不良品?代替品を買え

受注時に確約した納期から遅れること一ヶ月ちょっと。出荷があてにならないのはいつものこと。客には十分な糊代をつけた納期を伝えている。それでも吸収しきれない遅れがでる。どこで製造しているのか知り得る立場ではなかったが一ドルでも安いところを求めてアジアのあちこちを行ったり来たりしているのだろう。品質や納期であてになるものはないからしょっちゅうトラぶる。
やっと製品(PLCのモジュール群)がシステムインテグレータに届いた。エンジニアリング会社がPLCを火力発電所の制御システムのプラットフォームとして使用していた。PLCは汎用制御プラットフォームで用途に応じて様々な仕様のモジュールを組み合わせて使う。モジュールにはアプリケーションプログラムを実行するCPUモジュールや外部との信号のやりとりをするI/Oモジュールなどがある。何をどのように制御するかで使うモジュールが決まる。メーカは用途(制御対象の仕様)と何をしたいか(制御目的)に応じて様々な種類のモジュールを提供している。
システムインテグレータは当然以前のシステムで使用したものを流用するが、それでもアプリケーションプログラムの開発には最短でも一ヶ月以上かかる。システムの動作確認作業などの期間を入れると、システムインテグレータとしては出荷の二三ヶ月前にはPLCが欲しい。PLCの納品遅れで日程がずれ込んでも、システムインテグレータからエンジニアリング会社への納期は崩せない。日程の遅れを取り戻すべくタイトなスケジュールが組まれる。
納品して数日後に慌てた口調の電話が入った。やっと届いたモジュールの二台がどうみても不良品としか思えない。同じモジュールと入れ替えてみたらそっちは動く。一日も早く不良品二台の代替え品を送ってもらいたい。納期は一月以上遅れるは、着いてみれば不良品。エンジニアリング会社への出荷日は決まっている。PLCの納品遅れでもう出荷日を守れない可能性が高い。残業と休日出勤で遅れをカバーしなければならないところに不良品。ふんだり蹴ったりで口調も荒い。 代替品を調達しようと、まず不良内容―dead on arrivalを上海のアジア地区サービス部隊に連絡してReturn authorization codeを発行してもらった。このcodeが不良品として返却の受付番号になる。この受付番号なしでは不良品として存在しないことになる。ここまでは米国の製造業などでフツーのやりかたでしかない。問題はその次にある。顧客での製品の障害に出来るだけ迅速に対応しようとしているメーカでは呼び名はAdvance shipmentだったりHot swapだったり様々だが即代替品を発送する。客からの不良品の返却とその後の障害原因追求は後で時間をかけてしっかりやればいい。
経営の専門家による財務の視点で株主価値の最大化を経営の目的としてきた米国系のコングロマリットでは口とは裏腹にサービスの質も体制も劣化してしまっていた。Return authorization codeの発行を待って不良品をサービス部隊に送るのはいいが代替品を用意するシステムがない。客から送られてきた不良品は、障害原因を確認して修理して完動品として客に返送する。次々とサービス部隊に不良品が送られてくる。修理して送り返す製品より修理依頼で入ってくる製品の方が多いだろう。製品修理のサービス部隊。実はあっても利益など上がりようがない。そんな部隊にリソース投入するような立派なマネージャが残れるような文化は遠の昔になくなった。
修理した製品が客に戻るには最短で二ヶ月かかる。修理上がりに二ヶ月待っていられるプロジェクトは少ない。ほとんどの客は待っていられない。
納入の時点で一ヶ月以上の遅れを出している。客は即新品との交換を要求する。あたり前だろう。そのあたりを実践している同業がアメリカにもある。ところがその当たり前があたり前だった時代もあったのだろうとしか言えないメーカもある。そこには実務から離れたというより実務に関与したこともないし興味もない経営の専門家によって経営される今日日の優良企業の実態がある。
納期遅れの不良品の代替品を即よこせという客の言い分、言われなくて分かる。言い分が分かるというより言われなくてもしてきた。することが常識と、それ以外の常識のありようなどありえないと思ってきた。日本支社の責任者として自分のというより、社会の常識というべき常識に基いて自分を、自分たちを律せなければ自分も社会もありえようがない。
上司は経営の専門家。企業内の自分の立場と金には固執するが、客や業界はおろか社会にも興味がない。そもそも自分の考えがない。事業部のやり方、しばし恣意的に運用決定される上司の命令に従順に従って、命令に輪をかけた施策で得点稼ぎを試みる。
本来代替品をいつ提供できるか、時間との競争のはずのものが競争にならない。代替品の納期交渉に入る前に不良品は修理で対応することになっているから、代替品は提供できない。代替品が必要なら代替品を注文して頂きたいと技術部隊から連絡が入る。当然客は激怒する。「こんな言い合いで時間をとっていたらそれでなくても回復の難しい遅れがでているのに、ふざけるなっ。」怒って当たり前、怒られて当たり前でしかない。
客に言われるまでもなく代替品を提供すべくインドにいる上司と何度も言い合った。代替品を即提供しないのは、もう二度と買ってもらわなくていいですよと最後通告をするようなものだ。。。散々言い合って、日本支社の負担で代替品を買って客に無償提供してもよいと了承してもらった。大した金ではないがコストカットしか能力の示しようのない上司にしてみれば配下の日本支社の金の管理を日本に任せるつもりはない。任せれば日本の常識と業界人としての良識で判断する。その判断、極端な場合は上司に、会社に弓引くことになりかねない。もし引かれたら。上司としての自分の立場を心配していた。
弓を引くの引かないのしか考えられない人たち、経営の専門家なのだろう。自分の利益のために企業がある。そこには社会もなければ、社会のなかの自分もない。そうでなければ経営の専門家たりえない。そのたりえない人たちによって経営される私企業。その私企業、社会の中の企業たりえるのか、反社会的でない存在としてありえるのか。
不良品の代替品を買わせる。買わせれば利益はでるが、修理したのでは利益はでない。ましてや代替品を無償提供するなどありえない。そのありえないのが手本としてもてはやされて久しい。もてはやした言葉を見聞きするたびに何をどこまで知っての話なのかと訝しく、また情けなく思う。もてはやすのは、一度不良品を買わされてみてからにした方がいい。
2014/11/9