相手のせいにして失うもの

アフターサービス部隊から実習の一環として一緒に行って来たらとお誘いがきた。荷物運びくらいにしか使えないのを連れて行ってくれるという。大型機械の加工精度がでない(機械の)原因を見つけて直すのを体験しにゆくというありがたい話だった。顧客は農業機械メーカで、同じ財閥系に属した長年の優良顧客の一社だった。
四国の本社工場で開発が進められていた新型エンジンの基幹部品の加工を関東工場が担当していた。基幹部品の一つにミッションケースがあった。一日も早く加工してミッションケースを三個、本社工場に納入しなければならなかった。
ミッションケースを鋳物で吹いて機械加工したのだが、どれもこれも加工精度が出ないためスクラップになってしまった。未加工のミッションケースは三個しか残っていない。もしこの内一個でも不良にしてしまうと試作機の台数が減って実証試験に支障をきたす。もう、後がない。
ベテランサービスマンと一緒に機械系を入念にチェックしていった。機械系には問題らしきことが何もない。精度に影響しそうな制御系を丹念に見てゆくが何もない。客に頼んで不良品となってしまったミッションケースを加工した上から加工してみた。客が言っているように確かに加工精度が出ていない。機械本来の裸の精度は千分の一ミリ単位なのだが、加工した箇所の寸法のズレが一ミリ単位。起こりえないことが起きていた。
何が起きているのかベテランサービスマンにも見当がつかない。二人でチェックしたことを反芻するが何もおかしな点がない。考えられる原因を思いつかないまま、機械系のチェックを念入りに、呆れるほど念入りに繰り返した。これ以上チェックする点がないというほど制御系のチェックを繰り返した。何もおかしな点が見つからない。機械は間違いなくきちんと動いているはず。
客先に頼んで、また加工をしてもらった。追加工をしたミッションケースを測定して驚いた。前に加工したときの寸法のズレと似たような似てないようなどっちともつかない寸法のズレがあった。ズレの大きさはやはりミリ単位。機械の裸の精度はいくら測っても悪くての百分の一、ニに収まっている。にもかかわらず加工精度はミリ単位でズレる。
らちのあかない作業に業を煮やし客が担当営業を呼びつけた。四国の工場への納品日がせまって客は焦っていた。部長も課長も現場の人たちもいい人たちだったが、いい人たちでは通らない。なんとかしなければという気持ちが言葉になり、プレッシャーがそのままこっちに出てきた。担当営業が追い詰められた。営業トップに電話で状況を説明して工場のトップに掛け合ってくれと。。。自社の工場の機械を一台あけて客のミッションケースを自社で加工することになった。トラックしたてて客の工場から自社工場にミッションケースを配送した。
この荒手の決断で客に精神的余裕が生まれた。なぜ加工精度がでないのか一緒になって機械の裸の精度確認作業をしていった。何も問題点が見つからない。もうこれ以上チェックするにもする箇所がない。機械の問題とは考えられないところまで行って、ミッションケースを追加工してみた。結果は同じだった。一ミリ単位で加工精度がでない。
客に呼びつけられた営業マンからの報告で工場全体が動いていた。派遣したサービスマンでは問題解決できなかったし、現状を見る限り出来そうもないという結論だったのだろう。アフターサービス部隊ではなく工場の品質保証部のトップが応援にでてきた。この人がでてきて解決できなければ、それこそ社としての立場がなくなる立場にいる人だった。
簡単なヒアリングをした後、即ミッションケースの加工をしようと言い出した。今までと違うのは加工するミッションケースのあちらこちらにダイアルゲージを付けて加工中のミッションケースの位置ズレを測定することだった。後で言われたことだが、機械がフツーに動いれば一ミリ単位のズレが起きることはあり得ない。ミリ単位のズレ、それも加工精度−加工物の寸法精度であれば、機械と加工物の相関的な位置関係がズレを生んでいるとしか考えられないということだった。
機械精度を疑って一週間、大騒ぎして分かったことはミッションケースを機械に取り付ける取付具の強度不足だった。加工中に鋳物のミッションケースにはかなりの力がかかる。その力でミッションケースがミリ単位で動いていた。機械はちゃんと動いていたのに加工物が動いていた。機械の問題だとしか思わずに機械の精度チェックを繰り返していたというだらしのない話だった。
客のお偉方と加工担当者、取付具を設計した人、作った人たちがずらっと並んだ会議室。品質保証部の部長の横(気持ちの上では斜め後ろ)に座って締めくくりの会議をした。客のエンジン開発に支障をきたすことなく収まってよかったですという取ってつけた担当営業の話しかできない。今まで機械メーカの落ち度とばかりおもって多少なりともきつい言葉を発していた客の面々、どうしても伏し目がちになる。それにつられてこっちも伏し目がちに。お互い目があっても、焦点をあわせようとしなかった。最初のサービスがきちんとしていれば、こんなことにならなかったのにと申し訳なかった。
誰しも自分の責任ではなく、誰かのせいで−どう考えても(あるいは後で分かってみれば)こっちの落ち度ではなく相手の落ち度、相手のせいで相手から追い込まれることがある。相手の責任として押し付ければ押し付けた方は精神的にも楽だろうが、問題は常に自分の問題であって、自分に関係なく人が解決してくれる、人に解決させるとは考えない方がいい。当事者として取り組む姿勢がない人には、問題は解決されたとしても、されたにすぎない。問題解決やそのプロセスから何も学ばない。問題解決に積極的に関与すればするほど精神的にも疲れるが、そこから貴重な経験をし、学習できる。この類の経験から何をどれほど真摯に学んだかが人の能力の根幹を作り上げる。
2014/6/22