さもしい笑い

また、営業がどこかに売り込みの電話をかけている。聞こえてくる話からすると、展示会で小間に立ち寄ってくださった方への最初のフォローらしい。当然にこととして小間に立ち寄って頂いたお礼から始まって、多少は需要がありそうとでも感じたのかいくつかの製品の紹介まで実にぺらぺらしゃべっている。
営業マンはえてして口数の多いのが多い。寡黙じゃ営業職はつとまらないのかもしれない。ぺらぺらしゃべっているだけでなく、いつものように、ぺらぺらの前後に脈絡のないさもしい笑いが絡む。言葉の量は多いが、そのほとんどが、お飾りにもならない、ない方がいい言葉だということに気が付かない。不要な言葉の洪水のなかにお伝えしなければならない事柄が見え隠れしている。
整理して順序だててお話しすれば、一割以下の量の言葉でもっと明確にお伝えできる。営業としてなんとか売り込みたいという気持ちは分かる。その何とかしたいという気持ちが高じて客の可能性のある人に取り入りたいという行動になる。端的に話をしてしまえば、電話は短時間で終わる。終わってしまうとそれっきりになってしまうのではないかという恐怖感のようなものがあるのだろう。
結果として、中身のない要らぬ言葉が増えることになる。相手は、日常業務で忙しいのではないかと思いつつ、話が終わってしまわないようにしていることに多少の後ろめたさを感じる神経は残っているのだろう。この後ろめたさがさもしい、いかにも裏表がありますよと言わんばかりの卑しさしか感じさせない笑でない笑いを生み出す。
上下関係のない人達との会話にはこの多すぎる不要な言葉もさもしい笑いもでてこないが、彼らの目から見て何らかのかの関係で自分より強い立場にいる相手に話をするときには必ずでてくる。さらに自らにとって都合の悪いときには言葉の部分が荒れて、主部だけで述部が欠落した話になったり、もう取り繕いようもない支離滅裂な話になって、残るのは気色悪いさもしい笑いだけという情けないことになる。
一方、自分より弱い立場にいる相手に対しては、ここまで豹変するかと思えるほど態度が違う。言葉少なく簡単明瞭、強圧的な話し方で命令口調になる。当然だが、さもしい笑いはない。
これらは人間関係を上下関係ででしか見られない人達に見られる共通の習性の一つと考えている。実は、客のなかにも人間関係を上下関係ででしか見られない人達がいて、その人達は、このこびへつらう営業マンの態度を当然というのか自然なものだと感じてるんじゃないかと思っている。整理された要点を手際よく聞かされても崇め奉られた気がしない。偉くなったような、大事にされたような気がしないということで、こびへつらう営業を贔屓にする。営業マンから情報を得るという本来の目的とは本質的に全く違う目的を持ってしまう情けない人達もいる。
こびへつらうことも、へつらわれることもなく人間関係を一個の独立した個人と個人の関係としてとらえられないものなのか?人間として社会人として最も大事な姿勢だと思うだが。