ぼんやりしておいたほうが(改版1)

尖閣列島のニュースを聞いたとき、ときには故意に、ぼんやりさせておいたほうがいいこともあるというのを思い出した。いい加減はいやだし、はっきりさせたい、しなければという気持ちがあっても、それができれば……、というところで踏みとどまらなければならないことがある。欲得抜きで、どうしてもまっすぐな線を引かないと気がすまないというのは、思考の幼児性というのか欠陥でしかない。

GEのある事業体で、前々任者が結んだエンジニアリング会社(元は某巨大重電会社の一事業部)とのパートナーシップ契約が切れていた。一年ちょっとで逃げ出した前任者はそんな契約があったことも知らなかったろうし、ベテランの営業マンは流れ仕事をしているだけで、知ってはいてもインセンティブに関係する直近の売り上げしにか興味がない。

アメリカのコングロマリット本体の日本支社(コーポーレート)が、消費者金融からジェットエンジンまでという、さまざまな事業体の日本支社のオペーレーションを遵法という視点でみていた。コーポーレートの法務部、いつも訴訟沙汰で忙しいのだろうが、そんなことでもない限り、事業体にとっては象徴的な存在でしかない。なにをどうしたところで、遵法がどうのこうのというまでで、雑多な事業体のオペレーションにまで踏み込む知識もなければ能力もない。

巨大コングロマリットに吸収されるまで、日本では買収されたアメリカの会社から独立した販売代理店のような経営が続いていた。買収を機に、やりたい放題の経営を整理しなければと、従来からのマネージメントを一掃した。コーポレートから送られてきた経営陣、業界のことも知らなければ、技術的なことなど興味もない。あるのは直近の金に対する執着と宮廷遊泳術。残った従業員は面従腹背、問題になりそうなことは口にしない。十年以上気ままな仕事で甘やかされてきた総務の担当者が新しい経営陣に嫌気がさして辞めた。待ってましたとばかりに、コーポレートが総務担当者を送り込んできた。

お目付け役のような総務担当が、それこそ家宅捜査でもするかのように、従来からの職務規定から代理店やエンジニアリング会社との販売サポート契約を引っ張り出してきて、コーポレートの法務部に法的適合性のチェックを依頼(?)した。事業体の日本支社の社長といったところで、遵法の視点では法務部の指示に従うしかない。ただ従うにしても法務部が二つあった。一つは日本のコーポレートの法務部だが、それとはまったく関係なく、事業体はシンガポールに法務も含めたアジア本社を置いていた。

日本のコーポレートの法務部と事業体の法務部、同じ法務部でも立場も違えば、適合すべき法律も違う。日本はあくまで日本で、事業体はニューヨーク。適合すべき法律以上に事業に対する責任意識が違う。コーポーレートは日本の遵法には責任があっても、事業体のビジネスにはなんの興味もない。事業体の法務部は少なからずも日本支社のビジネスの支援しなければならないという、あって当たり前の意識がある。

法務部と法務部が意地の突っ張りあいでもしだしたら、目もあてられない。コーポレートの法務部は契約更新の最後の段階でチェックに入ってもらうことで了承してもらって、相手をしなければならないのを事業体の法務部だけにした。
更新を忘れて期限が切れてしまったパートナーシップ契約を一日も早く更新しなければならない。切れたまま従来の契約で販売、サポート、社内の視点にすぎないにしても業務規定に抵触している。
従来のパートナーシップ契約を精査していって、たまげた。当時の言うに言われぬ事情があるのだろうが、いくら読んでも何をいっているのかわからない。英語への翻訳には苦労した。どういう経緯で決まった製品販売価格なのかわららない。何かとの相殺を目的としたとしか思えないライセンスフィーというおかしな課金があちこちにある。実質的な損得はどうあれ、筋の通らない課金など、法務がどうのというより気持ち悪くてやってられない。

エンジニアリング会社の営業担当者と相談して、わけのわからないライセンスフィーを廃止して、お互いに納得のいく販売価格とサポート価格を決めていった。それは契約更新というより新規契約に近かった。小さな独立した会社だったころなら、これで一件落着なのだが、コングロマリットではそうはいかない。両方の法務部の了承がなければ契約書にサインできない。
契約書案をシンガポールの法務部に送ったら、あれこれ付帯条項をつけてきて契約書のページ数が二倍以上に膨らんだ。あまりに簡素なパートナーシップ契約で、こんなもんでいいのか不安だったが、立派な法務部のおかげ?で契約の主文よりも法務の付帯のほうが大きいというおかしなものになった。日本語でもそうなのが、なんで法務という連中はこんなに面倒な言葉遣いでわかりにくい文章を書くのかとあきれる。

こっちの法務の都合だけで入ってきた付帯条項、とでもでないながエンジニアリング会社としてはうけきれない。営業担当が、こっちが法務まででてくるとなると、エンジニアリング会社も法務を引っ張り出すしかなくなったといってきた。二人して、どうしたものかと頭をかかえた。実務部隊を脇において、法務と法務が言い合いをはじめた。お互い法務、なにかあったときに自社に不利にならないようにと、法務の文言をつけて、つけられたものの脇を抜ける文言をつけて押し合い、とでもじゃないがついていけない。

エンジニアリング会社の営業担当が、英語でやり取りされる法務同士の文章についてこれない。営業担当が抜けて、自社の法務と顧客の法務の間にはいって、両者の言い分を整理して調整を繰り返した。このまま言い合いの間に入っていても、いつになったら収束できるのか見当がつかない。力任せに押し返すしかないと腹をきめた。シンガポールにいる法務を抑えれば、客の法務は納得して矛を収める。

シンガポールの法務が追加した、そして客の法務が反発している箇所だけを見ていった。法務担当が法務の視点で、もし万が一なにかあったとき、自社が不利にならないようにと文言を入れ込んでくる。それをみれば客の法務も同じ視点で押し返してくる。法務が法務であろうとするとこの両者の押し合いは、それこそ法務としての存在そのものにかかわる。
存在はいいが、それは法務としてのもので、事業としての視点はどこにもない。事業に責任を持っているものとしての、使いたくない権限を使うことにした。

法務同士で押し合いをしている面倒なところすべてを、事業に責任をもった社長の権限で削除すると伝えた。何を言い返されても、事業に責任をもってるのは誰だと押し返した。五年ごとに見直す契約更新に九ヶ月かかった。契約が切れていたのに気がついたときには、すでに半年以上すぎていたから、一年半ほどは切れた契約に基づいて仕事をしていたことになる。

海外のプロジェクトビジネスで痛い目にあってきた経験が生きた。プロジェクトでは、エンジニアリング会社もいっしょに船に乗っているようなもので、お互い船主の意向に沿わなければならないし、荷主の要求にも応えなければならない。なにか問題が起きたときは、お互いにお互いの能力と権限をもって協力してことに当たろうという紳士協定のようなかたちでやってゆくという気持ちさえあれば、なにが起きたところでなんとでもなる。利益が背反するところは多い、それでもそれが一緒に乗っている船を沈めてもかまわないというところには至らない。政治的に沈没させなければならないことなど、よほどのことでもなければ起きない。

いくら「もし」を入れたところで、すべてのケースを網羅できるわけではない。細かに入れ込めば入れこむほど、明文化しきれない隙間が残る。事細かに明文化すればするほど、文言の隙間から抜けたところで、まさかこんなことがというところで問題が起きる。明文化する過程で押し合いを繰り返した不承不承同士が、開いた隙間に出てきた問題の解決に協力し合えるか。し合うにしても力がはいらない。ぼんやりしておけば、隙間もできずに抜けもない。ぼんやりしたところに出てきた問題なら、お互いに協力してという気にもなるし、社内的にも問題解決にでていく言い訳にも困らない。
何も特別なことではないと思うのだが、しばし個人的な損得まで絡んで、普通のことが普通でなくなる。普通でなくなったところが常識になって、おかしな普通が普通になる。
2018/11/25