駐在員の誤解と末路

米国やヨーロッパの競合相手に安値だけが頼りのゲリラ戦で取れるところのつまみ食いだった頃と、かつては仰ぎ見た米国やヨーロッパの同業を買収するまでになった時代の駐在員に求められる資質や能力には大きな違いがある。その違い、企業や状況によってさまざまだろうが、比べることすら憚れる。ゲリラ戦の頃の先輩駐在員だった方にお会いする度に、見える限りででしかないにしても、人の大きさに貫禄負けした。何もなかった時代の先駆者という畏敬の念も手伝ってのことなのだろう。組織化した時代の駐在員の目には時が経っても遠く輝いていた。
六十年代、派遣できる人数も限られているから現地では組織としての支援はないに等しい。そこでは個人の資質と能力でなんでもこなせる人材が駐在員として派遣された。まだまだ海外が遠い存在だった。インターネットどころかファックスもない。国際電話は高くて使えない。テレファックスだけが日常の通信手段だった。一ドル三百六十円の時代、たとえ休みが取れたとしても、自費での帰国は考えられなかった。一度赴任したら帰国は三年後、五年後が当たり前だった。
時代が下がって日本の製造業が海外市場を席巻するまでになると、海外出張も駐在もそれほど特殊なケースではなくなった。業務で海外にでることだけでなく、巷のフツーの人たちにとっても海外は特別なものでなくなった。それとともに海外駐在がキャリアパスとしてマイナスになることが多くなった。海外駐在員も出張者も特別ではなく、その数も増えた。それでも海外支社の人的資源は限られている。そのため自分の専門分野やその周辺までに留まっていることが許されない。 頼れる専門家−たとえば工作機械屋のなかでの制御ソフトウェア障害を解析できる人−がいないから素人が対処しなければならない。専門分野から外れた仕事に時間を割けば割くほど、自分の専門分野での知識や経験を積む機会を失う。その結果、良くも悪くも便利屋になりかねない。そんななかで、ただの便利屋に過ぎにないのをなんでもできるオールマイティと勘違いする駐在員がでてくる。便利屋程度の知識を知識と勘違いする程度の人材が派遣されているという証左だろう。自覚があるかどうかにかかわりなく、駐在員がちょっと変わった経験のある人材に過ぎない時代になった。
それでも赴任して生活に困るようでは仕事にならないから給与の面ではそこそこ恵まれている。昔のように駐在を終わって返ってくれば家の頭金ぐらいの金が残る時代ではない。ただそれにしても赴任したその日から中の下あたりの生活は保障されている。不慣れな土地で賢い消費者にはなれない。バーゲンになるのを待っていられないし、目を皿のようにしてバーゲンを走る回るわけにも行かない。少ない人数の駐在員として即戦力を求められる。赴任したての初期段階では私生活を犠牲にしなければならないことも起きる。
赴任して一年二年と経過すれば遭遇するケースもほとんど遭遇しきって支社を背負っているような気持ちになってくる。 アメリカ人もきちんとマネージメントしているし、外注業者や顧客、行政関係ともちゃんとやっている。もうアメリカの会社の一端の経営者として実績もあるし、これからもやって行く自信もある。三年も経てば経営者として派遣された多くの駐在員が浅薄な自信をもっても不思議ではない状況(少なくともご本人の目には)、アメリカの会社よりよほどまともな経営をしているという自信が芽生えてくる。
ここでかなりの数の駐在員に帰任を避けたい気持ちが生まれる。日本は駐在員が人材として日本にいなくても機能していた。本社に戻ったところで中間管理職に毛の生えた程度のポジションしかない。しばし便利屋として駐在員のいない海外市場のサービス要員として便利に使われる。米国にいる限り支社に過ぎないにしても経営トップあるいは実務担当として誰にお伺いたてることもなくやりたいようにやっていられる。日本に帰ればお伺いたての日々になる。駐在員手当てのようなものもなくなるし、一サラリーマンとしての動きしかできない。いっそのこと米国の会社に身を売ってしまうのはどうだろうかと考える。今まで経験と業界知識を高く評価する米国企業も多いはずだ。。。
ほとんどのケースでは転職活動が実を結ばずに帰国になる。なかには転職にも成功し並外れた能力と努力でそれなりの実績を上げている人もいるだろうが、多くは伸び悩みのサラリーマン家業に落ち着く。
日本企業の海外支社での仕事は本社との日本語による情報のやり取りの交差点に立てるがゆえにあった仕事でしかな い。日本との関係が全くないアメリカの企業でアメリカ市場でアメリカの客を相手に英語でアメリカ人と互角に競争するのは不可能に近い。日本の会社の駐在員くらいの経験では気がつかない人も多いだろう。なんでもできると思っていたのがたいしたことはできないと気づけばいいのだが、それを自分の能力の限界と気がつかずに周囲の人たちのせいにする輩まででてくる。
駐在員生活で仕事を通して拾った英語程度は競争の厳しい米国の米国の仕事では通用しない。日本と米国をまたいで日本の企業にいてしか存在価値がない。傍からみればグローバルに活躍しているように見える人たちが、駐在に出た時点で日本ではいなくてもいい人材。専門職としてのキャリアパスは行き止まり。落ちるところは便利屋家業。グローバル化という言葉をよく耳にするが、これが日本の駐在員の実情だろう。
2015/2/1