KYって何?(改版1)

こんなことを言うと、歳のせいだと笑われそうで、ちょっとしたためらいがある。情けないことに、笑いたければ笑えって、尻をまくる勇気がない。もし言われたら、どう言い返してやろうかなんてことまで考えてしまう。いちいち言い返すのも馬鹿馬鹿しいし、ましてや、書き残すなど、どうしたものかとさえ思う。でも、そりゃないだろうってのをまた見てしまって、一言いっておかなきゃ気がすまない。面倒なオヤジのゴタクでしかないが、もうちょっと日本語を大事にしなきゃいけない。

もう十年ほど前になるが、独居になった母親の様子をみに新浦安から、そして横浜港北ニュータウンに引っ越してからも毎週土曜日には田無に通っていた。軽い昼飯に連れてだして、その足で駅前の西友(スーパーマーケット)に買い物に行った。店に入って、これ何なんだろうって思った。あちこちの壁にKYと書いたシートが貼ってあった。アメリカに駐在していたこともあって、KYとみれば、Kentucky(ケンタッキー)州しか思い浮かばない。なんで西友にケンタッキー? 最初、ケンタッキーの物産展でもやってるのかと思った。ところが何度いっても壁のKYは変わらない。まさかケンタッキーの何かが常設というわけでもないだろうし、もしかしたらKYがケンタッキーとは違う何かを指しているのかもしれないと思いだした。

ある日、偶然それが「価格安い=Kakaku Yasui」の略語だったことに気がついた。Walmartに買収されてからか、西友が安いをうたい文句にしていることからの標語なのだろうが、日本語も安くなってしまったような淋しさがあった。そもそも「値段が安い」とはいっても「価格安い」とは言わない。言う人や地方もあるかもしれないが、東京の下町で生まれて田無で育ったものにはそんな日本語はない。「値段が安い」じゃ、あまりに普通すぎるし、それをKYのようにアルファベットにしたらNY。NYを見れば、誰もがニューヨークだとしか思わない。KY、うがった見方が癖になったオヤジには、奇をてらって人の注意の引きたいという安っぽい魂胆にしかみえない。

あれこれ行き詰ってネットのラブコメ(恋愛コメディー)小説を読んでいたら、KYがでてきた。前後関係をいくらみても、Kakaku YasuiのKYではないし、ましてやKentucky州でもない。いったいなんなのか気にして読んでいったら、なんどもKYがでてくる。 前後関係から、最近よく耳にする「空気を読む=Kuuki wo Yomu」だと気がつくまでにはずいぶん時間がかかった。それにしてもKY、フライドチキンもびっくり。日本語を勉強しなければならない外国の人は大変だろうなと思っていた。

お使いで池袋のサンシャインシティを抜けて、乙女ロードを歩いていたら、工事中のビルに大きな垂れ幕が下がっていた。そこに大きなKY。いったいなんなのか。今までだったら、安全第一と書いてありそうなところにKY。なんなんだろうと、垂れ幕を見ていったら、KYの下に「危険予知」と書いてあった。「危険予知がKiken YochiでKY」。なんでそんなまどろっこしいことをするのか。ご存知ように漢字は表意文字で、読めなくても一瞬で意味がわかる。それをわざわざ表音文字のアルファベットに略して、見た人がこれなんなんだろうと思うようじゃ手遅れになりはしないか。そんな巷のオヤジの心配、 危険予知をKYにした立派な考え(金儲け?)がある人にしてみれば、余計なお世話なんだろう。

あっちでKY、こっちでKY。それはまるでなぞなぞのようで、知っている人はわかる。知らない人はわかりっこない略語。略語も毎日聞かされると、元の意味は何だっけってことになりかねない。綺麗な嫁さん=Kireina YomesanでKY、キモイやつ=Kimoi YatsuでKY、キラキラ夜空=Kirakira YozoraでKY。しりとりなんかじゃなくて、略語ゲームでもしてみたら、結構使えるものがでてくるかもしれない。

遊びならまだしも、きちんとした日本語があるのに、わざわざ知っている人にしかわからないアルファベットの略語。なにかおかしくないか。それが当たり前でとおってしまうところから、新しい、次の時代の思考の基となる日本語でもでてくるのか。歳のせいなのか、とてもそうとは思えない。自分たちの言葉を大事にしない民族が自分たちの文化を支えていけるのか、誇れる文化を生み出しえるのか。ちょっと考えると怖くなる。ただのオヤジの杞憂であってほしいと思っている。
2019/9/22