翻訳屋に(7)―そのまえは

高専の機械工学科を卒業して、機械屋になりたくて工作機械メーカに就職したが、そんな思いはあっけなく終わった。数年後には技術屋への途から外れて、輸出業務担当の子会社に出向していた。その後、活動家仲間の身分保全の裁判にかかわって、いてもしょうがない会社がいられない会社になっていた。

入社してもうすぐ十年、気がつけば海外市場のクレーム処理の便利屋になっていた。海外支社や顧客から届く技術的な障害の解決を求めるファックスを受けては、工場の関係部署を走ずり回っていた。一所懸命やればやるほど、使いまわしの利く便利屋になっていく。便利屋なんかやってられるかという気にもなる。でも、そこで手を抜いたら自分で自分を腐らせる。頑張ってやっていれば陰で応援してくれる人たちもいる。バタバタしていれば忙しさが生み出す充実感もある。ただその充実感に酔ったまま年をとってゆく気にはなれない。

保証期間中の機械の油圧バルブが不良で機械が止まっている。一日も早く交換品を送ってくれというファックスが届いた。海外の客の多くがジョブショップと呼ばれる零細な賃加工屋で、代替えの機械があるケースは少ない。交換品の提供に一ヶ月もかかったら、それこそ会社の存続にかかわる。

本来の仕事の流れでは、海外技術課から工務部宛に、クレームレポートを呈出すれば終わりなのだが、そんなことをしていたら、何時になったら交換品が出荷されるのか分からない。工務部が工場の生産管理の中枢にいて、部品加工、部品組み立て、総組立、電気部、検査、購入品の手配なら購買部、……が整然と動いてゆくのだが、どこも生産のための日程管理はしているが、飛び込みの障害対策の工数を勘定にいれていない。
それでも国内営業はトップからトップへの話で、工場に緊急処理を要請することもできる。為替変動による経営への影響が大きくなりすぎないようにという考えから輸出は子会社まかせで、子会社から工場への政治力はないに等しい。

客の窮状が目に浮かぶから、書類をまわしてで終われない。クレームレポートを持って、工務部の課長にざっと状況を説明して、ラインから外れた特急処理の許可をもらう。
許可をもらったところで何が起きる訳でもない。工務部に頼らずに自分で関係部署を回って折衝してもいいということでしかない。組立てラインに行って、班長にこのバルブの予備品はないかと訊く。予算管理が厳しくて、予備品があることはまずない。そこで、班長に一番出荷の遅い機械の出荷予定日を聞き出す。そして、その機械に取り付けてあるバルブを交換品として取り外せる可能性を聞く。その足で購買に回って、バルブを即発注したら、いつ納品されるかを納入業者に問い合わせてもらう。特別なバルブではない。一週間もあればなんとかなる。

その納期の話をもって、組み立てラインに戻って、バルブの取り外しの許可をもらう。許可であって、取り外すのはこっちの仕事。機械に潜り込んで取り外したバルブを出荷班に持って行く。班長にバルブを海外の客に、できるだけ早く発送するにはどのキャリアがいいのか聞く。そこでキャリアに電話して、バルブ発送の予定を伝え、ベストの輸送を予約する。班長にお願いして、バブルを梱包する木箱の材料をもらって、のこ盤で切って、釘を打って箱を作って梱包する。海外営業担当に電話して、交換品発送の準備ができたから、輸出書類を早急に作って、出荷班に届けるように依頼する。

工務部にいって、ことの次第を報告して、組み立てラインの班長にお礼をいって、交換バルブの入荷予定日にバルブも持ってきますと言う。最後に購買部に行って、バルブの納品をトラッキングするために、納入業者のコンタクト先を聞く。バルブが入荷したら、組み立てラインに持参しなければならないので、モノは購買部に置いておいてもらえるよう頼んで終わる。
知っている限りでしないが、みんな書類を回して終わりで、こんなバタバタをする馬鹿はいない。やったところで、また似たようなことになったら、あいつに言えば、なんとでもするだろうぐらいにしか思われない。

生産日程で動いている人たちにしてみれば、海外からのクレーム処理など、生産日程を混乱させる騒ぎでしかない。トラブルを持ち込むだけの厄介者、誰もこっちの顔を見たくない。遠目に見つけて逃げるのもいる。技術研究所と海外関係でしか仕事をしたことがないから、工場の人たちには、あいつは何なんだ?おおかた子会社の社員だろうとしか思われていない。五六歳は下の後輩、こっちが何者なのかしらないのだろう、名前を呼び捨てにして命令口調で話すのがいた。しょうがないヤツだと放っておいたら、誰かに注意されたのだろう、ある日突然「さん付け」で呼びだして、年上に対する口調で話してきた。

工場でのクレーム処理は、お前たちの仕事だろうと正論をはいたらどうなるか。無視されるだけならまだしも、へそを曲げて工務部経由で正式依頼が来ても何もしないで、放っておかれるのが落ちだろう。誰がみても硬直したというのか全機能不全に陥った組織なのだが、それが当たり前になったところで生きている人たち、自分たちに都合の悪いことに耳をかたむけるフツーの人はいない。

通常の日常業務を優先して、クレーム処理の責任のある人たちが何もしようとしない。してもらうにはどうするか。ベンディングマシンのコーヒーやコーラはいつものこと、もうちょっと重いヤツをと思って、試しに父親が在庫していたウィスキーを持っていってみた。呆れたことに、課長でも係長でも二期下の若いのまでが、ニコニコしながら、当たり前のように受け取った。それを見たあっちやこっちから、俺にはないのかという顔をしていた。盆暮の付け届けではない。フツーのときのフツーの当たり前の仕事で、付け届けしなければ動こうとしない。

いてもしょうがない会社がいちゃいけない会社になっていた。そんなところで便利屋稼業をしているのだったら、サービス業に転進できないかという思いがつのる。人情だろう。もう三十になろうとしていた。技術屋になりそこなった自分に渡す引導が半分、いてもしょうがない会社に渡す引導が半分。技術屋への思いはあったが、引き際だった。
2016/11/27