周回遅れの進捗会議

アメリカの事業部と日本の親会社の持ち回りで、三月毎に開催されていた。最初に参加した会議は日本の親会社の本社で開かれたものだった。アメリカの事業部から関係者が四人来た。本社の近くにアメリカ人にとっても十分なホテルがあるのに、名古屋キャッスルホテルに滞在した。いつものことで、名古屋市内ならどこに泊まろうが、朝晩、日本の親会社が送り迎えの車を出してくれる。
日本支社からは、ソフトウェアエンジニアリングの本部長に二人のマネージャ、技術部からアメリカ人駐在員と担当者が参加した。 刈谷駅前のホテルから徒歩で毎日行って帰るのはいいが、ソフトウェアエンジニアリングの人たちとは別行動だった。本部長とそりが合わない。一緒にいるだけでも、いらぬ神経を使うことになる。

日米の関係者が一堂に会して、ハードウェアとソフトウェアの開発進捗状況を逐一確認していった。逐一の項目の細かさと、個々の逐一の深さに驚いた。進捗を確認するにも、仕様そのものと、仕様を確かなものにするために確認しなければならない内容がいくつもある。二年も過ぎて、まだ基本的なことの確認をしていた。今まで一体何をしてきたのか、誰も不思議に思っているようには見えない。奇妙な会議だった。

アメリカの担当者が、経験をもとに細かな技術データと設計指針、さらに設計したものの評価のガイドラインを説明していた。中には即答できないこともあって、夜アメリカの事業部に問い合わせて翌朝、確認作業を続けることもあるし、時には、事業部に戻ってから連絡することで切り上げることもあった。
朝から晩まで、開発状況の確認と、今後の日程、その日程を確かなものとするアクションアイテムが決まってゆく。時差もあるだろうし、疲れているはずなのに、夕方になっても議長役の日本の親会社の担当者が、切り上げようと言い出さない限り、何時までも続いていった。翌日もその翌日も、火曜から始まって金曜の夜遅くまで会議だった。

ハードウェアは日本の親会社が開発しているのだから、内輪の確認で、簡単にすむかとおもっていたが、ことはそう簡単ではなかった。日本の親会社はCNCのような大きなハードウェアシステムを開発したことがない。何をするにも、アメリカの事業部の指示と確認が必要で、自分たちがしていることの進捗を自分たちで確認する能力がない。「前回の会議と今回提供してもらった技術情報から、こうしようと考えているんですけど、これでいいんですかね?」「でも、こうすると、この部分のデータのやり取りをどうしたらいいのか?」という調子で、まるで生徒が先生に一つ一つ確認しているような話が延々と続いた。

会議が始まったとき、話の内容が技術的に微に入り細に入りで、ついてゆくがやっとだった。この先、出席したとして、どこまで分かるようになるか不安だったが、二日目の昼過ぎには全体像が見えてきたのと慣れで、始めて聞くことでも、大まかの理解ができるようになった。日本語と英語で制御システムの勉強をしていたことが役にたった。キーになるところが分かってしまえば、枝葉はその都度のつけ刃のような知識でも理解できる。ものを開発するまでの理解はいらない。言葉でシステムなりモジュールの構成さえ分かってしまえば、あとはどうにでもなる。

技術的な内容にも驚いたが、日程は想像を絶した状況にたまげた。先月や先々月が開発完了予定日だったタスクはまだましな方で、開発スケジュールに意味がないほど、全て遅れていた。日本の親会社がハードウェア、日本の合弁会社が客が直に使用するソフトウェア、アメリカの事業部がサーボの基幹になるソフトウェア(既開発済)とシステム全体のアドバイザーを担当していた。
三社が共同して開発する大きなシステムだから、ひと月や二月の遅れはやむを得ないのかと思っていたが、そのレベルをはるかに超えていた。半年以上の遅れがあるものもある。全体でいったいどのくらいの遅れが出ているのか、出ている遅れをどう取り返すのか気になって、話を聞いていって驚いた。先月、先々月の予定と思ったのは、去年の先月や先々月で、全ての開発が一年以上、中には手も付けずに二年以上何もしていないものまであった。

車載の電装品で世界を制覇した感のある日本の親会社は、超の上に超のつく優良会社の親会社の文化をそのまま引き継いで、何をしてもしっかりしている。自動車関係の製品開発で遅れなど出ようものなら、死に物狂いで遅れを挽回すべく、あらゆる策を講じるのに、どうにもしようがないという諦めが漂っていた。それでも、遅れを減らす日程をはっきりしようする気もちは失っていない。ただ、担当しているハードウェアの開発でも、アメリカの事業部の開発委託先の立場にいるだけで、自分たちの技術知識ではどうにもできない。

アメリカの事業部は日本の親会社とそのまた親会社との関係もあるから、真摯に会議を進めているが、できっこない開発プロジェクトに巻き込まれて、いやいやながら、アドバイザー役をやっているだけだった。後日分かったことだが、責任追及される立場にならないように注意していた。

開発の中心にいるはずの合弁会社には開発を背負って立つ能力がない。ただ、誰もそれを口にはだせない。日本の親会社もイライラしながら、支援に回るしかない。それを人質のように、通産官僚くずれが、自分たちの利権を守ることを目的として、ゲームでもしているかような姿勢だから、何を話して何を決めても、決めた先から決めたことが崩れてゆく。

一年以上の遅れがあっても、何も感じない。責任感などはなからない。日本の親会社の思惑とその親会社の自動車メーカとのビジネス構築を目論んでいたアメリカの親会社の思惑から、やめるに止められないプロジェクトを継続するがための進捗会議だった。
製品を開発する能力のあるのはアメリカの事業部だけなのに、アドバイザーの立場から出てこようとはしない。車載用のハードウェアの開発の技術はあるものの、CNCに関しては素人の日本の親会社。マネージメントもエンジニアもろくにない合弁会社が三社の取りまとめ役。はなから失敗すべくして始まったプロジェクト。進捗会議もしなきゃならないから、しているというと言っても言い過ぎじゃない。できるのは格好をつけるまでで、何がどうなる訳でもない。

50:50の対等出資の合弁会社で、何にしても、どっちの親会社も責任をとりたくない。汚れ仕事をしたくないから、プロジェクトの本質的な問題を言い出さない。どうしようもないなかで時間が過ぎていった。
2016/6/26