答えない人たち

会社の紹介から始まって個々の主要製品の紹介、日本メーカ製品で組み上げたソリューションとの比較までできる限りのことをしてきた。時間はかかったがそのかいあってやっと引き合いが出てきた。引き合いにある要求仕様、あってあたり前のことばかりで特別なことはなにもない。米国のというより世界市場で圧倒的な立場にいる同業メーカにターンキーシステムを提供してきているのだから問題になるはずがないと考えていた。
米国のシステムソリューション事業部の営業担当を二回客に連れて行った。ターンキーシステムの機能までなら日本でなんとでも対処できるが性能となると事業部の担当者に聞くしかない。最初の訪問ではお決まりの紹介から始まって見積もり依頼したいプロジェクトの詳細と注意点をお聞きした。要求仕様に逐一答えるかたちの見積がでてくれば、後は価格と納期の話になるでの事業と連絡を取り合いながら日本で処理できる。
散々やってきたアプリケーションなのだから間違いはないはずなのだが、出てきた見積書の中核をなす仕様部分をいくら読んでも客の要求仕様にどこまで忠実に答えているのか分からない。事業部から出てきた見積をスルーして客に提出するわけにはゆかない。一出先機関ででしかないが自分で理解できない見積を客に提出しても仕事にはならない。客も分からないから当然問い合わせが入る。問い合せを受けてまともに答えられなかったらそれこそ存在価値が問われる。
届いた見積の分からない箇所について説明を要求したが、聞いていることに対する回答になっていない筋違いのことしか言ってこない。聞き方が悪かったのかと思って、図を描いて、分かっていることと確認しなければならない−分からないことを表にして、ここが分からない、教えろと、いくら聞いても確認したいことについては答えてこない。聞いてもいないことをあれこれ言ってくる。余計なことを言ってくるから混乱するだけで何の助けにもならない。
見積提出期限をちょっと遅れて言い訳付きの見積を客に提出した。これこれとこれこれは日本支社で判断しきれずに事業部に確認の問い合せをしているが要を得ない。もしかして経験豊富な技術屋であれば、あるいは顧客では分かってしまうことなのか、言葉を選びながら聞いた。見積に問い合わせ内容の一部を添付して客の指導を仰いだ。仰ぎたくないが他の選択肢があったとは思えない。
客の技術陣も分からないという。はっきりしないまま先に進めるのは危険過ぎるので事業部の担当者を呼んだ。一緒に客に行って、確認しなければならないことを聞き方を色々変えて聞いたが聞いたことに対して答えない。出てきたのは聞かれていることの周辺やら枝葉末節の解説−訪問する前に散々聞かされた−だけだった。客は呆れ、こっちは困った。それを見て平然と能書きをたれるアメリカ人の精神構造はいったいどうなっているのかと思った。 呆れた客は世界最大手が標準採用している制御プラットフォームなのだから間違いないだろうと発注してくれた。
ターンキーシステムが客に納品され、日本支社の最も優秀なアプリケーションエンジニアを客に張り付かせた。日米の制御機器に対する指向の違いを思い知らされた。米国ではもっと便利な、システムを鳥瞰する機能−ソフトウェア開発に凌ぎを削っていた。一方、ソフトウェアの開発能力では競争にすらならない日本メーカは得意のハードウェアに磨きをかけ処理の高速化を図っていた。日本メーカの高速処理を売るものにしている制御機器を米国の処理速度では劣る制御機器で置き換えても限界の高速処理をと求められない限り問題にはならない。その問題にはならないと思っていたことが起きた。客の上位システムから指令を受けた制御装置がモータを制御するが、制御が間に合わない。モータの回転数を上げてゆくと、まるで階段でも登るような感じで回転数が上がっては一息ついてまた上がる。上がってはまた一息ついてを繰り返しながら最大回転数まで上がる。上がってしまったところで生産する機械なので、生産には影響がないといえば確かに影響はない。ただ、客もこっちも事業部に騙されたと思っている。大手町にある客の本社から驚く大きさの社判を押した取引停止状が届いた。
処理速度が間に合わないであろうことを知っていて、それに関する質問に対しては言を左右にごまかし続けたとしか思えない。英語と日本語の言語の弊害ではない。その事業部には見積提出段階から騙され続けた。幸か不幸か受注してしまうと必ず詐欺としか言えないものしか提供してこない。客と目先の利益しか見ようとしない事業部の間に入って必ず客も含めて日本の誰かが傷んだ。そこには傷んだ同僚を食い物にする、踏み台にする痴れ者さえいる
外資にいれば似たようなことが日々起きる。いくら聞いても聞いたことに対して答えずに言いたいことしか言ってこないのがいる。人としてのあり方が問題になる。しばし人種差別という言葉が頭の隅を横切る。フツーの人ならそんなのとは付き合わない。なんとかフツーの人であろうと思いながら、背中で痴れ者の影を見ながら、人としてあっちゃならない人たちと渡り合ってきた。
こう言っちゃお終りだろうが、人ではなく牛馬もどきを相手しているとでも思えば腹を立てることも少なくなる。牛馬もどきに責任ということを講釈してもしょうがないのだが、何かあったら必ず人のせいにして平然としている。後にも先にも牧童を稼業とするつもりもないんだが、どこに行っても牛馬もどきの相手で人生が終わりそうな。今度牛馬もどきに自己紹介する機会があったら、「おいらは老いぼれカウボーイ。ムチの使い方は慣れてんぜ。」、”I am an old cowboy, good at whipping.”とでも言ってやろうかと思うことがある。
2014/6/29