頭は下げるためについている?(改版1)

日立精機をあいてに身分保全の裁判闘争をしていた活動家仲間が、折にふれては「頭は下げるためについている」と言っていた。解雇に至る発端は突然のデュッセルドルフ駐在辞令だった。誰の目にも活動家の排除を目的としたものとしかみえなかったが、労働組合の幹部の考えは組合員の思いとは違っていた。共産党系の活動家を排除したいということでは、社会党右派の労働組合幹部も会社と同じだった。辞令を不当として、労働組合に支援を訴えたが、「辞令拒否を理由とした懲戒免職は正当」だとして拒絶された。

「頭は下げるために……」は、独り会社から放り出されて、地域の労働組合や不当解雇で戦っている組織を訪問して、支持と支援の輪を広げるために走り回った経験からの言葉だった。「下げるために……」、実体験からくる重さが仲間内では疑問の余地のないものになっていた。何回か聞いているうちに、「下げる」か?と思いだした。時がたつにつれて、それはことのありようの半分でしかないんじゃないか。傍目には、たとえ卑屈に頭を下げているようにしか見えないにしても、譲れない残りの半分がある。両肩の真ん中にお飾りで乗っている肉塊にしかみえないこともあるが、それは考えるためについているもので、ただ下げていたら、自分を失う。

高専を卒業して入った日立精機で叱られっぱなしを目にした。技術研究所の所長が、まるで日課のように開発(試作)機設計課の課長を叱っているのが聞こえてきた。新入社員には何を言っているのか分からないこともあったが、仕事にも課長にも関係のないことにしか聞こえない話も多かった。
「最近の若い者の長髪はなんとかならんのか」だったり、「国鉄のストライキはなんなんだ」というのもあれば、「なんでこんなに雨ばかり降ってるんだ」、それは、どうでもいいことでしかないし、課長に言ったころで何がどうなるわけでもない。人がいいというのか、どういうわけか社内で立場の弱い課長は、何を言われても、頭を下げた卑屈な姿勢で丁寧に受け答えして、所長が席に戻るのをじっと待っていた。

他部署の部長や課長、将来を嘱望されている中堅社員からは、本来ならとっくに定年で消えているはずの老害が、なんで所長として残ったのかというささやきまで聞こえてきた。新入社員にまで聞こえてくるぐらいだから、社内では衆目の一致するところだったのだろう。部長のなかには、所長が何を言ってきても、まともに取り合おうとしない人もいて、部下には「あいつの話を真に受けると、まとまるものもまとまらなくなる。いっさい聞くな」と言っている人もいた。
過去の、それもかなり過去の人になってしまった所長に、昔とった杵柄を振り回される方はたまったもんじゃない。思いつきと思い込みで開発された試作機は傷んでいた会社を間違った方に引っ張っていった。

誰にも相手にされない。相手をしてくれた、というよりさせられたのは上司の課長と新入社員だけだった。ずいぶん経って、何か得たものがあったのかと反芻してみたが、いくら考えても何もない。叱られることが意味のあることならいざ知らず、聞くだけ時間の無駄でしかない。あったのは、ゴタクを聞かされる精神的な負担と、それを耐える精神修養ぐらいだった。社会に出て早々、いい勉強をさせてもらった。
では、課長の立場で、所長のどうでもいい苦言や愚痴にいちいち反論したらどうなるのか。所長にかぎらず、自分より立場が下にいる人から、たとえ、穏やかにでも諫めるような話をされたら、それを真摯に受け止められる人がどれほどいるのか。そもそも受け止められる人だったら、愚痴ともつかない、ろくでもない話などしてきやしないだろう。
ここは、蛙の面に小便よろしく、何を言われても一日中言っているわけでもなしと、雑音が過ぎ去るのを待つのがもっとも無難な選択だろう。それは処世術と卑下されるものではないと思う。

立場の弱い人からも自分の至らない点を指摘してもらえる人でなければならないと思う。どうでもいいことにしても、いちいち反論していたら、聞かなければならないことすら聞けなくなってしまう。立場が下であっても道理に合わないことに対しては、ロジックで立場が上の人を諌めるくらいの勇気がなければとも思う。
ただ、いくらロジックで話をしたところで、ロジックなどわかりようのないのがいる。立場の弱い人にどうでもいいことで文句を言ったり、愚痴をこぼすことで、あるいは査定や人事権を振り回すことで立場を保っているエライさんも多い。会社という組織のなかでこそ、所長だ部長だ、あるいは社長だと偉そうにしている人たち、どのみち会社から一歩表に出たとたん、目の前をたらたら歩いて邪魔でしょうがない「ただのオヤジ」。たまりかねて諭そうとしたこともあるが、時間と労力の無駄ならまだいい。親切心からだという気もないが、何を言ったところで、聞きゃしない。イヤな気持ちになって終るだけでならまだしも、不快な尾を引いた。

人だと思うから、理をつくして話さなければと思ってしまうが、話してわかる相手でもなし、それはもう道端にころがっている石ころだとでも思ってやり過ごすしかない。止まない雨は降らないし、明けない夜もない。処世術など知ったことかと生きてきたもの、そんなものでも処世術の一つか思うと、すっきりしないし好きになれない。
2018/12/16