バナナはいらない(改版1)

一部上場の名門といわれた工作機械メーカの技術屋崩れの三十五歳。ニューヨークに駐在していたこともあって、前職は技術英語の翻訳者。相当なヤツと勘違いする人もいたかもしれないが、実のところは労働争議にからんで工作機械メーカを辞めなければならなくなって、翻訳屋に転進したSocial dropoutだった。周囲の人たちには口語でも文語でも英語は堪能にみえたかもしれないが、油職工になりそこなったあげくに、英語では四苦八苦してきた経験しかない。英語は飯のタネとしてやってきただけで、好きになれないというより大がつくほど嫌いだった。
知り合いのつてで翻訳者になったはいいが、三年もやれば飽きる。この先どうするかと思っていたところにアメリカの制御装置メーカの口が転がり込んできた。

八十年代のなかごろ、今でもたいした違いはないが、転職ということではサラリーマンには二つの選択肢しかなかった。一つは一般的に転職と呼ばれているもので、これは勤め先が変わるだけでサラリーマンであることに変わりはない。もうひとつは脱サラで、こっちは意味が広くて、今でいう起業もあれば、個人請負というのか下請けのような仕事もある。巷の翻訳会社の社員として身をおいてはいたが、個人請負のようなものだった。よくいえばプロの翻訳者ということなのだろうが、世間一般の目でみれば、社会からの脱落者―Social dropoutに近い。

プロであれSocial dropoutであれ、翻訳の仕事は内職仕事のようなもので、企業のような組織もなければ人との係わり合いも限られている。自分独りでできたまでができたまでで、組織を挙げてなにかということはない。いくら頑張っても、組織がなければ、独りでできることまでしかできない。一人稼業のプロとして道を極めるのも悪くはないが、そんなもの年をとってからでも遅くはない。技術の勉強もまだまだしなければならないし、組織で仕事をしかったこともあって、アメリカの会社の日本支社に転職した。Social dropoutがはれて社会に復帰した。それはアメリカの会社だったからで、伝統的な日本の会社では、今でも一度Social dropoutになった人間を雇いはしないだろう。

百名ほどの従業員のうち三十名近くが新卒か、今で言う第二新卒の人たちで、ビジネスはどうにもならない状況なのに、明るいというのか、ワイワイにぎやかな職場だった。マーケティング部でマニュアルの和文化やカタログや販売資料の作成を担当していたが、何をするにも上司や同僚の日本人からの話しだけではあてにならない。駐在しているアメリカ人と相談しながら、しばしばアメリカ本社の事業部と電話会議をしないととんでもない間違いがおきる。

会議に同席している三十前後の転職組みも新卒も英語でのやりとりになると蚊帳の外になってしまう。専門用語や社内用語が容赦なく飛び交うなかで、必要な支援や情報をアメリカから引き出さなければならない。そんなことが何回か重なると、今度入ってきた人は、日常会話だけでなく、日本語でも英語でも技術的な話しも政治的な駆け引きできると、尾ひれまでついて社内のあちこちに広まっていった。

面と向かってでも意思疎通をはかれない人たちに電話会議はつらい。簡単な話しならまだしも、技術的あるいは政治的にちょっと込み入ってくると通訳としてかりだされた。何かあるたびにちょっといいながらいろいろな人たちが話にくる。ごちゃごちゃになった状況を筋の通った話に英語でまとめて、駐在員と相談する。分掌もへったくれもない。使い勝手のいい通訳が入ってきたようなものだったのだろう。そんなことをしていれば、ときには世間話になって、駐在してたニューヨークの危ないところの話やら何やらで話題を提供することになる。

ある日、日本人七八人と駐在員で、製品仕様の打ち合わせで丁々発止のやり取りをしていて、一休みになった。話題の延長線でアメリカの自動車業界から工作機械業界……について訊かれるままに話していた。そのときは涼しい顔をして聞いていた駐在員に後日、これ以上はないという丁寧なといえば丁寧な、厭味ったらしい言い方で言われた。
「お前を雇ったのは、アメリカを知っているからではない。アメリカのことなら、俺たち駐在員の方が間違いなく詳しい」
「お前に求めているのは、俺たち駐在員が知り得ない、日本の商習慣であり、産業構造であり、そこに棲息している顧客やその関連会社、出入りしている企業や人たちのことを知っているから、そして必要に応じて調べる能力があって、英語で整理して情報として提供する能力があるからだ」
「アメリカを知っているというアメリカかぶれは要らない」

言われる通りなのだが、なかなか気がつかない人も多い。外国語を勉強する多くの人たちが陥る間違いの一つだろう。なかには翻訳ものを通してという人もいるから驚く。根っこのところでは黄色人種で、生まれながらに培った文化から隔絶しようがないのに、まるでアメリカ人(あるは西ヨーロッパ人)のように振舞おうとする人たちをバナナと呼んで馬鹿にしていた。昔の話だが、バナナが外は黄色いのに中身は白いことから、外見は日本人なのに中身をなんとか白くと行き過ぎた人たちを指して、誰かがいいだしたことだろう。

日本人がいくら頑張ってもアメリカで生まれて育って、アメリカでアメリカの会社で働いて生活している人たちのようにはできない。もしできたら、それは日本人であることをきれいさっぱり捨て去った、捨てることができた人たちだけだろう。確かに海外の事情に精通していれば、仕事をしていくときにかなり有効な武器になる。ただ、それは海外関係の仕事という、特殊な条件のもとでのことであって、自分が日本人であって、日本の文化や社会常識から遊離したら、海外の企業から見たときに、なんの価値があるのかと考えてみたほうがいい。バナナは所詮バナナに過ぎない。主食にはならないし賞味期限もしれている。
海外のことにも精通してはいても、どこをどう突かれても、叩かれても、誇りをもった日本人でなければならない、と思っている。
2018/7/29