同じ轍を踏む−アップル(改版1)

「iPhoneはMacintoshと同じように必ず凋落する」と知り合いに言い続けてきた。凋落しないはずがないと思いながらも、好調な事業のニュースを聞くたび、そう考える自分の知識と理解に対する不安があった。いつ始まるかと期待半分、不安半分で見てきたが、やっとアップルの凋落が誰の目にもはっきりしてきた。アップルとその支持者には叱られそうだが、凋落の兆しにほっとしている。今は、スティーブ・ジョブスを持ち上げてきた評論家どもの手の裏の返しよう、どのみち駄論しかでてきやしないだろうが、何を言い出すのかを楽しみにしている。
アップルはMacintoshの失敗から学ばないのか?なぜ似たようなことを繰り返すのか?どうも説明がつかない。一見アップルの問題に見えるが、それはアップルがどうのいうより、背景にある金融主体の経済構造の問題のような気がする。

アップルから市場を概観すると、パソコン市場で起きたこととよく似たことがスマホの市場で起き始めているように見える。もしそうなら、パソコン市場で起きたことをみれば、何がスマホ市場で起き始め、これから何が起きるのか予想がつくかもしれない。そう思って、パソコンの歴史を大雑把に辿ることにした。
ただ、パソコンの専門家でもない用途限定の一ユーザ、限られた知識しかない。パソコンの開発や製造に関わったこともないのに何を言っているのかと言われそうだが、大筋では間違っていないと思う。多少の誤解や見落としはご容赦を。

1)Apple II以前のコンピュータ
七十年代中頃までは、コンピュータとはメインフレームのことだった。それは大きな装置でエアコンの利いた部屋に鎮座していた。メインフレームは一台の演算処理装置と記憶装置に外部とのデータのやり取りする周辺機器から構成されていた。そのメインフレームに何台ものダムターミナルと呼ばれるCRTとキーボードのセットが接続されていた。データを処理するのはメインフレームで、人が直接操作するダムターミナルはそれ自体ではデータを処理しない。千手観音をイメージすればいいかもしれない。観音さまの本体がメインフレームで、千手がダムターミナルに相当する。
人がダムターミナルを使ってコンピュータとデータのやり取りをするのだが、コンピュータが人の作業速度をはるかに超えるデータ処理能力をもっていることから、このような一台で何人もの相手する構成が合理的だった。
<余談>
パソコンが普及して、一人で一台のパソコンを使って、パソコン上でデータを処理してきた。通信技術の発達がインターネットを日常のインフラにした。それによりパソコンも含めたコンピュータ間のデータ通信が容易になった。ここで興味深いことが起きた。インターネットを介したデータ処理では、メインフレームがデータセンターやサーバーに、個々のダムターミナルがそれぞれのパソコンという、パソコン登場の前と似たような構成がよみがえった。
IE(インターネットエクスプローラ)やGoogle Chromeはブラウザーと呼ばれるアプリケーションソフトウェアで、どこかのメインフレームやサーバーが処理した結果をパソコンの画面に表示している。処理はあっちで表示はこっちが、あたかも自分で使っているパソコンが全て処理しているように見せている。

2)スティーブ・ジョブスがパソコンを作った
データ通信が貧弱だったため、メインフレームが置かれたコンピュータルームの近くにダムターミナルやデータ入出力装置が置かれていた。コンピュータを使いたい人は使用予約をして、順番が来るのを待っているのがフツーの風景だった。
予約には地位によって優先される人もいれば、その逆の人たちもいる。多くの学生や立場の弱い人たちは、自分で自由に使えるコンピュータを夢見た。スティーブ・ジョブスがその夢をApple Iで実現可能であることと、それがビジネスとして成り立つことを証明した。
1976年にはApple Iの問題点を解決して、CRTや外部入出力にキーボードまで含めたオールインワンのApple IIを、フツーの人たちにも手の届く価格で市場投入した。Apple II は、基本構成でみればワンボードマイコンでしかないが、パソコンの基本的な機能がパッケージ化されていて、買ってきて電源を入れれば、即使えた。
Apple IIが、コンピュータは大学や企業などの組織しか持てないと思っていた人たちや巷の愛好家に、自分の個人のコンピュータを持てる時代が来たこと告げた。
ここで一つ注意しておくべきことがある。スティーブ・ジョブスは、コンピュータの新時代の幕開けの大役を担ったが、エジソンのように何かを発明したわけではない。既にある技術、市販の部品を組み合わせてパーソナルコンピュータを作って、そこに新しい市場があることを証明した。それだけと言うと、ちょっと言い過ぎの感があるが、これはiPodでもiPhoneでも同じことが言える。

3)PC/AT(IBM-AT)と互換機+MS-DOS(マイクロソフト)
Apple IIの成功がパソコン市場−新しい市場があること、それが大きな成長を期待できる市場であることを証明した。そこにIBMがPC/AT(The Personal Computer for Advanced Technologies 5170)を発表した。メインフレームを主体事業としていたIBMはパソコンにはオープンアーキテクチャー政策を採用し、PC/ATの内部仕様を公開した。
このオープンアーキテクチャー政策が多数のパソコンメーカの市場参入を可能にした。極端な言い方をすれば公開された仕様に基づいて基板を作って、主要部品を搭載すればパソコンのハードウェアが出来上がる。そのハードウェアにマイクロソフトのMS-DOS(OS)をインストールして、あとは市販のパッケージソフトウェアを購入すれば使えるパソコンが出来上がる。規格に沿って入れ物を作って臓物を入れれば出来上がる。パソコンがあたかもお弁当のようになった。

4)アップル対PC/AT+MS-DOSの争い
Apple IIのオールインワンの成功のゆえか、AppleはハードウェアもOSも、主要汎用アプリケーションソフトウェアも自社で提供する政策に固執した。それに引き替えPC/ATはその始まりからオープンアーキテクチャーで、誰でも市場のプレーヤになれた。ビデオのベータマックスとVHSの争いに似ている。ソニーがベータマックスで孤城に立てこもっているところに、ソニー以外のメーカが集まって、よってたかってVHSを良くして行った。
PC/ATで何十社というパソコンメーカが製品開発と価格で凌ぎを削っているところに、Apple IIはアップルしかない。 Apple IIはパソコン時代の幕開けを告げてその役目を終え、普及したのはPC/AT+MS-DOSだった。

5)スティーブ・ジョブスがパソコンを文房具にした
PC/AT+MS-DOSに市場を席巻されたアップルが起死回生のMacintoshを開発した。PC/AT+MS-DOSではパソコンはコンピュータ然としたオペレータインターフェース(文字しか表示しない)しか提供しない。コンピュータに関する知識の十分でない人たちでも使えたが、日常の事務処理には決して使いやすいものではなかった。今ではユーザフレンドリーが当たり前になって、耳にすることがなくなったが、それが言われ出すきっかけをMacintoshが作ったと言ってもいいだろう。
MacintoshはGUI(グラフィカル・ユーザ・インタフェース)を備えることで、コンピュータであることを意識することなく、多くの人たちが容易に使えるパソコンを提供した。CPUとメモリ素子の進歩がGUIが必要とするデータ処理を可能にしていた。Macintoshの出現でパソコンが文房具になった。ここでもアップルはオールインワン政策を踏襲した。ハードウェアもOSも主要アプリケーションソフトウェアもアップルが提供する、一言で言えば利益の独り占めを目論んだ。ハードウェアメーカもソフトウェア開発会社もアップルの傘下でベンダーとしての役割に甘んじることを要求された。

6)Windows OSでマイクロソフトが切り返した
後方互換性(バックワードコンパチビリティ)という先行メーカが陥る宿痾の問題がある。マイクロソフトはMS-DOSでパソコン市場を制覇した。制覇したことによって、GUIを提供する新しいOSはMS-DOSの機能を保たなければならないという足かせがあった。そこで、後方互換性を保つために、MS-DOSにGUIの表面(おもてづら)をかぶせることにした。ユーザが見る画面はGUIなのだが、その下でMS-DOSが走っているという折衷案のようなOS、Windowsを市場投入した。時代遅れの屋台骨に最新もどきの外観という状態で、口の悪いソフトウェアエンジニア連中は、「ババアの厚化粧」と揶揄したもので、Macintoshと比べると動作はぎこちないし、処理速度がかかりすぎる情けないものだった。
ここでCPUとメモリの進化がマイクロソフトに味方した。ハードウェアの処理速度の向上が多少ごちゃごちゃしたOSを力任せに実行しても実用に耐えるようになっていった。マイクロソフトの社運をかけた開発努力とハードウェアの能力向上によって、WindowsがMacintoshと比べてそん色ないものになっていった。既にパソコン市場ではPC/AT互換機とMS-DOSが支配的だったことから、MacintoshのGUIの優位性が急速に失われ、コンピュータグラフィックスを扱うニッチな用途にMacintoshが押し込まれた。

7)スティーブ・ジョブスがモバイル時代を先行した
スティーブ・ジョブスがiPodでアップルを再生した。iPodは技術的には何も新味のない製品だった。iPodが開発される前に、既にシンガポールのCreative Technology社がiPodに相当するものを開発し特許すらとっていた。後発のアップルはCreative Technology社に特許料を支払っている。
スティーブ・ジョブスの功績は、iPodという商品単体ではなく、インターネットで音楽をダウンロードして、それに課金する市場関係者との協業体制というビジネスモデルを構築したことにある。
iPodに続いてiPhoneの成功でアップルが再びコンピュータ業界に新しい市場があることを証明した。ただし、先に言及したように、既存の技術を組み合わせて作られたもので、新しい技術を開発したわけではない。

iPhoneと競合する製品の開発は技術的にはさほど難しいものではない。ましてやGoogleがライセンスフリーで提供するOS Androidまである。たいした時間もかからないうちに、商品としてもビジネスモデルにしても二番煎じ三番煎じが出てくる。アップルがiPhoneで先行した実績を基にプレミアム価格を維持すれば、後発メーカは多少商品やビジネスモデルで遅れをとっていてもアップルと競合しやすい。別の言い方をすれば、アップルの高価格政策が後発メーカの市場参入を促してきたともいえる。

8)マーケティングのいろは
マーケティング関係の教科書のような本には、先行者に対する後発企業の追い上げに関するケーススタディがいくつも書かれている。定番のケーススタディの一つとしてデュポン社のナイロンがある。事実は分からないが、本に書かれていたと記憶しているのだが、デュポン社はナイロンの生産規模の拡大を急いで、価格をどんどん下げて行った。特許で縛っても、似たような製品を開発して市場参入を図る企業がでてくる。後発メーカの市場参入を防ぐ有効な手段として、先行者の規模の拡大と低価格戦略がある。後発メーカが市場参入−先行メーカと競合するには、初めから大きな生産能力と販売体制と競合し得る価格の提示が必要になる。
アップルはパソコンでアップル帝国のようなかたちの一人独占体制を試みたが、オープンプラットフォームに参集したアップル以外のハードウェアメーカとソフトウェアメーカの連合体にハードウェア、ソフトウェアの機能や性能もさることながら、特に価格で競合性を失っていった。

9) 同じ轍を踏む理由
アップルは、パソコン市場で犯した失敗をスマートフォンで繰り返しているように見える。スティーブ・ジョブスも含めてアップルの経営陣がデュポン社の戦略を知らないはずがない。競合メーカが廉価な製品とサービスを武器にスマートフォンの市場に参入してくるのが分かっていて、デュポン社に代表される伝統的な戦略をとりえない制約があるとしか考えられない。
その制約とは何か?想像の域をでないが、デュポン社に長期戦略をとることを許した当時の金融市場と今日日の短期の利益を至上価値と考える金融資本の圧力の違いが根底にあるような気がしてならない。さらに二度にわたる世界大戦で、ありあまる資金を手にしていたデュポンとベンチャーキャピタルを含めた金融資本に頼らざるを得なかったアップルの違いがある。金融資本の支援で立ち上がったアップルが、今でも金融資本の価値判断−株価と四半期毎の利益−の上でしか経営できないでいるように見える。

アップルの衰退の兆候がはっきりしてきたとき、金融資本は将来の成長に不安のあるアップルから成長を期待できる新規参入者へ資金を移動するだけなのかもしれない。Macintoshで失敗しても、まだiPhoneでアップルを再生したスティーブ・ジョブスというカリスマが健在だった。iPhoneで同じ失敗を繰り返したら、スティーブ・ジョブスに代わる人がいるのか?もし代わりえる人が出てきたとして、金融市場がその人が代わりを務め得るまで待てるのか?

10)ハードウェアとサービスの価格バランス
起きるべきして起きることがスマホ市場で起きている。スマホ本体が五万円なら、月一万円の通信料も違和感がない。ではスマホ本体の価格が二万円になったらどうだろう。月一万円の通信料が理不尽に高いものに感じる。アップルは高利益率に固執してiPhoneの本体価格を高値に保ってきた。そのおかげで電話会社も高利益を享受できた。
iPhoneの競合が廉価スマホを市場投入しはじめたとたん、通信料の引き下げ圧力を受ける。格安SIMという、格安ではなく、それがあるべき価格なのだが、電話会社もスマホ本体の価格崩壊に引きずられて市場の常識に従った通信料の電話ビジネスへの移行を余儀なくされる。
人でも企業でも同じように下方硬直性がある。贅沢な生活への移行は快適だが、質素な生活への切り替えは難しい。儲かっていた企業にはそれなりの贅肉が付いている。贅肉を落とすダイエットが既に始まっているのだろうが、本格的なリストラはこれからだろう。市場の拡大が望めない日本でスマホも通信サービスもコモディティ化が進めば、リーンオペレーションの競争になる。消費者にとってはいいことだが、働く身になって考えると辛い時代が始まっている。
2016/4/10