ではないが、机上の、あるいは机上からちょっと出たところの、しばし小手先のテクニックの弄し方に堕しかねないご高説より、Steve Jobsの名言に引かれる。
2013/12/22