重石の人たち

産業用制御機器の専業メーカとして二万人以上の従業員を抱え、本国でも世界市場でもそれなりに知られた会社の日本の支社。開設して十年以上経っても一向に立ち上がる気配がなかった。立ち上がらない最大の原因は、外資大手が日本市場に進出する際に犯しがちな間違いを、いくつも重ねていたことにあった。間違いの中で致命的なのはマネージメント層の人材だった。
支社と言っても物やサービスを販売する一営業拠点に過ぎない。当面の課題は、アメリカ市場の顧客の業界と同じ日本の業界への販売の足がかりを、どのようにして掴むかになる。たとえて言うなら、自動車産業ビジネスがアメリカで上手く行っているのなら、日本でも自動車産業に注目しようとする。この判断、間違ってはいない。
米国本社の主要事業部から駐在員を派遣するが、米国人だけで日本市場は切り開けない。彼らの手となり、目となり耳となる実務部隊の構築が始まる。それなりの経験や実績のある人材を中途採用してゆくが、それと平行して部長や課長レベルのマネージメント層の人材探しになる。
単純なアメリカ人の発想で、物を売るんだったら、市場へのアクセスだったら、大手総合商社に相談すればなんとかなるのではないかと考えた。アメリカ人の社長の下に、本部長として総合商社から一人ずつ、三人もらいうけた。そこに日本のパートナーとの関係で、これは引き取らざるをえなかったのだろうが、退官した通産官僚がいた。
四人がそれぞれ本部長として、部長や課長のポジションに知り合いを連れ来た。個人的な関係で本部長−部長−課長のラインが出来上がった。ラインが出来上がっているところに実部部隊の一員として、三十歳半ばに主任として雇われた。初めての外資勤めだった。マネージメント層との面接やらなんやらで聞く話は、泥臭い工作機械屋の世界とは違って、輝いているように見えた。その輝き、中味のない上っ面の話だからに過ぎなかった。
当初、耳慣れない部署名や製品名などの固有名詞で戸惑ったが、社独特のことが分かってしまえば特別なことは何もない。元は機械屋だったが工作機械メーカで制御の勉強をしてきた。余程特異な用途でもない限り、どんなアプリケーションでもそこそこ分かるし、ちょっと要点を聞けば初めてのことでも大まかな見当はついた。
支社が立ち上がらない原因は製品でも本社の組織でもなく支社のマネージメント層にあった。上司連中との話になると、何をどう説明していいのか分からない。何を話しても分かったような顔をしているのだが、どこまで何が分かっているのか分からない。言動から想像する限りでは何が分かっているとも思えない。聞けば聞くほど、格好をつけているだけで中味という中味がない。これでどうやってマネージメントしてきたのか、してゆくつもりなのか分からなかった。
人員構成は大まか次のようになっていた。大手商社の次長クラスが引っ張ってきた部課長レベルのマネージメント層。なんらかの経験と実績を買われて雇われた、主任以下の実務レベルの技術屋。実務レベルのなかに二年続けて採用された新卒者が五十人以上いた。
フォードの十何年かに一度の設備投資を受注して、気が大きくなったアメリカ人の社長が将来の人材として新卒を採用した。社内中どこにも右も左も分からない新卒の集団がいた。何があるわけでもない。元気がいいだけで煩い。中途採用された実務レベルの人たちは、出身業界や企業の文化を引きずって、それぞれが違う方言(用語)を話していた。とても新卒者を束にしてトレーニングできるような状態ではなかった。
そんな状態で数年経って、誰の目にも支社としてどうしようもない状態に陥っていることがはっきりした。資本金四億円に対して累積負債二十億円以上。米国本社の親会社の決定だったのだろう。米国の親会社の日本支社の社長が社長として整理に派遣された。
全機能不全と言っても言い過ぎではない組織の解体と再構築が始まった。二年かけて百五十人いた従業員を五十人にまで絞った。巷の目でみれば、過酷な解雇とリストラに見えたと思う。新卒者のなかからも何人にもが解雇された。本部長から課長までのマネージメント層はほんの数人を除いてごっそりいなくなった。
退社された方々には気の毒だが、という世間体を気にした枕詞をつけて話さなければならないのかもしれないが、本音を言えば、いなくなって清々した。
最低限押さえておかなければならない分野や領域でろくに経験も知識もない人たちが、昔とった杵柄を場違いなところで振り回して、何も真摯に学ぼうとしない。合従連衡しながら、あるときは反目しあい、あるときは呉越同舟を絵に描いたような政治的な動きしかしないでマネージメントもないだろう。広い狭いはあってもそれぞれが交差点に立って、交通事情など知ろうともしないで、権限を振り回しては、振り回した権限に自らが酔っていた。走っている車に、誰が見ても合理的とは思えない命令を下す。指示された通りに交差点に出たら、事故るのが分かっているから誰も指示に従わない。従わないと言うより従いようがない。交差点にある障害物より性質が悪い。障害物はただの物で指示してこない。何をしようにも彼らの権限の発露が優先され、ビジネスにも仕事にもならなかった。
階層を成した、いない方がいい人たちがいなくなって、実務部隊が動けるようになった。何をするにも一々お伺いを立てなければならなかったのが、それもこっちの管理職の顔色を見ながら、あっちの管理職の反感をかわないように注意するような必要がなくなった。自分たちで考えて、自分たちで判断して、自分たちの責任で仕事をしてゆけるようになった。上がいなくなった分、成績を上げれば昇給も期待できた。百五十人を五十人に減らして、売上げが急増した。従業員の半分近くがただの重石か、政治的な動きに毒された人たちでお荷物以外の何物でもなかった。
重石にしかなれない人たちに共通した特徴があった。格好をつけようとする気持ちしかない。いい歳をして、実力や努力が他人から見たときにどう見えるかが格好だという格好の本質を理解していない。歳相応、立場上の格好をつけようとしていたが、実力を培うための地味な努力を長年疎み続けてきたから、必然として現れる格好の裏づけがない。張子の虎のようにその時その時にどう格好をつけるかに腐心するしかない。重石になってしまった人たち、社会に出て、勉強をしなければならないということを、勉強する機会を得られなかった不幸な人たちかもしれない。そうかもしれないと思いつつ、とても同情する気になれない。絵に描いたような自業自得。
了見が狭すぎる、情けないとは思うのだが、あの人たちの言動からは、ただの怠け者か人を利用することしか考えない小狡い人たちにしか見えなかった。
2015/6/7