キリスト教に代わるもの?(改版2)

今年も残すところあと四日。春先から始まったコロナ禍を抱えたままだが、ワクチンも出てきたことだし、来年はもう少し明るい年になってほしい。感染が拡大するなかで表にも出にくい。そこでというわけでもないが、PCの原稿フォルダをちょっと整理した。どんどん溜まっていく書きかけの原稿、なにを思って書きだしたのかわからないものも多い。どうでもいい物を捨てていったら、こんなものがでてきた。六年も前の話だが、今もなにも変わっちゃいない。来年になっても十年経っても、似たようなことに遭遇すれば、同じように感じて考えて、似たようなことを書いていると思う。

営業の技術サポートをしてくれと呼ばれて、よせばいいものをのこのこ出て行った。二〇一四年五月、出社して驚いた。支社には数えるほどの、それもスイスの本社が用意したカタログのような技術資料しかない。販売している機械部品に関する一般的な技術資料、たとえばJIS規格や業界規格に関する資料もなければ、よくあるわかるなんとかというような入門書の類もない。技術的な知識がないだけでなく、必要と考えているようにも見えない。

支社を開いて十年近くになるのに、今までどうやって仕事をしてきたのか、不思議でならなかった。二三日みんなの仕事ぶりをみていて、呆れかえった。ただの機械要素部品でしかないが、ときには顧客から精度や強度について訊かれることもある。ほとんど機械屋の常識にすぎないが、いかんせん技術的な基礎知識がないから、何を訊かれているのか、何を気にして確認しようとしているのかすらわからないこともある。やっとわかったところで、カタログや技術資料に書いてあることを読み上げるようなことしかできない。客が言うまま(言葉通り)の仕様を満足する製品を選定しているが、それで本当に大丈夫なのか不安でならない。

世界市場は日本の同業二社に席巻されて、ホームグラウンドの中央ヨーロッパでも、日本の同業の半分以下のマーケットシェアしかない。ヨーロッパという遅れた市場構造のなかでなら、ほそぼそと生きながらえるかもしれないが、北米やアジア市場では取るに足りないマイナープレーヤ。老舗という看板では食ってはいけない。

最低限の製品知識とその製品を成り立たせている技術的な背景を知らなければ、市場開拓など夢のまた夢、仕事にはならない。 競合メーカとどう戦うのか、なにをどこまでしえるのか見当もつかない。このまま日本支社にいたのでは何もわからない。日本から金と時間をかけて出かける価値があるのか、行ったところでがっかりするのが落ちじゃないか、どうしたものかと考えた末、九月チューリッヒから列車で小一時間の田舎町の本社にいった。目的は、セールス・トレーニングを受けて、最低限でも製品を見積もれるようになることだった。

アメリカの会社であれば、営業拠点で雇った人を一日でも早く一人前にたたき上げるために、ふつう体系だったセールス・トレーニングが用意されている。アメリカの企業ではあたりまえ、日本でもアメリカの影響を受けて、導入トレーニングが一般的になったが、先進(?)ヨーロッパでは、ベテランと一緒に仕事をしながら、必要とする知識を吸収していく徒弟制が色濃く残っている。

そんなもんだろうと思ってはいたが、ドイツとオランダの会社で経験した徒弟制度以上だった。百数十人かそこらの創業三代目が社長の同族会社、色が濃すぎて先が見えない。老舗として業界が立ち上がったときから基本的には何も変わっていない。加工機械や検査装置は地に足のついた機械屋が一つひとつ積み上げた技術の結晶で渋い光をはなっているが、していることは昔ながらの職人仕事、ハンマー片手にスパナ片手で何も変わらない。最新の生産管理体系に統計手法までとりいれて、愚直なまでに品質を追求する日本の製造業と比べれば、よくて戦前の日本、半世紀以上遅れている。その遅れを生み出している社会や文化が変わらなければ、何をどうしたところで差は大きくなる一方で追いつきようがない。

ましてや市場と直接対峙する営業面では、マーケティング的思考などかたちばかりの、しばし奇形化した欠片が見え隠れするだけで、徒弟制度すらない。歴史的な社会制度に組み込みきれないのだろう。
お仕着せの研修の初日で限界が見えてしまった。研修方法の問題ではおさまらない。その企業が今日に至った経緯とその背景にある文化、その文化からなにをもってして企業としてなりたっているかという自己規定の後進性に問題の根源がある。

会う人はそれぞれの立場で、日本支社が雇った技術担当を、いつものように評価してと思ったろうが、評価する以上に評価されていることには気がつかない。スイスの田舎町の同族企業のなかでの経験と知識にそこから生まれる思考――何が違ったところで、誰も彼もが井の中の蛙。戦略立案のマーケティングとして、ときには経営トップとして日米の製造業を渡り歩いてきたものにはままごとにしか見えない。傲慢にはなりたくないが経験と知識が違いすぎる。
そんな会社でも来てしまったからには拾うものは拾っておこうと気をとりなおして、夜一人になるたびにどうしたものかと考えていた。ただいくら考えても、時間の経過とともに落ちていく会社、何をどうしたところで、どうにかできそうな妙案は浮かばない。

そんなことを思っていた木曜日、営業トップが明日の晩夕食に行こうといってきた。会議の席で、日本市場の特性と市場要求は伝えたが、どこまでまじめに考えているのか心配なので、飯でも食いながら念を押しておこう、ちょうどいい機会だと思った。
小さな集落をいくつも抜けて、曲がりくねった道を走ること小一時間、なんでこんな山奥まで来なければ飯にありつけないのか。 空気はきれいだし、飯も悪くないが、話の節々にこっちを値踏みするいやらしさを感じる。アメリカでも似たような感じがないことはないが、仕事を離れればオフで多少は肩の力をぬいた話になるのに、ヨーロッパでは終始値踏みの視線が付きまとっている。

もっともこっちも相手の個人としての経験と能力、率いる部隊の、そのなかの個々の担当者の能力まで把握しようとしているから、値踏みはお互い様だし、とやかく言える立場でもないし言う気もない。ただ値踏みされるのはいいとしても、それは仕事を遂行するために必要な能力とその能力を培ってきた経験や知識に限定すべきことで個人の思想信条にまで踏み込まれても困る。アメリカではこの越えてはならない線がはっきり引かれている。どんな新聞や雑誌を購読しているか、最近どんな本を読んだかかと訊くのはご法度。自出や家系、ましてや宗教に絡んだことなど話題にしてはならない。大文字の「常識」だ。

席について早々、関係している教会の話をもちだされたのには驚いた。知り合いに経済的に困った人がいて、教会に相談にいったら門前払いされた。牧師は立派な人だと思っていたのに、その対応にがっかりした。そんなこんなで教会と距離をあけるようにしている。いってしまえばそれだけの、だからどうしたという話を、日本でも似たようなことがあるだろうと同意を求める口ぶりで、熱心に話してきた。
見る人が見れば無神論者に見えるかもしれない、宗教にはこれっぽっちの興味もない世俗の者。どこでどういう相槌を求めているのかを考えながら相槌を打つほど器用でもない。そんなことに気を使うこと自体がばかげていると思っているから、何を聞いたところで「馬耳東風」期待していた反応などあるわけもない。

ながながとした話には、ヨーロッパの人たちが背負い込んだというのか、なかなか抜け切れない思考のバイアスがある。アメリカ人にもないことはないが、ニューヨークやボストンの中間階層で感じることはまずない。大航海時代以降の歴史が生んだ優越感が事実を事実として素直に理解するのを妨げている。思考の基本に、キリスト教(プロテスタント)があってはじめて近代工業社会が成立し得、そして民主的な社会が可能になると思い込んでいる。
キリスト教徒でない人たちが自分たちと同じような先進社会をつくれないはずなのに、日本という経済大国がある。どうにも説明がつかない。パンに代わる米と同じようにキリスト教に代わるなにかがあるはずなのに、いくら訊いても神もなければ、これといった宗教観もない。

説明がつかずに落ち着かないのはわかるが、人の宗教観を気にする前に、あんたの宗教観や社会観を通してしか相手を見れない思考というのか精神構造といったらいいのか、そっちを問題にしたほうがいいんじゃないかって言いたいが、言ったところで何がわかる相手でもない。どうでもいい話しを聞き流しながら、本来ならうまいはずの飯がまずかった。飯に謝らなきゃいけない。一人でビッグマックでもかじっていた方がよっぽどいい。

二〇〇三年、ボストン郊外のレキシントン市に住んでいた。小学五年生の娘から聞いた同級生の宗教感覚にほっとしたことがある。クラスの誰も彼もが、「クリスチャンだけど、神なんて信じない。そんなものサンタクロースといっしょで、いっこないじゃない」と言っているという。のんびり育ったのだろう、そういわれるまで娘はサンタクロースを信じていた。
そこには、社会のありようもふくめて、個人の思考や志向も宗教の束縛からかなり自由になった人たちの社会があった。その人たちにとって、キリスト教は日本人の神仏の欠片が残った現世にいきる人たちの宗教観にかなり近い。

現世の世俗に生きるものには、宗教がらみの話は馬の耳に念仏より困りもので、ただただうっとうしい。宗教のしがらみから自由になれない人たちから社会がどうのという話は聞きたくない。
2017/10/29、2020/12/27改版