好きなことは生業としない(改版1)

いい歳になってやっと多少自由の身に自分をおくことができるようになった。なったというより、今まで手をつけるのを躊躇ってきた、しなきゃならないこともあるし、したいこともあるしで、身をおくことにしたと言う方が合っている気もしないではないが、いずれにしてもサラリーマンを止めた。傭兵のように企業をいくつも渡り歩いてきた。その時々、大変だーと言いながら、できるだけ楽しもうと心がけて前例のないことをやり続けてきた。それでも、今になってみれば所詮サラリーマン、お釈迦様の手のひらの縁あたりを飛び回っていたに過ぎなかったとしか思えない。もう先も長くはない人生、まだまだ、しなきゃならないことも多いが、したいことを多少はしようとしてもバチは当たらないだろうと思ってのことだ。
企業という組織のなかで、その企業が物なりサービスなりを提供している、あるいはしようと試みている市場や業界、顧客やパートナーなどなどとの関係。。。さまざまな条件から企業としてしなければならない、した方がいい、することを試みなければならない、あるいは試みる価値のあることが“ほぼ”必然的に決まってくる。その決まってくることが企業という組織の一員としてしなければならないことの大枠を規定する。
必然的の前に“ほぼ“と付けたのは、することは、当事者が意識するかしないかの違いがあったにしても、機械的に決まるものではない。決めるのはあくまでも当事者。当事者の能力や志向、いきがかりや思い込みなどがすることを決める最も大きな要素だからだ。仕事として新しい地平線を開くために、企業が営々と続けてきた仕事の仕方やそれを支えてきた枠組みを一度解して体新しい枠組みを作ったり、枠組み自体は変えずにやり方だけを変えて。。。決定もし実行もしてきた。
内情に疎い知り合いの目には、呆れるほど自由に、勝手にやってきたように見えていたらしいが、個人として、やりたいことや、したいことをしてきたことはない。企業の今と将来を決定づけかねない目標なり状態なりを実現するために、しなければならないと考え、決めたことをしてきただけに過ぎない。その過程が、社会常識にてらして楽しかったことは一度もない。あったのはやりとげなければならないという責任と、できないかもしれないという不安、やり遂げられるはずという僅かな自信と、ある意味で一番心がけてきた姿勢−状況が厳しければ厳しいほど、その厳しい状況を楽しもうという気持ちだけだった。
巷で聞こえてくることから、多くの人たちが自分のしたいこと、やりたいことをやれば、やれれば楽しいだろうと考えているように見える。大げさな言い方をすれば、自己実現できるとでも考えているのではないかと想像している。将来を、進むべき方向を思案している若い人たちへのアドバイス(と呼んでいいのか分からないが)のようなものが、本や雑誌からWeb上にまで並んでいる。この類の常として、全ての人にとってこれしかないという唯一無二の答えがある訳ではない。人それぞれ環境も志向も違えば、能力も違う。ある人には人生を左右するほど貴重なアドバイスが別の人には害しかないということもある。
千差万別、良い悪いという類のことでもなし、また、人によって受け取り方もさまざまであることを承知で、あえてこれだけは、この点だけは注意しておいた方がいいと思えることがある。もし、人間的にも社会的にも、そこそこの立場になりたと思うのであれば、巷で言う「好きな仕事をすべき」だとか、「趣味と実益を兼ねた」や「やりたいことを、したいことをすればいい」などとは考えない方がいい。
余程の天賦の才に恵まれていて、誰もが嫌がることであっても好きでやってしまう偏執質的な、これも天賦の才能かもしれないが、性格でもない限り、好きというだけでメシは食えない。プロの世界はそんなに甘いもんじゃない。料理が好きということからだけでは一人前の料理人になれないし、海外旅行が好きというのとそれを職業としてメシを食ってゆくのは違う。ビデオゲームが好きというのは、遊び側としての話で、ゲームを作る側としての話じゃない。どの世界に行っても、どの仕事についても、プロの世界で生きてゆこうとすれば、仕事は一般的な感覚で楽しいというものではない。部外者の目には多分とんでもない努力に見えることをフツーに日常的にしなければならないのがプロの世界だ。
写真家として妥協という言葉があったようには見えない土門拳がある写真雑誌の対談で言ってたことを思い出す。「アマチュアの人はいいですよ。フィルム何本使おうが、フラッシュ何回焚こうが、また撮り直しに出直してきても関係ないですからね。」「こっちは、出版社から予算いくらで、何時までに終わらせるかというかたちで請け負った仕事で、それで私も含めてメシ食ってんですから、使うフィルムもフラッシュ一つにしてもコストを考えちゃいますよ。」
仕事とは本来好き嫌いという類のものではない。それは、好きでもないことをする、そのすることを楽しむ努力をする類のもので、結果として社会に貢献することに過ぎない。
余程特殊な人かケースでない限り、本当に好きなことを好きなこととしてやりたいのなら、やりつづけたいのなら、その好きなことは生業にはしない方がいい。してしまうと、好きなことを好きなこととして楽しめなくなる。楽しめなくなってしまう立場になってしまったら、自分は、好きなことをしてメシを食ってる幸運な者だと自分に言い聞かせて諦めるしかない。
2015/6/21