今までの方がいい?(改版1)

二〇〇六年頃だったと思うが、時間潰しに入った浜松町の本屋で偶然『The Machine That Changed The World』と題した本を見つけた。Lean ProductionというサブタイトルにひかれてPrefaceを斜め読みした。うろ覚えだが、そこにはおおよそ次のようなことが書かれていた。

日米欧の学者がアメリカの大学の入り口で偶然出会った。そこで、日米欧の自動車産業の生産性について調査してみる価値はあるんじゃないかという話になった。調査するには資金も必要だ。資金集めから始めなければならない。資金集めといっても、偏った集め方をすると、資金を提供したところから調査研究にバイアスがかかりかねない。トヨタウェイやホンダウェイなどというお手盛りの研究はしたくない。
そのためには、日米欧三極の自動車関連業界から均等に資金援助を引き出す必要がある。一社からは最大でも全体資金(ざっと二十億円)の五パーセントを超える支援は受け取らないことにしよう。ここまで読んで、高々千数百円のペーパーバックを買わないわけには行かない。産学協同の美名(?)のもとに、タニマチ探しに奔走している先生方の顔が浮かんだ。

何度も読み返すほどの本でもなし、今は手元にない。内容の詳細は覚えていない。本のサイトで調べて驚いた。記憶ではどのメーカからのバイアスも受けない調査研究だったはずなのに、サイト上では次のように紹介されている。
「The Machine That Changed the World: The Story of Lean Production--- Toyota's Secret Weapon in the Global Car Wars That Is Now Revolutionizing World Industry」

サイトには表紙も表示されている。読んでよかったと思った本の表紙やタイトルを違う本と間違えるほどもうろくしてはない。Prefaceにあった大見得とも受け取れる基本姿勢を崩すことに関係者全員が合意したのか?リファレンスにトヨタをもってきて、似たような大掛かりな調査をし直して、改版されたとは想像できない。誰かの商業主義がトヨタの名前を出すことにしただけだろう。読んだ本とサイトに掲載されていた本は同じ本だと考えて話を進める。たとえサブタイトルであったとしても、Toyota’s Secretなどと謳った本を引き合いに出した話と思われたのでは困る。

いくつかの印象的な調査があったが、最も興味を引いたのはGMかFordの最新鋭工場と時代物の工場の生産性の比較だった。記憶が薄れているが次のような記述だった。調査したら、最新鋭工場より時代物(Old factory)の工場の方が生産性がはっきり高かった。何かの間違いではないか?再調査しなければならない。再調査の結果は先の調査結果を裏付けるものだった。

この調査結果に驚くのがフツーだろうが、技術屋の視点でみれば、かなりの確立でありうると断言できる。記述からでは、どのような最新工場なのか、工場が完全(定義?)稼動してから、どのくらい安定して稼動してきているのか分からない。新しい技術であればあるほど、さまざまな(初期)障害に遭遇する。新しい技術を採用すれば、そこで遭遇する障害も未経験のものが多く、解決への指針すらないこともある。技術屋の常識だ。

生産ラインでは、持病持ちのように常に障害と二人三脚で生産活動が続けられる。続けながら一つひとつ障害を解決、あるいは障害の影響を問題にならないレベルにまで低下させてゆく。最新工場がはたしてこの状態にまで達していたのか?達していなければ、ほぼ完璧に宿痾の問題まで把握して、だましだまし生産を続けている歴史的な工場の方が生産性が高い可能性がある。

ちょっと極端な比喩になるが、ホースレスキャリッジ(馬のいらない馬車)と呼ばれていたころの自動車の実用性や信頼性を想像してみれば分かり易いかもしれない。ホースレスキャリッジ、今日日の常識ではとても使えたものではなかった。新し物好きの金持ちが、道楽で乗りまわす苦労を楽しむためのガラクタのようなものだったろう。とんでもないコストをかけて、走ってみるまで、走っているうちにも、どうなるか分からない代物だった。一方馬車は既に馬車として完成された乗り物だった。実用性と信頼性という言葉が馬車にはあったが、ホースレスキャリッジにはあり得ようがなかった。

新しい技術ややり方が従来の技術ややり方を凌駕するまでには、それが使い物になるレベルに成熟するまでの時間と労力、さらにそれを育てようとする熱意と忍耐が欠かせない。今までの技術ややり方では遭遇したことのない、さまざまな問題や課題に直面して、一つひとつ解決してゆくことによって、技術もやり方も進化して社会も発展してゆく。

生産性も含めて全てが計算にのっている世界にいて、従来からの技術ややり方に慣れていれば、新しい技術やり方の必要性を感じない。そのような人たちは往々にして新しい技術ややり方を冷ややかにみて、障害や課題の解決に奔走している人たちを軽蔑し馬鹿にする。なかには邪魔する者までいる。
新しい技術ややり方が必ずしも上手くゆくとは限らないどころか、しばし失敗するから、そのような人たちの軽蔑にも一理はある。空を飛ぼうとした町の発明家のチャレンジを見れば分かる。

周囲の大勢に軽蔑され馬鹿にされながら、新しい技術ややり方にチャレンジする。チャレンジして失敗する。そして失敗のなかから人々は新しいことを学び、それを糧にして次の新しい技術ややり方の開発を進める。それを馬鹿な行為とみなす人たちと邁進しようとする人たち、どちらが次の社会を作り上げて行くのか。自明の理だろう。

[技術屋の視点]
調査研究された先生方のなかに、大量生産設備の稼動に携わった、あるいは知識のある人がいなかったのか?従来からの枯れた技術とやり方を採用した工場でも、新工場をフル生産に立ち上げるにはかなりの労力と時間がかかる。立ち上がりきらない新工場の生産性を、安定操業している従来からの工場の生産性と比較した調査だったとは書いてなかったが。
生産性云々はいいが、スーツを着て工場見学をしているようでは、根拠や条件のはっきりしない上っ面の数字だけの比較しかできない。戦場を知らない戦争屋みたいなもんだろう。

2016/10/16