仕事が違えば景色も思考も違う(改版1)

高専にいってたとき、上手に手をぬいて遊んでいる同級生がうらやましかった。なんども真似ようとしたが、できなかった。笑いものにされながらの五年だった。こんなこと勉強したところで、いつどこで何に役立つのかと思いながらも要領がわるい。母親からひきついだ気質だと思う。なんにしても適当に流せない。

死ぬほど勉強したとはいわない。それなりにでしかないが自信をもっていえる。勉強はした。ところが就職して、研究所の旋盤の設計チームに配属されたら、わからないことばかりだった。毎日仕事で行き詰って、付け刃にしても、即使える知識を求めて勉強に明け暮れた。高専で何を勉強してきたのだろうとがっかり半分、腹が立った。
いったところでイヤな思いをするだけだろうと思いながら、活動家仲間に引きずられるように労組の夏のキャンプにいった。そこで『神田川』を聞いたとき、勉強に追いまくれたオレの青春、どうして取り戻してやろうかと思った。思ってはみても、どうにもならない。映画やテレビで見聞きする青春がうらやましかった。

高専は生産現場の下級管理職の養成校で、即の実務を目指した教育のはずなのに、学んだことは、たいして役にたたなかった。なぜ役に立たなかったのかと考えれば、役に立つように勉強してこなかったからとしか思えない。役に立つ勉強をする知識や知恵がなかった。教える側の責任があるにしても学ぶ側に学ぶ準備ができていなかった。

高校三年と大学四年を五年間に圧縮した教育。聞こえはいいが、実態は知識の詰め込み教育だった。中学校を卒業したばかりで、実社会の知識などあるわけがない。目的もはっきりしないまま、体が覚えてしまう九九や小学校のドリルの延長線のような勉強で、起きるべきして起きることが起きた。与えられつづけて、消化しきれないまま先を急ぐから、形ながらの吸収にしかならない。与えられたもので何をするのか、何ができるのかを想像する余裕がない。そんな勉強、試験のための、落第しないがためのものにしかならない。何をどうしたところで、自分で考えての勉強にはならない。勉強に忙しくて考えるというもっとも大事な能力が萎縮していった。

何をという、たとえあいまいにしても目標もないところに、創意工夫の意識など生まれるわけがない。自身の欲求や社会人として、職業人として生きていくために必要にならない限り、あるいは必要と思いいたらなければ、使える形での知識の吸収にはならない。中には純粋に個人の興味から学んでいく人もいるだろうが、社会人になったとたん、個人の興味は二の次にして、仕事を満足にし得るだけの知識の吸収を急がなければならなくなる。

置かれた社会的立場、職業人として生きていくために勉強し続ける。社会的立場が違えば、必要とする知識も違えば勉強の仕方も違ってくる。当たり前の話でなにも驚くことではない。それぞれの人の立っているところから見える社会的な景色(理解)も違えば、そこで必要とされる知識も違う。社会という風景が一つだったとしても、その風景から引き出す景色は人それぞれ、人の数だけ景色がある。

医師や弁護士や公認会計士ともなると、その立場に立ちうるために必要とされる教育も資格も違う。違いはすれども、それぞれの職業が、社会のどの部分の風景を、どのような視点から見るかという社会人としてのありようから、個人の思考や嗜好に至るまで、なんらかのかたちで人々の志向を規定する。
そこまでの専門職でない普通の人たちにしても、就職した企業や所属した組織で求められる知識や資格から無垢の視点ではありえない。すべての人が職業を通して社会をみることを強制され、自らの地歩を固める学習というプロセスに支配される。
知っていることも知らなければならないことも、知る必要のない、なかには知らないほうがいいことまでが職業と社会的な地位によってその大枠が決められてしまう。

もし金融機関で仕事をしてきていたら、野菜や鮮魚を扱っていたら、アパレルや不動産に関係していたら、今の自分とは大きく違う自分がいるはずだと思う。長年にわたってたずさわってきた職業が、今の自分とは違う自分を生み出していたと思う。今の自分が自分であることに何の疑問の持ちようもないが、それでも今の自分とは、たぶん驚くほど違う自分がいた可能性が、過去形でしかないにしてもあったろう。と考えてくると、自分とはいったいなんなんだという疑問がでてくる。仕事が自分の大枠を決めてしまって、その枠のなかでああだのこうだのやってきたのが自分でしかないとなると、自分が自分であるというより、仕事が自分をつくってきたということにならないか? そりゃない、よしてくれ、仕事なんてのは転職すれば変わるものにすぎないじゃないか。自分は自分ででしかありえないじゃないかと押し返したいが、どうにも押し返す力がでてこない。そのまま認めたくないが、職業が人のありようを規定する。少なくとも大枠ではそうとしか思えない。

こう考えてくると、就職難民といわれる世代の人たちは、仕事を通して自らの職業人として、社会人としてのありようを学ぶ機会に恵まれなかったといことにならないか。高等教育を受けることなく社会で出た人たちのありようはどうなんだろうと考えてしまう。
そういう人たちの対極にいる医師や弁護士、あるいは大学の先生たちのように、特定の社会集団に身をおいて、似たような風景を見続けて、そこからしか自分の景色を描き出せない人たちはどうなんだろう。

転職を重ねていくつも違う風景に身を投じて、そのたびに自分なりの景色を描き出して、そこから勉強してきた人のほうが社会全体を、深さという限界はあるにせよ、多少なりとも立体的というのか多面的に理解しえているのかもしれないと思いだす。
そうはいっても、そんなもの、どう見たところで上っ面の骨組みだけの立体像にすぎないとしか思えない。仕事に振り回されてきてやっと自由になれたと思ったら、今までいったい何をしてきたのか、還暦も疾うに過ぎて、オレの青春はと思いだす。
2019/8/9