言語による意思疎通

ヒトを他の生物と一線を画して分けるものに“高度に発達した言語による意思疎通”があると思っている。多くの生物がなんらかのかたちで情報を交換しあっている。イルカ、類人猿もかなりの意思疎通をしていると言われている。しかし、ヒトが言語、それも文字まで使用して抽象概念さえ伝えあっているレベルとは乗り越えられない違いがある。
しかし、日常業務で実に特定の話題、議題に関して話をしているにも関わらず、聞けば聞くほど、具体的に確認しようとすればするほど、益々何を言っているのか分からない、言葉ごと、単語ごとは分かるのだが、文章として全く意味が分からない、主語と述語の整合性が恐ろしいほどない、前言と今言っていることの間に全く整合性のない人に不幸にしてしばしば遭遇する。
日本語の特徴として主語が欠落する、時制があいまいな点があることを差し引いても、もう少し意思、内容を明確に伝えることができるはずだと思うのだが。この手を人の発言を外国語に通訳させられるとつらい。その人が外国語を全く知らない場合はまだ救いがある。意訳して追加の説明を入れても、不要な部分を意識的に落としても気がつかないから、話しの目的さえしっかり分かっていれば、ある意味いいように通訳すればいい。始末が悪いのは、そこそこその外国語の知識があって、話しの幹の部分と枝葉末節を切り分ける能力に欠け、幹を生かすために追加、削除した点を微に入り細に入り気にする人だ。最も通訳を用意しようとする自覚があるだけましかも知れないが。
日本語でさえも何を言っているのか分からない人が、中途半端な外国語で意思疎通を図らなければならない情況に陥ると、それこそめちゃくちゃで、神様でも何を言おうとしているのか見当すらつかないだろう。そんなケースに随分遭遇したが、面白いことに日本語で明快なロジックで話しができる人は、たとえ外国語が不得意であっても、かなりしっかり意思疎通ができる。要は日本語か外国語かの問題ではなく、筋道を立てて相手に話しをする能力があるかないかでしかないと思っている。
よく英語は得意じゃないからと英語の知識がないことを意思疎通がうまくゆかない言い訳にする人がいるが、そういう人に限って、日本語ででも何を言っているのか分からない人が多い。英語は得意じゃないですねとか、苦手なんですか、とは言えるが、(日本語)で何を言っているのか、言いたいのかよく分からないと言うと、その人の知能にまで疑問符をなげかけることになりかねないので、とても言えないが、高度に発達した言語を使って意思疎通を図ることができるのがヒトだとしたら、その手の人は本当にヒトなのかと疑ってみたくなってしまうことがある。
言語を専門として生きてきたわけではないし、これからもそのようなことはないので、言語はきちんとした意思疎通を図るための一手段としか考えていないが、その目的のために言語は大事にしなければと思っている。