お酉さま、でかけてみれば沖縄民謡(改版1)

雑司が谷には夏目漱石やジョン万次郎(なんと東条英機)の墓まであって、お寺(や神社)が多い。なかには、池袋駅から近すぎる(?)からか、ラブホや雑居ビルに囲まれて立派な鉄筋コンクリート造りのお寺もある。そんないかにもという豪華なつくりのお寺があるかと思えば、隠れるようにこじんまりとしているものもある。

近所にある神社は小さい清楚なもので、都電を正面にして三方を二階建ての住宅やマンションに囲まれている。そこは神社、お寺と違って夕方には門を閉めてということもない。朝に晩に抜け道のように境内を横切っていく人もいれば、犬の散歩にという人もいる。縁日でも訪れる人が少ない神社を人々の日常生活から車一台が通れる細い道が隔てている。その道のあちこちに地域ネコがのっそり歩いていたり、物陰から道行く人たちに目を配っている。

お使いやなにかで神社の脇の路地を歩いていくのだが、生活の時間帯がずれているからだろう、お昼や夕飯のおいしそうな匂いがただよってくることがある。人様のおかずなど気にしてどうするのかと思いながらも、どの匂いにも懐かしさがあって、つい想像してしまう。うん、これはアジのひらきじゃないか、肉じゃがか、しょうが焼きじゃないか、これは間違いなくカレーだというのもあるし、ときにはクッキーなのかパウンドケーキでも作ってるのか、いやそこまで凝っちゃいないだろう、たぶんホットケーキていどじゃないかと、楽しませてもらっている。

神社やお寺はどこかかしこまったもので、意識的には日常生活からはちょっと切り離されたところにある。離れているから、時々の必要に応じてか都合で、それなりのありがたみも湧いてこようというもので、日常の生活のなかに溶け込んでしまうと、そんなものこっちの気持ちの問題で神社やお寺のせいではないといわれそうだが、ただの空き地に変わった建物があるだけになってしまう。住宅地にとってつけたような建物だけに、非日常が日常に紛れ込んだようで、どうにも落ち着かない。

十月も末になれば、路地の電信柱に貼ってある酉の市の案内が目に付く。酉の市といっても境内は狭いし、何軒も出ていないだろうし、浅草の鳳神社で味わえるような下町の粋をというわけにはいかないだろうと思いながらも、歩いて数分のところだし、何もなくても何かあるだろうと出かけてみた。

ちょっと行ってくるかと表に出て歩いていった。歩き始めてすぐ気がついた。どうも神社の方から、なぜか沖縄民謡(?)が聞こえてくる。近くに豊島区の施設でもあって、趣味の人たちの集まりでもあるのかと思いながら歩いていったら、どんどん音が大きくなってきた。
いつもは誰もいない神社の入り口近くに人、たいした人数ではないにしても人がいた。酉の市だということで近所の人たちがでてきているのだろうと思ったら、仮舞台まで作って、その上には沖縄民謡の奏者と歌い手がいた。関係者なのか近所の人たちなのか、四、五十脚のパイプ椅子に座って、熊手を背にステージを楽しんでいた。
小さな、ささやかな出店が二軒、熊手をかざっていはいるが、客という客がきそうな気配はない。それは、熊手を背景にした沖縄民謡の催し物のようだった。
酉の市に期待していた粋でいなせな下町の雰囲気などどこにもない。熊手と沖縄民謡、カレーと寿司のような、どうにもしっくりこない。

鬼子母神の境内に正面から入ると、入ってすぐ左側に赤い鳥居が並んでいて、武芳稲荷大明神の旗がひらめいている。お稲荷 さまがあるくらいだから、鬼子母神はてっきり神社だと思っていたが、威光山法明寺という立派なお寺の別院とでもいう鬼子母神堂だった。不信心ものの無学で恥ずかしいが、それにしてもお寺にお稲荷さん、間違えてもしょうがないじゃないか、と一言いいたくもなる。

お寺と神社が融合して、そこに今度は沖縄民謡、もうくるところまできたのかと思ってしまう。もっとも、年に二回ほどにしても鬼子母神で唐十郎の赤テントが張られるぐらいだから、そのうち神社でラップなんてのもありかもしれない。
宗教がらみの紛争や宗教を梃子にした政治闘争が絶たないところに、この日本人の宗教観のゆるさ。不信心ものの目には、日本が世界に誇るべきものじゃないか、これこそ「世界文化遺産」に登録する価値があるんじゃないかとさえ思えてくる。
2019/6/2