考える

戦後のバタバタが落ち着いた頃に、東京しか知らない両親から東京で生を受けて、東京で育ち、70年代の学生運動のまっただ中を抜けて、仕事で何回かの海外への出入りはあったもののほとんどの人生を東京文化圏で過ごしてきた。この類の人達にありがちな頭の乱視と近視(バイアス)を補正すべく真っ当と思える知識を漁るが、新たに得た知識がバイアスを大きくする効果しないことに気がつくことが多い。バイアスがどんどんひどくなるような心配がある。
歳のせいか、経験と蓄積してきた知識が新たに遭遇したロジック?を全く受け付けないことがある。いくら消化してやろうと頑張っても論理的に受け付けないというか、受け付けようがないという状態に陥る。ロジックとは呼べない、呼びようのない、整合性のない、合理的に咀嚼できない話は生理的に拒絶する。既に遭遇したことのある与太話に似たような話に出くわすと、精神的なアレルギー症状さえ起こしかねない。
拒絶反応を起こしかねない与太話は唾棄しようとするが、なんとも説明しにくい理由で、唾棄もできずに、そのままにしておけない何かが、説明されなければならない何かが引っかかって残ることがある。何かについてすっきりと説明するために考え始める。考えて、それなりの結論を出す際、自分の社会を見る目が曇っている、偏っているから、この結論に達するのであって、偏りのない真っ直ぐな視点で見れば全く違った結論、より妥当な結論になるのかもしれないという不安がある。
それでも、歳相応の知識や常識、良識を持ち合わせているはずとのちっぽけな自負はある。分かってっこないという不安とそこそこは分かっているはずという自信の薄い紙の裏表を行ったり来たりしながら、とりあえずの結論らしきものを叩き出すことを試みる。この過程では、大したことはないにしても出来るだけの手を尽くして参考にし得る文献や既知の事実を追い求める。
その時点ではいくら考えてもこれしかないという叩きだした結論の正否の確認プロセスに入る。思考プロセスの検証、さらに見落としているかもしれない、もっと順当なプロセスもあるのではないかと寄り道しながら、叩き出した結論を、まるで牛が反芻するかのように、プロセスの連鎖のなかをそれこそ何度も何度も巡らせる。巡らせて当否の確認を済ませたはずの結論にまだ瑕疵があるのではなかという不安を拭い切れずに、まだあるかもしれない妥当性のある、可能性のある他のプロセスを探して半年、一年、数年という時間が経過することもある。
これ以上は考えても、違う結論は出しようがないという段階になると、思考プロセスまで含めて適任と思う親しい人達がいれば、その人達に話し始める。親しい人達には、面倒な思考プロセスの検証と結論の妥当性の確認にお付き合いして頂き感謝している。多分、その人達にとっては、なんでそんなことをと思うほど突拍子もない問題の設定と面倒な思考プロセスの話で辟易しているのではないかと想像している。申し訳ないとは思いながらも、この、人に話をして、ご理解頂くプロセス抜きには最終結論を出し得ない。しばし、何でそんなことを気にするのか、説明しようとするのかと思われていると思う。これこれだから、こうこう考えて、こう考えれば状況をすっきり説明できる、あるいはこう考えなければ状況を説明できないと話し相手に納得してもらう為の説明をする。
この過程では、実は話し相手から、その結論は違うのではないか、その結論では、この状況は説明できるが、あの状況は説明できないではないか、この視点を見落としているのではないか。。。思考プロセスと論理展開の欠陥を指摘して頂くことを求めている。結論に納得して頂き、思考プロセスに問題がないとの評価を頂くのはありがたいが、それ以上に課題の設定やその条件と思考プロセス全体、導き出した結論の瑕疵や欠陥をご指摘頂ければ、また最初から考えるプロセスを始めることになる。立てた仮説に欠陥があることもあるし、見落としていた視点が見つかることもある。何年もかけてやり直したプロセスを経て、これしかないという結論に達した考えは、自信を持って、お話させて頂くことにしている。そこには、ちゃちなものででしかないが、微塵の疑問もあり得ようのない確固たる自信と、もしかしたらという不安がある。不安はなくならないが、それを遥かに上回る、考え抜いたという自信がある。この自信がなければ人とは話せない。