見つからないと思うこと(改版1)

これこれこうでと考えて整理した、あるいは整理するまでもなく、机の上の本棚にとりあえず置いたはずのものが、たいして時間もたっていないのに見つからない。いくら探してもみつからないと、見つけられない自分がいやになる。歳をとったからかもと言い訳できそうだと思うのもいやだし、ふとそんなことを思ってしまう自分に腹が立つ。

具合の悪いことに強度の近視に乱視があったところに老眼がでて、メガネをかければ見えるところまでと、メガネを外さなければ見にくい距離がある。一日中掛けては外し、外しては掛けを繰り返している。そんな視力のせいもあってだろうが、ときには、ちょっと注意すればそこにあるのに気がつかない。あちこち散々ひっくり返して、もうどこかにいってしまったのか、そのうちでてくるだろうとあきらめる。翌日机に座って書き物をしていて、この間もらってきた資料をとみてみれば、クリアフォルダーとクリアフォルダーの間に紛れ込んでいたなんてことまである。こうなるとやっぱり歳のせいかと、いやいやながらも認めざるを得ないのかと思いだす。

ところが、そんな言い訳がましいことを許さない記憶がある。似たようなことは十代二十代のころにもあったし、今日に至るまで見つからないということでは、なにも変わっちゃいない。要は整理が下手ということでしかない。仕事でも私生活でもあれはこれはは日常茶飯事。それが物のこともあれば、資料や電子ファイルのこともある。

整理整頓云々など、言葉を聞くだけでも、自分の思考や習慣や躾がなっていないことを指摘されているような気がする。
それでも整理整頓が嫌いなわけじゃない。机にしてもなんにしても、きちんと整理されているほうがいいにきまってる。ただ整理のための整理のようなことに時間を使いたくないという気持ちもあって、もういい加減に整理しなきゃになるまでは手をつけない。毎日いろいろなことが起きて、あれもこれもとあちこちに関心があれば、物にしても情報にしても、どうしてもあれもこれも入ってくる。入ってくるものを図書館か資料室の整理係りでもあるまいし、整理することを優先するような生活なんかしようがないじゃないか、と「普通」の生活をおくっているつもりいるが、ある状態を超えると、最低限にしても整理しなきゃと始めることになる。

整理するといったところで、自分のロジックで自分の便利さまででだから、家族からみれば、そんなもの整理されているようには見えないらしい。それでいいじゃないかまではいいのだが、問題は整理したときのロジックが整理されていないというか、しっかりしていないことにある。それというのも、多くのことがリレーショナルデータとでもいうのか、あっちにもこっちにも、あれこれ関係していて、ここにしか分類のしようがないというものの方が少ない。勢い、これはここで、あれはあっちでで、どうしてもそのときの思いつきというほどいいかげんではないにしても、きちんと規定された分類ではない分類に従っての整理になってしまう。

一月もして、さてあれはどこにしまったかと探しだすのだが、しまったときの分類がはっきりしなくなっている。たしかこっちだったと探しても見つからない。いいやこっちだったかと思い直しても見つからない。まさかこんなところにじゃないよなと探しても見つからないとなると、もしやいらないから捨ててしまった? いやそんな馬鹿なことはないと、しまったときの分類の可能性を手探でたどっているうちに、うっそうとしたジャングルで迷子になったかのような状態になる。探すのに疲れて、なんだ、へんに整理なんかしないで、大きなバケツいくつかに放り込んでいるような、いつもの雑然としておいたほうがよかったんじゃないか。慣れない整理なんかするから、こんなことになるんだという、ろくでもないことまで思いだす。

これは慣れないのが原因なんだから、もっと頻繁に整理すれば、分類も整理も板についてということになるんじゃないかと思わないわけではないが、生来の無精のせいもあって、雑然とした部屋と机の上にへんな安心感といつまでもこんな状態でどうするんだという気持ちが交差する。

三十代の中ごろ一緒に仕事をしていた同年輩のアメリカ人に、血なのか躾なのか、なんでそこまでというほど几帳面なのがいた。資料を探して見つからないと、面倒だし時間ももったいなからと、「もってないか」と相談にいった。きけば、いくらもしないうちに、ちゃんとでてくる。
それに味を占めて、ちょっと探して見つからないと、恥も外聞もなく、もうあいつに聞いたほうがと探すのを止めてしまっていた。
ある日、半日たってもでてこないことがあった。しょうがない、自分でもう一度探してみるかとガサガサやっていたら、十メートルほど先で、それはもう血眼といってもいいすぎじゃないほど真剣というのかムキになって探しているのがみえた。あわてて、「もういいよ。もう一度探してみるから」といっても収まらない。見つからないこと、整理ができていなかったことがショックだったのだろう。
あまりにだらしなくて、しょっちゅうやさがしのようなことになるもの困りものだが、整理できているはずという気持ちというのか自信があるのに見つからないと、一騒ぎになるというのを知った。

どこかのお役人じゃないが、天下国家を左右するような仕事をしているわけでもなし、見つからなければ見つからないで、なんとでもなるし、なんとでもすればいいだけのはなしじゃないか。整理整頓なんていってるより、なんとでもする能力の方がよっぽど大事じゃないかと思うのだが。
2019/1/20