理念や信条で片が付くのか

バタバタしながらどうしたものかと考え込む。答えを出し切れずに違うバタバタに引きずられる。引きずられたバタバタがひと段落したとき、答えを出しきれずに放りっぱなしにしてきたバタバタが、時間がないぞ、どうするって迫ってくる。答えは可能性を膨らましてもいくつもない。どこにでもあるフツーの話し。「彼方を立てれば此方が立たず。」ということでしかない。
いくら考えたところで出し得る答えは決まっている。支配者−海の向こうの神官がそれ以外の答えを受け付けない。理をつくして情に照らして真っ当に考えれば、その答えはありえない。出さなければならない答えを出さなければならないのに出してはならない答えを出さざるを得ない。一歩下がったにしても、ありえない答えを受け入れざるを得ない。それをサラリーマンだからしょうがないという一言で、ほおっかむりして先に進んで行くだけの勇気?がない。あっちゃならない勇気、そんなもの持っちゃいけないと言うもう一人の自分がいる
一職業人として以上に一社会人として出してはならない答えを出さざるを得ない状況に追い込まれる。なぜそんな状況に追い込まれてしまったのか、そこに至った経緯や利害で押し合いへし合いしている関係者の立場や主張を何度も反芻するが、誰もそこまで真摯に考えているようには見えない。交錯する利害のなかであまりに徒疎(あだおろそ)か、何も考えもせずに自分の立場と利益を主張したいだけ主張すればいいと思っている。極論すればそこまでの人であり知能というだけかもしれない。
真っ当に考えれば、安易に自分の利益だけを主張しえる立場にはいない。それどころか関係者の意見や要求を鑑みることもなく問題を作った張本人、そして問題をここまで拗らせた張本人が自己保全の主張だけを繰り返す。拗れてしまった根幹の部分をどうするということもなく枝葉末節を振り回した主張、問題解決の邪魔にはなっても助けにはならない。
そんな状況に絡めば、こっちには何のとくにもならないどころか怪我をしかねない。なぜその人たちの立場や利害をそこまで考慮にいれて考え込まなければならないのか。なぜそのような立場にいざるを得ないのか損な役回りと思って、二度と似たような役回りは御免だと思っているのに何時の間にやら似たような深みにはまっている。仕事は水と似たところがあって流れ易いところに流れて、流れ難い、流れないところには流れない。どの沼のなかで経験し勉強させてもらってると思えばいいじゃないかという自分を説得する自分に腹が立つことがある。
主役の大根役者が自作自演の三文オペラで問題を作って拗らせて、ごちゃごちゃにしてしまう。安物のプライドを振り回すだけでごちゃごちゃを解きほぐす能力もないし意思もない。結局は裏方の便利屋の出番になる。裏方にはプライドはあっても、あるだけ邪魔な振り回し易い安物のプライドなどない。汚れ仕事には慣れている。ごちゃごちゃを解きほぐして、安物のプライドから吹き出た夾雑物を取り除いて、欠けた情報やデータを補修して、経緯も落としどころも、解決への具体的な処理方法も含めた鳥瞰図を描ききる。
全体像が描けたとして、格好を付けたい大根役者のエライさんが自分の考えで自分が決めたと思ってもらわなければならない。エライさんの誰が何を何に基づいて決断したと演技させるのか。シナリオを説明したとして大根役者は理解できるのか。振付けたとしてはたして演技しきれるのか。。。。学芸会のような三文オペラが無事終わってしゃんしゃんになるまで気が抜けない。終われば終わったで後始末に走り回る。
鳥瞰図には関係者の主張もバイアスも入れ込み済み。その主張やバイアス、どのような視点でどれほど理にかなっているのか、人としての情に薄すぎやしないか。。。あれこれの判断基準とでもいうのか常識に裏づけられた理念や、誰もが持っているはずの心情に照らし合わせてが気になる。
状況に応じてどっちに厚くどっちは薄く。どっちかの利が勝ってどっちかの利がへこむ。勝のもへこむのも利。利であって理でないことがせめての救い。そもそも誰もがいつでも納得するロジックなどありえるのか。全てのケースに、全ての利害関係者に適用できる判断基準や指針のようなものがあったらもうちょっと楽なのにと思う。
経験してきた処理、考え込んで悩んだ末に作り上げてきた判断基準。それなりに磨き上げられた判断基準のはずと勝手に思っているが、どこまで世間一般で受け入れられるものなのか分からない。これしかない合理的なロジックと思ったところで、誰も納得しなければ、なんのための合理性かという話になる。人情を忘れることはない。それでも合理的ででしかありえない。できるだけバイアスのない判断基準、自らの利益を一番下に置いたバイアスをかけた判断基準、ふらつかない判断基準を作り上げたいと努力してきた。
人によってはオレの信条は苦労することなく金を儲けるだけだと平然と言ってのけるのまでいる。中身のない人に限ってドタバタ悲喜劇の主人公として格好だけはつけようとする。その中身にない格好付けを格好いいと惹かれる痴れ者集団。言い出したらきりがない。
ものの本には整合性のある社会で公認された整合性のある理念や信条が溢れている。それは本や理論の仮想世界での話で、実社会にはご都合主義はあっても整合性などないのかもしれないと。。。。でも、まさかそれはないだろう。あるはず、ないはずないと思いながら世事に流される。
フツーに考えれば損な役どころでしかない。でも、その損な役どころをこなすところから実力が培われる。損な役どころに身をおくこともなく、きれいなところに身をおいていたら格好をつけるのが精一杯。格好をつける以外にできる事といえば阿るだけになるだろう。大根役者とその取り巻き連中。巷の三文オペラ、できることならそろそろお開きにした方がいい。いつも裏方がいるわけじゃない。
2015/2/10