英語

随分前から「ビジネスマンとして英語は必要とお考えですか?」あるいは、「英語はできた方がいいとお考えですか?」という漠然としたアンケート調査に多くの人が、「必要」、「できた方がいい」と回答している。海外旅行も身近なものとなって久しいし、昨今のグローバリゼーションの波もあり、昔とはくらべものにならないほど英語でビジネスを遂行しうる人口が増えている。にもかかわらず、また、世界市場におけるポジション、技術レベル、海外直接投資額などほとんど全ての面でアジア諸国と比較にならない立場にありながら、アジア諸国のビジネスマンと比較すると日本人ビジネスマンの英語は決して誉められたレベルではないと言われてきている。
その原因ははっきりしていると考えている。東南アジア諸国は工業技術面で自給自足から程遠く、そこそこの企業でそれなりの立場にあると、あるはいようと欲するなら、世界の共通語である英語で書類を処理し、英語でビジネスを進める能力を要求される。一方、日本はどうかと言えば、ほとんど自給自足状態にあるため、一部の人を除けば、日本語だけでビジネスを遂行できる環境にいる。一言で言ってしまえば切羽詰った必要性の違いででしかないだろう。
しかし、程度の差はあっても、業務遂行にしばしば英語での意思疎通が必要なビジネスマンは確実に増えていると思う。にもかかわらず、「英語は得意ではないので、。。。」などという言い訳が平気で通っているケースに遭遇する。英語を標準語としている国で育った、あるいは業務で数年におよぶ駐在員でもしなければ、英語での意思疎通は個人の時間をかけた努力で勉強して得た技能ででしかない。この視点から見れば、英語は得意ではないのでという言い訳は、努力をしてきませんでしたということの表明ともとれる。「できない」のではなく、できるようになるために必要な努力をしてこなかっただけでしかないだろう。
なぜなら、英語は、1)植民地政策を通して、英語は母国語としない人達に使い易いように平易な言語に進化している。2)学校教育で最低限数年間は基礎教育を受けている。3)学習教材はそれこそどれを手にとるべきか判断に迷うほど様々なものが、それも安価にあふれている。一日15分から30分、数年間努力すれば、間違いなく意思疎通をできる程度までのレベルに達することができる。
目的は流暢に英語を話す、気の利いた表現を身につけることではないはずだ。流暢に話せるから相手が聞いてくれるわけではない。話している内容に意味がある、聞かねばならない、聞く価値があるから相手が傾聴してくれる。傾聴してくれる相手に最低限間違いのなく意思疎通を図るレベルまであれば、ほとんどのビジネスマンは個人の時間と努力で到達できるはずだ。自ら努力せずに、努力して意思疎通の自能を習得した人に、しばしば部下に頼り切るのは上司として、「私は怠け者だが、上司なんだからお前が面倒見ろ」と強要しているのと変らない。たどたどしい英語であっても、自らの考え、主張を自らの論理展開で伝えようとする上司を部下は尊敬することはあっても、軽視することはない。逆の可能性は十分にあるだろうが。極端に言えば一日15分の努力である。時間がないといういい訳は、「私は怠け者です。」と同義語だ。