翻訳屋に(9)−いい加減が丁度いい

多少金が貯まったのだろう、セアーが本来の生活?に戻った。一年くらい世界を回ってくるといっていなくなった。エリックがオレも昔よく行ってたけど、帰ってきたときにまたアパートと仕事探しが大変なので、もうする気はないと言っていた。セアーの自由さへの羨ましさが半分、三十過ぎても流れ者の気持ちが抜けないセアーに対する、どことなく哀れみの響きがあった。

セアーがいなくなるのと前後して三人のネイティブスピーカーが入ってきた。この三人が、エリックやセアーに負けず劣らず個性的だった。
昨日除隊してきましたという感じの、筋肉の塊のようなターナーが来た。軍で体を鍛えてきたのはいいが、アメ車のように燃費が悪い。一緒に昼飯に行くたびにあきれた。大盛りを二人前食べなければ収まらない。生まれも育ちもテキサスで絵に描いたような快活なアメリカ人。ちょっと話したぐらいでは分からないが、強面の見かけからは想像もつかない神経の細かな人だった。いつも字面で訳した意味不明の英文と取っ組み合いをしていた。真面目なだけに、わけのわからない英語をそのままにしておくことが出来ない。ターナーの話はいつも明るいし、声も大きい。それが災いして、英文を前にして精神的に追い込まれているのを、追い込んでいる翻訳者の誰も気がつかない。そんな仕事、いつまでも続かない。

エリックもセアーもある意味悪ずれしていて、翻訳を見ながら、適当に赤を入れていく。英文をみて、意味がわからなくても、日本語の原文を読めないから、まともな書き直しなどしようがない。もし、原文が読めたとして、まともに書き直したら、全部書き直しになりかねない。英語の字面でこのくらい赤を入れれば、リライトした格好がつくというころで切り上げる。赤を一つも入れないとリライトしたことにならない。よくも悪くも適当にというのがリライトの原則だった。それをなんとも思わないルーズさがなければ勤まらない。

キャシーというハーヴァード大学を卒業してジャーナリズムの世界にいたのが入ってきた。セアーの話では結婚問題でトラぶって日本に逃げてきたらしい。キャシーの両親はナチスに追われてアメリカに亡命したユダヤ人で、結婚相手はユダヤ人でないと問題になると言っていた。セアーはマンハッタンで、キャシーはボストンで生まれて育ったユダヤ人だった。流石ハーヴァード出、何を話しても小気味いい。それでもエンジニアリングはおろか算数になると、もう忘れてしまっていた。技術的なことはわからないし、興味もない。それでも集中力の違いなのだろう、仕事の質もさることながら、なにをさせても信じられないくらい速い。ターナーよりはるかに言葉には敏感なはずなのに、いい加減な翻訳に合わせる器用さも兼ね備えていた。今になって思えば、その器用さ、限られた情報から適当に文章にまとめるジャーナリズムの世界で培ったものではないかと思う。

ここに、ブエノスアイレスで生まれてロンドンで育ったアルゼンチン人女性が入ってきた。日本にも長くて日本語も流暢でもう何人なのか分からない。米軍基地で軍と軍属向けの新聞『Stars & Stripes』?の編集をしている人だった。スペイン語と英語の母国語に加えフランス語もドイツ語も流暢だった。
ものすごい言語能力に言葉に対する真摯な気もちが、だらしのない翻訳のチェックには災いした。几帳面すぎてターナー以上にいい加減な仕事ができない。自分がチェックして訂正した英文を自分で読んで何だから分からないでは収まらない。筋の通った英文に書き換えなければ気がすまない。

何を言っているのか分からない英訳を翻訳者に聞いても、翻訳者も自分自身何を書いているのか分かってないから、訊かれてもまともに答えられない。何日もしないうちに、日本語の原稿を渡せば、図を書いて何が書かれているのかを、つたない英語ででも説明してくるのが一人いることに気がついた。いい加減な翻訳をした翻訳者が直ぐそこにいるのに、訊かれても困る。誰もが先輩翻訳者で、年齢的にも一目も二目もおかなければならない新米翻訳者が、日本語の原稿の説明をするはめになった。

アルゼンチン女性の手にかかると、取材メモから記事を書き起こすかのように翻訳した英文が影も形もなくなることがある。英語を勉強したいものには厳しいいい先生だが、字面で翻訳している、それでいいと思っている翻訳者にはうっとうしいではすまない、いちゃ困る人になる。
内勤の翻訳者がアルゼンチン女性のチェックを断りだした。アルゼンチン女性とペアを組んだような仕事になってしまった。
2016/12/11