勝ち組、負け組?

いつの頃からか勝ち組だの、負け組だのという言葉を聞くようになった。最初は、うまいことを言うなと思ったが、聞いているうちに、そんなに簡単なものでもあるまいしという気持ちが強くなった。
新卒で就職するにしても、一応のキャリアを積んでから転職する場合でも、一般に業績のいい、継続して成長している企業に目が行く。普通どう考えても勝ち組の一員になった方が分がいいと誰もが思う。誰もが、業績はいい、で、給料もいい、ボーナスも昇給も悪いはずがないと思う。
事業は拡大しているので、役職のポジションも増えているはずだ。出世もし易いんじゃないかと。どこから見ても、みんなが入りたい会社だ、と思える。ただ、みんながそう想像し、入りたいと希望しても、みんなが入れる訳じゃない。
不幸にして、入れなかったら本当に不幸なのか?幸いにして入れたら、本当に喜ばしいことなのか?その通りのこともあるだろうし、違うケースも結構あるんじゃないかと想像している。ただ、この手のことは個人の志向や何に価値をおく人生を求めているかで全く同じ状況がある人にとっては、至福であっても、他の人には不満ということもある。幸か不幸か何かの縁で決して勝ち組とは言い難い企業で日々業務に邁進し、健闘し続ける際の次のように考えたら、先の一般的な見方があまりに安易に過ぎて、逆に面白くないという逆説もありということになる。
勝ち組と思われている企業は何年もの時間をかけて自らの中長期の事業展開から日常の業務遂行まで全を現在の世界情勢や市場、国内の様々な状況に最適化する作業をしてきたはずで、その結果として現在の業績がある。業務プロセスの完成度は高く、改善点は個々のプロセスのパーフォーマンスを上げることに重点が置かれているはずだ。自動車に例えれば、完成度の高い車で、全ての面でバランスのとれた秀逸な設計から始まって、個々の部品もムダのない設計で、生産ラインも徹底的に合理化されている。このような状態にまで至ると、残る課題は引き続く改善活動で更にムダを省きコストを下げることくらいになりかねない。
もし、このような状況の組織に新参として参加したら、どのような貢献をさせて頂く機会があるのか?勝ち組に採用されるほどの優秀な人材なのだから遠からず顕著な貢献をされるのだろうと不安交じりの期待をさせて頂くくらいしかできない。まして業務プロセスの骨格は企業文化そのものなので、ここままでは企業としての存続が危ぶまれるような状態にまで追い込まれない限り基本的な変更をするものではない。その上、勝ち組としての自負を超えた慢心あるいは傲慢さまで醸成されている可能性すらある。
そのようななかでは、従来からの確立された手法や手順に通りに業務を愚直に遂行することが求められる。セーフティバッファを排除したリーンオペレーションの下では、個々の業務も作業も密接に有機的ともいえるほど絡み合って機能することで最大限の効率を追及してきたはずで、個人の自由な工夫は許容されないだろう。
しかし、現時点で確立された企業文化とその表出であるリーンな業務プロセスなどが10年後の社会や市場の条件と合っているという保証はどこにもない。ただ現在までの経緯を見る限りでは、勝ち組の企業は社会や市場の変化に迅速に対応する企業文化や能力を持っているだろうと思えるくらいででしない。ただし、先の保証はないし、自負を超えた傲慢さが己の変化してゆく能力を圧殺し、次の時代の変化についてゆけない体質に変わってしまう可能性すらある。
一方、勝ち組からはちょっと離なれたところに位置している企業では、多くの場合、業務プロセスの骨格自体が出来上がっていないことも多いし、それを構成する個々のプロセスにも多くの問題を抱えている。ときには、必須のプロセスが存在しないことすらある。自動車で言えば、ほぼリコールの対象になりかねない代物になる。
このような状態の企業に追加戦力をして参加すると、組織上の欠陥やら個々の組織の構成員の士気や能力の問題で思うように解決策を講じられないかもしれない。その結果、持てる能力を発揮し得ずに摩滅する可能性がある。しかし、周囲のどこにも改善しなければならない点が転がっている状態に近いため、改善できれば、多少なりともその効果を実感できることも多いだろう。
勝ち組の企業のメンバーとして、出来上がった構築物の完成度の高い一部の構成部の完成度を上げるのか?それとも勝ち組以外の企業のメンバーとして業務プロセスの根幹の部分の創造に奮戦するのか?
安定志向の前者、危ない橋を渡ることになりかねないが、面白いのは後者だろう。どっちが好きかは個人の志向次第だが、好き嫌いでどちらかを選ぶ自由のないことも多い。縁や行き掛かり次第ってのもある。勝ち組、負け組という乱暴な区分けのどっちがより楽しめるか?どっちにしても楽しむことを心がけないと続かない。