支えられるリーダ

新任社長が長年個人的なお付き合いをさせて頂いているという社長がお祝いも兼ねて来社された。いつもは社長以上に落ち着いている秘書がちょっと興奮気味に呼びに来た。その社長の会社には前職のときに何度かお伺いしたことがあった。業界では知らない人はいない。北陸に本社をおきグループとして従業員三千人を誇る老舗で先の天皇陛下や今の天皇陛下が皇太子時代に訪問されている。苗字が社名のオーナー社長。噂では切れ者で通っていた。一度はお会いしてみたかったが、自分でお会いできるような方ではない。新任社長のお付きのような立場には日々閉口していたが、このときだけは役得だった。
社長室で、こちら側の事業全体をオーナー社長にご説明さしあげろという。そのくらい自分でやれと言いたいが、偉ぶった格好は付けられても自分では何もできない。主要市場から現在に至った経緯、直近のビジネス状況と製品を手短にご紹介させて頂いた。オーナー社長の会社はマイナーないくつかの事業部が顧客ではあったが、こちらのビジネスの具体的なことを聞かされてもピンと来るはずもない。業界違いなのでピントはズレていたが、なかなかいい視点で質問してきた。噂は伊達じゃなかった。
販売している製品から考えて、その会社の本流の事業体とのビジネスの可能性は考えられない。それでも社長同士の付き合いなのだろう、一度製品紹介に北陸の本社に来てほしい。いくつかの事業担当部長以下関係者に日程を立てるよう指示しておくから。。。
いくら考えても主要事業体には需要があるとは思えない。時間つぶしの訪問になるが断る訳にもいかない。後日、数名の部長クラスと日程を調整してデモ製品を持参してお伺いした。オーナー社長直々の有無を言わせぬ指示なので無碍にもできないが迷惑な訪問者にかわりはない。マイナーな事業体で懇意にして頂いていることのお礼から始めて、ざっと自社のビジネスと製品のご紹介をさせて頂いた。いくらゆっくり話しても大した時間は潰れない。当たり障りのない話しから本業のビジネスの話をお伺いした。以前の会社ではこっちの方でお世話になっていたので、訪問の目的ではないところに共通の話題があってたすかった。
ただ、話をしていてどうも引っかかる。押しも押されもせぬ名門として業界を仕切っている会社の主要事業体の実務レベルの役職の方々から自社の製品やソリューションの話なのだが、主体性というのかご本人の顔が見えない。社の一員としてちんまり組織に収まっての話からはみ出ようとしない。オーナー社長の影というのか統制とでも呼ぶのかよくわからないが、お役人と話をしているような感じがした。
皇族までが表敬訪問する名門企業のオーナー社長の威光には言い表しがたい強制力もあるだろうし、誰も抑制しえない権力もある。そのうえ業界では切れ者で、即断即決の指示がとんでくる。それを受けて四の五の言えば、たとえ社長以上の切れ者で論理展開できたとしても、果たしてどこまで聞き入れてもらえるか。誰も彼もが威光にひれ伏して、自分で考えて判断して結論を出すのを躊躇する。当然だろう。来社されたときの何気ない言葉の節々に配下の経営陣がおとなし過ぎるというのか、歯がゆいというのが滲みでていたのを思い出した。
経営トップがあまりに切れ者であれば、部下は育たない。育ちようがないと言った方があたってるかもしれない。もし、トップが間違ったとしてもそれを諌める人はまずいないだろうし、遠回しであったとしても具申する人も希だろう。下手な具申には政治生命がかかる。トップが困ったとしても誰も支援しようともしないだろう。支援がうまくゆくという保証もなし、それほどの切れ者が困っているのをフツーの能力の人が助けられるともフツーなら思わない。
ただ、いくら優秀な人とはいえ全てが分かるわけでもなし、間違いや勘違いがないなどということもない。ところが優秀なリーダであればあるほど、周囲の人たちを引っ張っているのは自分という意識が勝って、周囲の人たちに支えられていることに気がつかない。支えて貰っているにもかかわらず、全てを自分で理解し判断している気になる。困って助けが欲しいときですら弱点は見せたくないだろう。常に全能の自分を誇示することに腐心する。箴言を耳にする機会も失われ、周知を持ってしてことに当たる文化は育たない。
トップに立つのは切れ者であるに越したことはないが、それ以上に人としての魅力が醸し出す親しみやすさといでも言うのか皆が何をいうでもなく支えたいと思う人柄がなければならない。切れ者が切れ者としての言動に終始すれば、ただの切れ者に過ぎない。支えたくなる人としての魅力、ちょっとみには、いい意味での“あそび”や“ぬけ”のようなものかもしれない。機械屋には常識だが、噛み合う歯車は歯と歯の間に“あそび”がなければ咬み合ってしまって回らない。似たようなことが人にも言えそうだ。リーダはただの切れ者ではなく、人としての余裕とでもいうのか“あそび”や“ぬけ”がある切れ者であって欲しい。
2014/3/9