翻訳屋に(3)

「えー、来ることにしたの?」「なんで?」「まだ若いんだし、今のところで勉強した方がいいって」「翻訳なんて、いくつになったって、できるんだから」
一年前に社長から、翻訳室のコーディネータをしているAさんに翻訳の仕事について聞いて行きなさいと言われた。Aさんは、翻訳の日程管理をしながら、翻訳見習いとでもいうのか、小さな翻訳仕事をしていた。Aさん、癖の多い年配の翻訳者を相手にしているだけあって、男勝りの人だった。年齢もちょっと上だし、身長も百七十センチは超えていて、大姐御という感じの人だった。

一年前に、「三十かそこらで翻訳屋に転身するなんてもったいない」「いつでもなろうと思えばなれるのだから、メーカで勉強した方がいい」「こんな吹き溜まりのようなところに来ちゃダメ」と何度も話というより説教された。
一度顔を見せたきりで来ないから、諭されて仕事を続けていると思っていたのに、一年ぶりにきて、また相談かと思ったら、仕事辞めて翻訳をやることにしたというので驚いていた。

「ろくでもない仕事よ」と言われても、構造不況のなかで油まみれになっても、油職工になれなった者には、翻訳業が文化的な、あるい意味知識階層の自由業にしか見えない。ろくでもないどころか、輝いて見えた。隣の芝はというのに似ている。自分がしていることから、あまりに距離があるので、具体的なことは分からない。マイナスの要素など、たとえ目に入ったとしても、マイナスには見えない。

学歴が重い旧態依然とした社風のなかで、学卒であれば、余程の事でもなければ十年ちょっとで係長になれるが、高専卒では定年まじかに係長がいいところだった。入社して十年もたてば、同期の誰が昇進していくのか、誰は昇進の可能性がないのかがはっきりしてしまう。年配者の日常会話のなかに、取ってつけたような役職名が付いていて、陰湿ないやらしさを感じられるようになる。真面目で仕事ができればいいが、そうでなくても、うまく学閥のなかでの遊泳術を心得れば、それなりの立場に上がれる。 一度役職になってしまえば、経験できることも違えば、得られる情報も違う。係長になって一年も経てば、何でこんな人が係長?と思っていた人でも、それなりの格好がつくようになる。立場が人を作るというのが、まんざら間違っていないということを実感する。

そんなところで右往左往していたから、実力だけの自由業である翻訳屋が魅力だった。学歴なんか何の関係もない。片足なくても、片目の視力を失っていても、国籍も人種も何も関係ない。個人が努力と能力だけで生きてゆく、裸の競争の厳しい世界だけど、昔ながらの軛の下で四苦八苦している者には、チャレンジのしがいのある社会に見えた。

一年前に諭された時に、この子供のような気持ちを伝えたら、そんな夢のような仕事じゃないし、業界じゃないと言い聞かされた。「普通の社会というのか組織のなかでは生きられない、いってみればソシアル・ドロップアウトの集まりよ」「どこにも行きようのない人たちの吹き溜まりで、あなたのようにしっかりした会社でエンジニアをやってる人がくるところじゃないのよ」
何度も似たようなことを聞かされて、何度も今いる会社では浮かばれることのない者にとっては、翻訳の仕事が輝いて見えるんですよ、と言い返していた。

翻訳見習いのようなかたちで雇われて、中学校から使っていた旺文社のエッセンシャル英和辞典をもって初出社した。なんの準備もない。辞書一冊持って実力の世界に飛び込んだ。翻訳室の入口近くに座っているAさんの目の前が席だった。初日にベテランの翻訳者に紹介されたが、誰も苗字とよろしくというようなことを言ってくれただけだった。仕事に集中していて、それ以外には何の興味も示さない。翻訳してなんぼの請負稼業、自分の仕事以外には興味がない。数日のうちに、ベテランの何人かが声をかけてくれるようになったが、それは翻訳に疲れて、ちょっと一休みの気晴らしのためだった。

人の出入りや辞書や資料の棚からは遠くて、落ち着いて仕事をできるようにとの配慮から、出来る翻訳者は部屋の奥の方にいた。一週間もしないうちに、能力の限界までの仕事量のある翻訳者もいれば、大した仕事を回してもらえない翻訳者もいることが分かった。出来る翻訳者は定年を過ぎた人もいれば、三十代の人もいたが、総じて中年を過ぎている人たちだった。知らない世界で、人の仕事の評価をする能力などあろうはずがない。この「出来る」の本当の意味に気がつくまでには数ケ月かかった。

たまにAさんから数行の英訳の半端仕事をもらって、前後関係が分からないまま、出来る限り用語を確認しながら翻訳をしていた。後になって分かったのだが、その半端仕事の多くが、タイプアップの工程で見つかった訳抜けの翻訳だった。仕事という仕事もなく、書棚にあった専門書と用語辞典をみながら自分の辞書を作っていた。

十日ぐらいして、タイプアップから納品への作業全般を仕切っている女性から「社長が呼んでいる」と言われた。仕事という仕事もしてないし、もしかしたら、翻訳者として使い物にならないからと解雇されるのかと覚悟した。一週間もいれば、「明日からでもいいです」という社長の言葉は、裏を返せば、「明日は分からない」ということだと分かる。
ダメならダメでしょうがないと思いながらも、恐る恐る社長室に入った。いつもの営業スマイルで穏やかな口ぶりで、「確か月給は二十七万円でしたね」と言われた。耳を疑った。一年以上前の話、ひと月前の話も月給は二十万円だった。十日かそこらで給料が七万円上がった。
2016/10/30