故郷は自分のなかに(改版1)

故郷にははっきりとした羨望の念がある。小学校の夏休み明けに聞いた同級生の「田舎にいってきた……」がうらやましかった。「望郷」とか「故郷喪失」などと聞くと、だからどうした、故郷があるだけまだいいじゃないか、生まれながらに故郷のないのもいるってこと想像したことあるんか、と思うことがある。

戸籍謄本によると、生まれたときは大森だった。すぐに武井になって、このままでは就職に影響するんじゃないかと十八で藤澤に変わった。勝手に変えるわけにもいかないし、ないと不自由だからというだけの苗字。どんな苗字になろうが、かまいやしない。藤澤、覚えにくい苗字でもないと思うのだが、しばし藤原さんと間違われる。藤澤と言いなおすのも面倒で、後々なにか困ることでもなければ、そのまま流してしまうことも多い。どのみち下町の場末で生まれた庶子もどき、母と祖母から聞いた話では、親の代どころか、もっと前からごちゃごちゃで、家系図など描きようがない。

黒い大きなランドセルを背負わされて、祖母に引かれて近所の小学校にいった。老眼の進んだ祖母が貼りだされた新入生名簿をなんども見ていた。何を見てるんだろうと思っていたら、祖母がおろおろしだして、忙しそうにしている先生を捕まえて何か話していた。祖母の後ろでぼんやり聞いていた。名簿に名前がなかった。帰れともいえなかったのだろう、一年一組の一番最後(あいうえお順ではなし)に、おまけのように入れてもらった。荒川区立第七峡田小学校、蛇行した隅田川の川っぷちにつくれた小さな小学校で、一年生でも塀に身を乗り出せば、真下にゴミだらけの真っ黒な水が見えた。
祖父母のもとでぼんやり育ったからか、小学校に上がっても言葉がはっきりしなかった。いまでも、「さみしい」と「まぶしい」がちゃんと言えなかったことをはっきり覚えている。
故郷どころか、世の中には父親とか母親というものが存在するということを知ったのはずいぶん経ってからだった。

故郷には、出自の証のような響きがあって、身の置き所があるような安心感がある。田舎の風景や写真をみると、こんなところが故郷というものなんだろうなと思って、なんとなくすがすがしい気持ちになる。でも、そんな気持ちにはちょっとした抵抗感がある。自分にはないものを勝ってに思い描いてというのも嫌だし、オレには関係ないものと距離をあけてきた。それは望んでも獲られないもの、そして獲られたところで、なんともうっとうしい親類縁者のしがらみのようなものに絡め取られるような気がして、そんなものないほうがさっぱりしていていいじゃないかと思ってきた。

このできれば欲しいという気持ちとそんなものという気持ちが妙にからまりあって、時には欲しい、時にはそんなものという気持ちが一方を押しのけるかのようにして前ででてくる。なんかねとねとしたものが出自と思いの間の均衡を保っていて、放り出したくなる気持ちを抑えているような気がする。
なんにしてもなんとでなる、なんとかなったところがなったところで、だからどうしたっていう気持ちが勝っているときには、そんな思い、同じ思いのはずなのにさらさらしていて気にかけることもない。ところが何かの拍子に、これがなんだからよくわからないから面倒なのだが、さらさらが一瞬のうちにねとねとになることがある。ねとねとがうっとうしい。
そんなもの、ぬめりだけにしても洗い流せないものかと、生まれ育った町屋に、小さかったときに祖父に連れていかれた浅草や祖母についていった上野に行ってみたが、行ったところでなにもない。通りは広くきれいになってはいても昔と変わらない。ただ建物があまりに変わってしまって、どこにいるのかわからないことさえある。自分の根っこのようなもの、根っこの残骸とまでいかなくてもいい、痕跡のようなものでもと思っても、気持ちに触れるようなものはない。異物の中の自分というより、どこかからか出てきた異物のような自分しかいない。

仕事かなにかで忙しく走り回っているときにはなんでもないのが、ふと立ち止まると、ねとねとがぶり返してくる。もう還暦もすぎて、ねとねとの粘度も下がりそうなものなのに、逆にしぶとく根っこを張り巡らしてきたような気さえする。家系なんか気にしたこともなかったのに、戸籍謄本でも取り寄せて調べてみようかなんてことまで考えることがある。数年前まではそんなこと思いもしなかったのに、なんともうっとうしい。そんな気持ちが年々強くならないようにと気持ちの除草剤はないものかと思いだした。

なにがあってもなくても、自分がいる。こうしてどうでもいいことを考えて、文字に置き換えている自分がいるということは、誰が何を言おうと事実としてあることだし、その事実がどうして生まれてきたのなんか、オレの知ったことかと笑い飛ばしてきた。いくら歳をとっても、この気持ちだけはと思う。それにしても、自分っていったいなんなんだろうって、そんなもの、説明しようとするものなのかと思いだす。あるがままなりのちょっと先、こうありたいという自分を追い求める自分でいいじゃないか。そうでもしなけりゃ自分で自分を見失いかねない。
故郷は自分の心の中にあるもので、そこらに転がってるものでもなけりゃ、人に聞くことでもない。ましてや探しにいくもんでもない。自分自身なんだから。

p.s.
こんな個人的なゴタゴタを書くなど考えたこともなかった。書いておこうと思ったきっかけは高見順だった。
まったくしょうもないオヤジの言い草なんかと、面白半分の半分、面白四分の一ぐらいの軽い気持ちで永井荷風をなぞっていた。それというのも、話に聞いていた祖母の実家があった町名や通りに橋が出てきて、どことなく懐かしいひびきがあるからで、何?と思うのがでてくるたびに、Googleで調べながら読んでいた。
高見順がでてきたときには正直まいった。知らなかった。いってみれば遊び人が転がって文士の永井荷風に這いずりあがってきた従弟の高見順。代表作といわれるものをいくつか読んで疲れた。そんなもの、売りものにするもんじゃないだろうと思いながら、つい自分はと考えてしまった。
2019/10/6