読み物仕立てのすすめ(改版1)

もう七、八年前になるが、考えてきたことをまとめて書き残しておこうと思い立った。今になって振り返ってみれば、人文系の教養もないし、仕事以外の文章など書いたこともないのに、よくぞそんなことを始めたものだと思う。
個人の備忘録にしても、後で読んで、なんだか分からないものじゃ、何のために書いたのかという話になる。どうせ書くなら、人さまにも読んで頂けるものをと、文章の書き方という本を何冊か読んだ。ただ、そんなものをあわてて読んだところで、所詮付け刃。還暦すぎの手習いであることに変わりはない。
それでも書いていけば、それなりに勢いのようなものもついてくる。ついた勢いのまま、書き溜めたものを電子書籍でしかないにしても二冊の本にまとめた。

二冊とも考えてきたことをまとめたもので、視野も視点も共通している。ただ、一冊目は二十代中ごろにニューヨークに駐在したときの経験を日記のようなかたちにまとめたもので、読みようによっては私小説ともいえないこともない。二冊目は四十年にわたる企業人としての社会観や思いを整理したもので、読み物というより固い説明口調になっている。

どちらも感情の機微や修飾的な文言を必要最低限に抑えて、読みやすい文章をこころがけた。私小説のような読み物なら、伝えたい主旨にいたる文章が枝葉の少ないものになるだけだが、説明口調の文章では、脂分が抜けて筋張った肉のようにかみ砕いて咀嚼するのに力がいるものになる。するすると読んで主旨にという文章と、咀嚼するまでに一仕事という文章のどっちがいいか?主旨と読む人の嗜好にもよるだろうが、二冊ともいってしまえばただの雑文、読者に要らぬ苦労をおかけするのは忍びない。

『はみ出し駐在記』も『Mycommonsense:ビジネス傭兵の常識―巷の常識/非常識』も、一つひとつの節は、話の流れがあるにしても読みきりになっている。一つの節は二千語から三千語、長くても四千語だが、物語の体裁の二千語三千語ならまだしも、社会観や思いが説明口調で二千語三千語となると、読む人にかかる負担が大きい。社会観や思想的なことが数ページごとに、これでもかこれでもかと出てくれば、通勤電車のなかでも読める気安さはなくなる。

そのせいもあってだろうが、読後の感想を求めた知人からは、『はみ出し駐在記』は、世辞にしても「おもしろかった」「うん、考えさせられた」というコメントを頂戴したが、『Mycommonsense:ビジネス傭兵の常識―巷の常識/非常識』は読み通してくれた人が何人もいない。
『はみ出し駐在記』にある外れた危ない社員が著者なのか、それとも『Mycommonsense:ビジネス傭兵の常識―巷の常識/非常識』にある考えを抱えた煩いオヤジが著者なのかと訊かれれば、前者の要素を抱えたまま、社会経験を積んで後者に変わっていっただけで本質に変わりはないと思う。それでも、あえてどちらかと問われれば、人様にどう思われようが、後者だと思っている。

何をどのように書いても、書いた主旨が百パーセント読者に伝わることはない。こう読んで頂けたらという気持ちはあるし、こう読んでいただけるようにと書いてはいるが、どう読むかは読む人次第でしかない。
ただ何を書いたところで、読んで頂けなければ始まらない。読んで頂けるのであれば、書いた主旨から大きく外れない理解をして頂きたい、というよりそう読んで頂けるように書かなければと思う。
であれば、書くのも読むのも疲れる説明口調、あるいは論文のようなものより、口語で物語風にして、伝えたい主旨にいたるまでの文字数が多くなってもいいじゃないかと思いだす。そのせいで、まかり間違えば読者が思わぬ方にそれて、主旨からずれていってしまう可能性が大きくなるにしても、物語仕立てにしたほうが、いいということにならないか。

この物語風の方がいいのではないかという誘惑にも似た考え、例を挙げれば分かりやすいかもしれない。
塩野七生の『海の都の物語』と高坂正堯の『文明が衰亡するとき』の二冊は知っている限りでしかないが好対照だろう。限られた読書量からの話で、もっといい例があるかもしれないが、この二冊の本を比べてみれば、物語風の方がというのをご理解頂けるかと思う。
『海の都の物語』は、ベニスの盛衰を一大絵巻の物語に仕上げている。一方『文明が衰亡するとき』はベニスにローマ帝国とアメリカの三つの文明を扱っているが、署名にある衰亡するときだけではなく興隆していく社会や組織のありようにも触れていている。読者によって何を得るかは違うにしても、どちらも社会の興隆から衰退へ、その社会が内包していた文化や思想を描き出している。違いは片や小説という読み物に、片や論文とまでいかなくても説明口調に尽きると思う。主旨を理解するために読まなければならない文章の量は小説の方が圧倒的に多い。そこには主題という主旨と、周辺の主旨まであって、周辺の主旨が主題と読まれてしまう可能性もある。それでも、まず読んで頂くという始まりのためには、論文調や説明口調よりは読みもの仕立てにした方がいい。
Googleで『文明が衰亡するとき』を検索すると、こんなに多くのサイトがと驚くが、『海の都の物語』はもう多すぎて、数えようなどという気もおきない。どちらも多いが、『海の都の物語』には圧倒される。

『文明が衰亡するとき』はちょっと重すぎる、『海の都の物語』までなら読めるだろうと思って、読んでみたらと知人に進めてみたことがある。驚いたことに、数週間もしないうちに、「難しくて読めない」と言ってきた。読書の習慣のある人でも中間小説や流行小説までで、思想的な背景の上に成り立っている小説はちょっとという人も驚くほど多い。そのような人たちにも主旨をと思えば、説明口調をさけて読み物仕立てにしたほうがいい。そのうえで努めて軽く柔らかくを心がけるしかないと思う。

そう言いながら、お前、この文章、物語仕立てになってないじゃなかと言われそうだが、物語仕立てにするのも、説明口調にするのと種類は違うが腕力が必要で、ここではご容赦頂きたい。言い訳になるが、物語り仕立ては今練習中で。
2018/6/17