「力」みなぎるニッポン(改版1)

「道」ほどではないにしても、日本ほど「力」に溢れた国はなかなかないと思う。しっかり文化として定着しているからだろう、新奇な「力」を聞いて、おやっと思ったところで、たいして気にすることもなく受け入れてしまう。

ついこの間まで住んでいた横浜の港北ニュータウンは若い世代の町で、就学年齢の子供も多い。その子供たちを客とする学習塾や進学塾もどれにするか迷うほどある。競争も厳しいのだろう、勧誘のチラシがしょっちゅう郵便受けに入っていた。チラシの内容はどこも似たようなものだが、あるチラシには「勉強なのにノメリコム」というキャッチに続いて、「発想力・表現力・応用力・計算力・文章力」の五つ「力」がならんでいた。そこは学習塾、理解力や記憶力もあれば読解力もあるだろうが、定番の「力」では注意をひかない。生徒を集めようと考え抜いた五つの「力」なのだろう。

どんな「力」がでてきても驚きゃしないが、宣伝文句の「女子力アップ」などという「力」を見聞きすると、いったい日本人はどれほどの力を生み出しているのかと気になることがある。似たようなことを気にする人もいるだろうと、Webで見てみた。インターネットで質問すると善意の人が答えてくれるサービスがぱっとでてきた。
「努力、忍耐力、注意力、持続力、など以上以外に最後に力がつく熟語をあげて下さい」という依頼に、ざっと思いついただけでこれだけという注記つきで、下記の回答が載っていた。
「知力・体力・指導力・魔力・魅力・能力・洞察力・実行力・収集力・吸引力・説得力・想像力・免疫力・胆力・戦闘力・生産力・張力・聴力・精神力・握力・腕力・脚力・威力・火力・気力・視力・浮力・余力」
ここには、火力があるが電力や水力や風力も潮力も原子力もないし、重力や引力や潮汐力も磁力や牽引力もない。張力はあるが、抗張力も圧縮力も反発力も応力もない。助力や想像力も政治力も交渉力も軍事力も抑止力もない。聴力はあるが視力も集中力もない。あまりに力がつく言葉が多すぎて、思いつくままリストアップしてをなんどか繰り返したところで、おおかたにしても網羅しれきる人はいないだろう。

常識も知識も興味も人それぞれ、思いつくままも人それぞれ、言葉は世につれてで、新聞や雑誌でも広告宣伝までにしか使えない造語や新語が次から次へとでてくる。消費者の関心を引くために、いままでの常識の範疇からはみ出たとっぴな造語から次の社会で常識として定着する言葉が生まれるのだろう。
それでも「発毛力」までなら、まあそれもありかなと思うが、「目力」や「コミュ力」、「お笑い力」になると、そこまでいくかという気がする。「胸毛力」にはちょっと驚くが、「ハゲ頭力」になると、もうなんでもありじゃないとすら思えてくる。「国語力」や「英語力」と聞くと、まあそんな言い方もあるかと思うが、「敬語力」はどうかと思ったら、驚いたことに検定試験まである。

日本人の「造語力」には世界的にみても感嘆するものがあるが、共通の理解があると思って使っている「力」のつく言葉でさえ、どれほど定義して使ってきたかとなると別の話で、ましてや新造語にいたっては、そんなものはなから気にもせずにきたのではないかと思う。しばし何を言っているのか本当のところは、言っている本人もわからない。わからないということを気にすることもなくというより、気にするための知識や知能に問題があるんじゃないかと気になる新語さえある、それもしばし新聞記事のなかに。

何を分けのわからないことをいってんだオヤジと無視されるのが落ちだろうが、自分が言っていることが何なのか大して気にすることもなく、聞くほうもなんとなく流れで聞いているだけで……、それが文化なのだといわれると、そりゃないといいたくなる。いったところで何がどうなるわけでもなし、なんにしても即物的な損得以外に何も気にしない。そんなところに、ちょっとした注意などしようものなら、どんな反発があるのかとひいてしまう。昔からある「注意力」の違う意味、話をするときに相手の反発を生みにくい注意の仕方の「注意力」なんてものありかもしれない。

思わず「えっ」と口にだしたくなる新語に加えて、もともとあった「力」の言葉の新しい意味や使いかたまででてくると、もう昔ながらの頭では溢れでる新しい「力」に追いつけない。社会の変化についていけない、置いてけぼりにされると心配になるが、なったところで、さしたる支障はありそうもない。それでも心配はなくならない。心配はいやだが、この類の心配はあったほうがいい。置いてけぼりにされないように注意する「置いてけぼり力」が身についてきたのかもしれない。
2017/10/15