もっと難しく、イカ墨先生(改版1)

工業高専は、技術的な基礎知識の詰め込み教育を目的として設立された、ちょっと気の利いた職業訓練校でしかない。こう言うと、あれこれ言ってくる人もいるだろうが、それは東京高専を卒業したものの実体験が証明した、たとえ一例でしかないとしても事実で、その一例が特殊なケースでもないとしか考えられないから、誰が何を言おうが事実は事実で変わらない。
そんなところに五年もいると、人文系の素質などあったところで、きちんと矮小化して、あったことさえ忘れてしまう。しっかりモノ造りに染められて、なにを考えることもなく、自然の流れで製造業に巣立っていく。七十二年に工作機械メーカに就職した。そこは勉強してきたとこの実践の場で機械との格闘の毎日だった。テレビや新聞で見聞きする文化的な(消費)生活は、遠くにぼんやりかすんでいて別の世界のようだった。

会社と寮の往復の単調な生活のなかからでも、どうにも説明のつかないことがちらほらにしても見えてくる。社会をどんな視点でみれば、もっともよくみれるのかと考えて経済学をと思いだした。なんの基礎もないのもが何冊かの入門書を経て、いきくつ先はケインズ(サミュエルソン)の更生経済学とマルクス経済学だった。基礎がないから、何を読まなければという指針すらない。これはと思う本を本屋で見つけては買ってきて寮で毎晩読んでいた。労働運動も末期的状況とはいえ、まだ潰えてはいなかった。その影響もあって自然にマルクス・エンゲルスに流れていって、多少の哲学書にまで手をだした。

はじめて目にする専門用語や言い回しに四苦八苦しながら読んでいて、なんでこんなにという、面倒なわかりにくい言葉と説明に手をやいた。基礎教育を受けていないからしょうがない。自分の知識や能力が足りないからだ、もっと勉強しなければと励みにすらなった。

それから四十年、還暦過ぎまで仕事に直接関係するか、間接あるいはそのちょっと先の本までで、精神的に自由な時間は限られていた。日本とアメリカとヨーロッパの会社を渡り歩いてきて、行く先々で遭遇したこと、考えてきたことをまとめて書き残しておこうと思いたった。そこで奇形化していた自分に気がついた。
仕事に関係する文章しか書いたことがない。仕事の文章はお互いにかなりの共通理解があって成り立つもので、わかりきったことや当然の前提などうだうだ書かない。理解するための前提知識がない人にわかってもらおうなどという気ははなからない。仕事の文章ならそれでかまいやしないが、書き残すとなるとそうはいかない。家族やかつての同僚への遺書でもあるまいし、人文系の人たちでも技術系の人たちでもなく、巷の普通の人たちにも読んでいただけるものにしなければと、文章の書き方の本を何冊か読んだ。

そんななかの一冊に鶴見俊輔の『文章心得帖』がある。鶴見俊輔が、いつもの調子でと言っていいと思うが、わかりやすく、いい文章を書く要点をまとめている。そこは鶴見俊輔、こうしたほうがいい、こうじゃなきゃというだけでなく、これじゃねえーという悪い例を二ページにわたって引用している。
ここで、二ページもの引用を、たとえその一部にしても再引用する気はない。鶴見俊輔の結論だけで十分だろう。引用が気になるかたは、『文章心得帖』を一読されればいい。文庫で二百ページほどの本、負担になるような本ではないし、一読の価値はある。

引用は好きになれないし、したくもない。ただ、ここではしてしまったほうが話が早い。ご容赦を。
「次に、私の目からみて悪い例としての書評をあげます。これは、J.ピアジェの『人間科学序説』(波多野完治訳)の書評で、ある週刊誌に載っていたものです」
「一読して、何が書いてあるのかさっぱりわからない。……これを読んで印象に残ったことは、本のタイトル、出版元が岩波書店であること、定価は千円。これだけです」
「イカが墨を吐いて自分の所在をくらます、そんな印象を受ける文章です。『弁証法的円環』といった学術用語を次から次に出して、所在をくらましている。自分はこの本の趣意はわかっていない、ということをこれでごまかしとおせるという、そういう技巧として学術用語が使われている」
「とくにぐあいが悪いことは、著者のピアジェは偉大な学者であり、この本を訳した波多野完治はわかりやすい文章を書く人です。偉大な学者の原著を、わかりやすい文章で訳した書を、こういうふうにわかりにくく紹介するのは、いったいどういうことなのか。……」

著名な先生の金字塔のような本を読んでいて、よくわからないことがある。何度読み返してもわかったような気にすらなれない文章にであうと、これでも日本語かと疑いながらも、まちがいなく非は知識不足の自分にあると思ってきた。それでも関連した本を読んでいるうちに、どうも非の所在は自分だけにではないのではないかと思いだして、そんな自分がどこかで外れてしまったかと不安だった。そこにこの「イカ墨」。「イカ墨」に救われた。考えてみれば、長年立ち込めていた靄のほとんどが「イカ墨」が溶解したか発酵したか知らないが、どう見ても残渣にしかみえない。目の前がぱっと開けたような気がした。

『座談会 昭和文学史一 井上ひさし 小森陽一編著』のなかで、川端香男里が次のように言っている。
「日本文学では、どうもわかり過ぎてはいけないようですね。わかりやすいのは浅い。そういういう考え方が根強いんじゃないでしょうか」
「比較文学者の小西甚一さんは、『それは日本の翻訳のせいだ』と言っています。明治時代の翻訳は『豪傑訳』です。相手が何を言っていようが自分の訳で通してしまう。ところが、大正・昭和になると『弱虫訳』になる。向こうの御本尊にぴったり合うような翻訳になってきた。つまり、日本語の語形を崩してでも御本尊を守る。そういう弱虫的な、日本語を崩した訳を大事にする傾向がでてきた。そのことが日本文学を弱化させた。またわかりにくくした」

そもそも歴史も文化も言語もこれほどまで違うかという国や民族の思惟の粋のような詩や文学、あるいは哲学など訳そうにも訳しきれないところが山のように残ってしまうだろう。ドイツ語に堪能で、フランス語に堪能ではいいが、言葉として堪能では十分でないどころか、その程度で訳そうなどと大それたことを考えちゃいけない。その本が書かれた背景や著者の思い、政治的、歴史的、経済的……、ときには個人的な人間関係まで含めた全体像の理解なしに、参考文献をあさりながら、文字を追って翻訳。著者が抱えている全体像にさしたる知識もない普通の読者にわかる文章に翻訳しえるのか。

たかが三年半ほどだが、若いとき技術翻訳で飯を食ってきた経験から、この数年、翻訳物に限らず、純日本文学であっても翻訳臭い物や翻訳調から抜け切れない物は避けている。それというのも、自分の日本語を整理している段階で、そんなものを読めば少なからぬ影響を受けるだろうし、受ければ自分の日本語がおかしくなりかねない。

あるセミナーの懇親会で有名私立大学の准教授に、つとめて感情抜きの調子でするっと言ったことがある。内心はこの先生ねーっと思っているだけに、ことさらへり下った口調にした。
「先生、頂戴したレジメ、難しくて、よくわからないですよ」
ここで、よくわからないですよというのは、鶴見俊輔のいうイカ墨の意味なのだが、そんなこと思いもよらない先生は、
「いや、教授からは、お前の論文は薄っぺらい。もっと難しく書けっていわれてるんですよ」

難解であることが、すなわち高尚である。先進西洋からもちこんだんだから、日本の土着のものより上等なんだ。まるで「百済じゃないという『くだらない』とすっかり日本語になった『くだらない』の両方の世界がそこにある。

翻訳本と翻訳語とその派生に埋もれて、普通の日本語では格好をつけようにもつけるだけの知見もなければ思惟もない。偉そうにしているためにも、当たり前の普通のことですら、専門用語を引っ張り出してきてわかりにくくして……、日本の社会の進化を阻害してきた人たちとしか思えない。「イカ墨先生」、自分(たち)がはいたスミで迷子になって、横丁の大将よりたちが悪い。
2018/12/23