“頑張ります“と”頑張るな”

“頑張ります”というのはよく聞くが“頑張るな”というのはあまりないだろう。よく聞く前者には何もないが、聞くことのない後者には社会観まで含めた内実がある。四十過ぎた頃からだと思うが聞き慣れた“頑張ります”が減って、耳慣れない“頑張るな”という発言が多くなった。置かれた状況とその状況に対処しようとするなかから必然として“頑張るな”が増えた。
上司に呼ばれ、状況説明を求められる。上司の理解できる範囲で、聞きたいと思っていることの状況を説明する。状況説明に織り交ぜるかたちで今後何をしてゆくのかも伝える。上司の聞きたいことは分かっている。それ以上のことを話しても理解する能力も意思も持ちあわせていない。金で表した数字にしか興味ない。自分たちが何をしているのか−実ビジネスに関することは知る必要がないと信じている。はやりのビジネススクールでも会社のマネージメントスクールでもそう叩きこまれている。ビジネスの具体的なことに右往左往するのは実務担当者で自分はその世界にいない、いてはいけない人種と思っている。欲しいのは今季の計画通りかそれ以上の結果だけで、それを実現するプロセスやプロセスの実行による部隊の疲弊も客や代理店との信頼関係などには関心がない。
それでも、俺は知ってる、分かっているというのをデモンストレーションしたいのか、鼻毛も切れないハサミのような知識を振り回して、説明したところで理解し得ないことを聞いてくる。理解するための前提となる知識の説明から始めなければならないが、そのようなことに耳を傾けるような人ではない。できることは、上司がデモンストレーションできたと思い込んでもらえるようにするしかない。絵空事とでもいうのか、ああしたら、こうしたらというのか意見とも指示ともつかないものでてくる。いちいち反論したところでどうなる訳でもない。論破でもしようものなら、デモンストレーションできないことに腹を立てて権力の濫用になりかねない。無意味な摩擦は避けたい。はいはい、そうですかね、そうしてみましょうか、それも妙案ですねと言いながら、最後は、全く内容のない“頑張ります”で終わる。
何かしっかりとこうしてゆくという案なり策があれば、具体的にこうする、ああするというのがあって、“頑張ります”にはならない。“頑張ります”というのは、今までやってきたことを継続するだけで、特別何もしないときに体裁をつけるための常套句だ。
率いた部隊の面々からも、たまに不注意に“頑張ります”がでてきた。当初は戸惑いがあったが、直ぐに慣れた。“頑張ります”と言われると、何を頑張るのか聞きたくなるが、“頑張るな”、“無理をするな、手を抜け”、“頑張るのは目的じゃない、楽をできるようにするのが目的だろう”、“できることしかできないぞ”と言っていた。
真面目なのが多かったのだろう、放っておくと猪突猛進で一つのことに集中するあまり、やっていることの有効性や別の可能性を考える冷静さを失う。今やっていること、今のやり方が最善で、それ以外にはありえないというのはめったにない。目的を達成するのが目的で、何をするかが目的でもなければ、やり方が目的でもない。ましてや、頑張るのが目的になったら何がなんだか分からなくなる。今までやったことのないことをやろうとすれば、いろいろやっているなかで、やり方も変われば、目的すら変えることがある。
知識も経験もほとんどない新規市場開拓では作業を進めているうちに段々市場が分かってくる。当初、設定した目的を追いかけるより、その隣や反対側の方が成果を得やすいことが見えてくるなどということが起きる。自分たちで決めた目標に縛られた「初志貫徹」は美徳でもなんでもない。自分たちが決めたことで自分たちの将来が束縛されるのは本末転倒、あってはならない。目的を達成するために没頭はするが、そのために何をどのようにするかについての自由度は保ちたい。さらに、状況によっては目的自体の変更も厭わない、勇気といい意味での無節操も必要になる。
無理に無理を重ねて目標地点に少しでも近づきたいという誘惑に駆られる。この気持ちの発露が“頑張ります”だろう。しかし、無理は長くは続かないし、たとえ目的を達成し得たとしても、それに払う代償が大き過ぎたら、何のための達成なのか分からなくなる。人が傷んだり、人間関係に齟齬をきたすようなことがあれば、先々尾を引く。何も百点満点やノルマを超える実績を追い求める必要なない。七十点でも八十点でも、ことによれば六十点でもかまわない。来期やその先も似たようなゲームを続けられれば、遠からず勝ちが見えるときがくる。
当面勝ちと呼べる勝ちがなかったとしても、負けない限り、戦を続けてゆけるだけの実績さえあれば、組織も人も成長し、フツーの作業をフツーにしてゆけば必然として勝ちが転がり込んでくる体制を作り上げられる。それまでは、“頑張ります”ではなく、“頑張るな”でゆこう。“頑張ります”には何もないが、“頑張るな”には人としての、職業人としての経験に基づいた自信の裏付けがある。
2014/1/12