一服とその先(改版1)

高専にかよっていたとき、夏休みも冬休みもアルバイトに精をだした。我が家には定額のお小遣いがなかった。毎朝もらう昼飯代以外は、本を買うとか友だちとどこかに行くとか、なんらかの理由を言って、そのつど小遣いをもらっていた。そのせいで、小銭入れのなかはあっても昼飯のお釣りぐらいで、ほとんどいつもからっぽだった。なにかあればお小遣いをもらってだったから、アルバイトでもらった金は何に使うわけでもなく、そのまま貯金になった。はじめて自分で銀行にいってつくった貯金通帳を見て、これが「自分の貯金通帳だ」でなんか大人になったような気がした。お金という実感はなかったが、「へー」ってうれしかった。アルバイトはお金ではなく、社会をみてみたいという気持ちからだった。本職としては、遠慮したい仕事でもアルバイトなら、いい経験だしと思っていた。

父親が、市役所の隣に診療所を構えていたことから、患者さんには市役所で働いている人たちも多かった。そんなことから一年生の夏休みには市の清掃局のアルバイトをした。ちょっと失礼な言い方になってしまうが、我が家ではそんな仕事?というより、いい社会経験だからしたほうがいいという考えだった。
ゴミ収集車に乗って、大きなポリバケツを片手に田無の商店街や住宅街を回った。今のように圧縮機のついた専用のゴミ収集車などない時代で、一トントラックの荷台両側と後ろにスノコを立てて、ゴミを乗せていた。六十年代の中ごろ、高専の月謝は都立高校の月謝と同じで九百円だった。市の清掃局のアルバイトは一日九百円で、あるアルバイトとしては、きついし、汚いし、危ない、割のあわないものだった。それでも、ゴミ収集車の乗っての仕事には、なんとも説明のつかない高揚としたものがあった。楽しわけでもないのに、なんでなのか自分でも説明がつかなかった。

オヤジさんと回っていて、どこでもここでもゴミの収集に一所懸命になってしまう自分がいた。しばし、市境で道の右側や左側は保谷市なのに、知らずにゴミを収集してしまって、オヤジさんにしかられたこともある。
収集がひと段落つくと、焼却場にいって、集めてきたゴミをトラックから焼却設備に放り投げるのだが、これでひと段落という気持ちもあって、オヤジさんたちが椅子やベンチに腰掛けて、世間話をしながら一服のひと時になる。いくらもしないうちに、ごみ収集トラックの駐車場に戻って、その日が終わる。そこでもオヤジさんが数人集まって一服の時間になるのだが、一服の「時間」がわからなかった。

三年生のときに徒歩で二十分くらいのところにあった乳業会社でアルバイトを始めた。夏休だけでなく、高々二週間ほどしかない冬休みも春休みも働いた。そこでは牛乳だけでなく、練乳や粉ミルクにカッテージチーズやアイスクリーム、ヨーグルトにプリンなど、いろいろなものを製造していた。アルバイトも回を重ねると、まるで本職のように、突発的にヘルプが必要な部署に駆けつけるようなことも増えた。そのせいもあって、あっちでもこっちでも顔を覚えられて、昼飯の食堂で顔を合わせては挨拶をしていた。名前もなにも知らない。それは向こうも同じだと思う。ただ何回か仕事を手伝ったという、そして一緒に一服のときをすごしただけという人間関係だった。

どこに行っても、ちょっとした休憩というのか、それが業務規定にある休憩ではなく、一息というものがある。タバコをたしなむ人たちから、「一服しようや」という声がかかって、一休み。それは、タバコを吸う習慣があって、はじめて一服という一休みの意味というのか時間を実感できるもので、タバコを吸わないものには、どのくらいの一休みなのかわからない。

高専を卒業して入った工作機械メーカでも似たような経験をした。工場では、作業が一段落つくたびに一服しようやという話になった。技術研究所の設計に配属されたが、そこでもタバコをたしなむ人が多くて、しばし二、三人で一服という雑談になっていた。
一緒についていっても、タバコを吸うようになるまでは、一服の意味がわからなかった。仕事も酒も、それ以外の多くのことにもいえると思うが、当事者になってみなければ、実感のわかないことがある。最初に入った会社でタバコ吸い始めたのは、仕事での行き詰まりもあるが、文字どおり「一服」を覚えるためだった。

タバコなんて百害あって一利なし。そのとおりだと思う。吸わないほうがいいに決まってる。それでもタバコの一服が思わぬ機会をくれることも多い。
事務所が禁煙になって、一服が自分の机ではなく喫煙室になったとたん、喫煙室が組織横断の情報交換の場になった。上下関係は残っていても部の壁も課の壁もなくなって、会議の場では話せない実のある意見交換や情報交換が毎日のように繰り返される。タバコを吸わないことが、一服に一緒にいられないことが、貴重な意見を聞く機会を、そして情報をつかむ機会を逃すことになってしまう。
お互い上司に具申する前に、担当ベースで腹を割って話をつけておかなければと思っても、ちょっと一杯にという関係でもないことも多い。お互いタバコ吸いなら、喫煙室で日々の世間話の延長で話をつけられる。タバコの一服で同士もどきが出来上がる。

バンコクでそれぞれ立場の違う六社がプロジェクトの商談をしていたとき、利害の交錯から何度も会議が空中分解した。一社の担当者がタバコでも吸わなきゃやってられないと部屋を出て行く。それを追いかけて別の一社の担当者がでていく。そこは廊下での喫煙が許されていた。あっちの灰皿でA社とB社の担当者が、こっちの灰皿でC社とD社の担当者が、そこをいったりきたりの担当者もいて、廊下の個別会議で一応の合意点を見つけて会議室に戻って、一時間もしないうちにまた暗礁に乗り上げて、廊下での個別会議になる。朝から晩まで三日間も繰り返して、やっとここまで合意したという覚書のようなものを残して会議が終わる。一ヶ月もしないうちにまた会議の招集がかかって、まるでハツカネズミのように似たようなことをやっていた。そんなことをしていれば、タバコ吸い同士の気のおけない仲間意識すら生まれてくる。
新幹線でお互い上司を席においたまま、客の担当者と禁煙室でパートナーシップの基本契約を決めたことすらあった。
一利はないけど、タバコ吸いにしかわからない、しっかりした利は間違いなくある。
2019/3/10