組織あっての自分はないでしょう(改版1)

いくら話したところで、これといった答えなんかあるはずもないのに、どこかに答えのきっけぐらいという気がして、終わるに終われない。酒があるからいいようなものの、コーヒーとか紅茶だったらどうなるんだろうと思っていたら、風戸さんがするっと話をかえた。
「片岡とは、うまくいってるんか」
まったく呆れるほどよく見てる。そこからピンポイントで気にしていることを突いてくる。そんなこと訊かなくたって、想像ついてんでしょうにと思いながら、なんと答えたものかと間があいた。この間からまたわかっちゃう。だてに労組と青年婦人部をつないできたわけじゃない。ちょっとした相手の反応から状況や思いを察することには長けている。

我孫子から習志野は遠すぎる。子会社に飛ばされるまで、しょっちゅう班会議をすっぽかしていた。何か特別なことでもあるのならまだしも、いついっても似たようなことで言い合っているようにしかみえなかった。取るに足りないというと文句がでそうだが、ちょっと引いてみてみれば、あまりに些末、何が違うということでもない。それを来る日も来る日も言い合って、お互い納得するどころか話があっちへこっちへ飛んで、しまいには何を話していたのかすらわからなくなる。そんなものどう転がったところで、傍からみればどうでもいいことでしかない。

海外からのクレームの多くは生産ラインの機械の故障についてで、即の対応を求められる。工場から一日でも早く回答をひきだして海外支社や顧客に報告しなければならない。工場の担当部署に正式に書面で問い合わせても、そうそう返事が返ってくることはない。待ってるわけにもいかないから、毎週のように習志野工場にも行って担当者をせかせざるをえない。みんな定型業務で忙しいから、どこにいっても邪険にされる。一日中あっちでこっちで頭を下げ続けて、しばしお茶をいれたりコーラを買ってきたりして、おい、回答するのはお前の仕事だろうが、馬鹿野郎の一言も言いたくなる。

そんな一日が終わっても、仕事だけでは帰れない。班会議なんか出たくもないが、そこまできて知らん顔はできない。でればいつもとなにが違うのかという話に付き合わなければならない。できるだけからまないようにと思っても、黙って聞いていられる性質じゃない。なんどもうんざりして、勝手に言い合ってろって思ってたのに、ある晩、我慢しきれずに言ってしまった。
「仲間内でああだのこうだの言ってないで、新宿の紀伊国屋の前でもいいし、ハチ公前でいい。今話してることを話して、聞いてくれる人がいると思うか。首を賭けてもいい。百人に一人もいやしない。九十九人が片岡が口癖のように言ってるオレたちがいう大衆じゃないのか。こんな話をしてて、いったいどうやって、その大衆と向き合おうってのか。向き合えるのか、お前ら」

こいつらといくら話しをしても何も変わらない。変わらないだけならまだしも、上部組織から「学習」という名目で落ちてくる資料の読み合わせのようなことまでしなきゃならない。上からの話は、まるで神のお告げかのように絶対というのか、批判的な視点から見ることを許されない。そんなことを思ったにしても口には出せない。いい加減馬鹿馬鹿しいと思うのは自分だけじゃないと思うのだが、そんなそぶりをするのはいない。
要求されていることをそのまま受け入れれば、自分の目でみて、自分で考えるということを自らすすんで放棄することになる。仕事もクレーム処理で面白くないし、仲間と会っても基本的なところの違和感ばかりが募る。なぜ自分の意思で見る自由、考える自由を許容しない組織にしばられなければならないのか。そんなことを思いだせば、組織との、みんなとの距離があいてくる。毎週のように会わなければ、なんとかなっていた人間関係を保つのが難しくなっていった。

「風戸さんさぁ、最近思うんですけど、人間関係って突き詰めれば距離感じゃないかと思うんですよ。習志野が近くなりすぎちゃったんでしょうかね。たまにあうから片岡ともあいつらとも話しができる。でもこう毎週になっちゃうとどうもね。会うたんびに似たようなことの繰り返しだし、もういいやって。風戸さんだって、ほらいくら餃子が好きったって、毎日餃子ばっかり食ってりゃいい加減に飽きもこうってもんでしょう。人間関係も餃子も似たようなもんじゃいかなって」
ボケ狙いで餃子をつけてはみたが、慣れないことはするもんじゃない。自分でも何馬鹿なことを言ってんだかと思った。なにが餃子だ。そんなことわかりきったことじゃないかと、半分呆れ顔で言われた。
「距離感?何を馬鹿なこと言ってんだ。そんな話じゃないだろう。そもそも、お前、上から落ちてくる話を、真面目くさって、はいそうですかってタマじゃねぇじゃねぇか。片岡たちとどうのってより、お前があの組織でやってるってのが不思議でしょうがねぇ」
風戸さんにいわれるまでもなく、あんなところでいつまでもやってられるとは思っちゃいない。そもそもが組織のなかで教育、学習って呼ぶのもいそうだが、で生まれてきた社会観じゃない。自分でなんかへんだと思いながら本を読んで考えていたら、あいつらと似たような考えになっていたということでしかない。組織が敷いた経路を歩いてきたわけじゃない。独りで歩いていて、気がついたら、あいつらの経路に行き当たっていたようなもので、いつまでも一緒にいられるとは思わない。そろそろ潮時、先に進むためにもちょっと整理しなければならないと思っていた。それは風戸さんも同じで、この先どう振ろうとしているのかが気になる。風戸さんだけが、話しができる相手だった。正面からはぶつかりたくない。ちょっと茶化した口調で言った。
「よくやってるってことじゃ、風戸さんも似たようなもんじゃないですか。右だか左だかわからない、たとえて言うなら『がんばろう』と『同期の桜』のごった煮でしょう。ごった煮ならまだ食えるからいいけど、食うに食えないヤツらしかいないじゃないですか。そんなところで何をどうしようたって、どうにもならないでしょう。できることっていったら、労組におんぶに抱っこの党の使いっぱしりぐらいじゃないですか」

前にも似たような話をしていた。二人ともまたかよって思ってるのに止められない。風戸さんが、こんな話飲まなきゃやってられないとでも思ってるのか、バッとビールを飲んで、
「お前に言われなくたってわかってる」
「わかってんなら、どうするんですか、これから」
「いいか、藤澤。前にも言ったろう。金子も波男も……もわかっちゃいない。その程度のヤツらだ。だから付き合える。お前のところみたいに神棚からの声みたいなんての、やってられないだろうが。どっちがって話しじゃないけど、ゆるいから、まだやりたいようにやれる。お前のところじゃ、咳きひとつするにも上をみながらってじゃないか」
風戸さんに言われなくてもわかってる。偶然交差した経路、しがらみというより自分で歩いてきたという思いもあって、そう簡単に切れるもんじゃない。時間をかけて適当に距離をあけるつもりでいた。このままでは、状況に引きずられて自分で考える習慣まであやしくなってしまう。

風戸さん、何を思っているのか、何も言わないでビールを飲んでは一服している。だんまりはずるいじゃないかと続けた。
「金子さんも波男もわかっちゃいないんでしょうね。オレは何をしたわけでもないのにちゃんと勲章までもらっちゃった。あいつら社内でジグザグデモしても、なんのお咎めもない。そりゃ一時金の査定はよくなかったと思いますよ。でも、そんなもん高々プラスマイナス二パーセントの違いじゃないですか。あれだけ騒いでその程度。だれも勲章もらっちゃいない。それだけみても、なんだかんだいったところで、体制内のちゃちな不満分子でしかないってことの証じゃないですか」
それは風戸さんにも言えることで、欠勤常習の問題児なのに左遷もされずに設計に残っている。勲章もらえないのに負の意識がある。その負の意識があるから、まだ話しができる。
「わかってる。あいつらと一緒にするな」
「俺たちよりよっぽど過激なことを言ってもやってもお咎めなしで叙勲もない。普通の頭が付いてりゃ、それだけでわかりそうなもんですけどね」
これは言っちゃいけないと思っていたが、組織のしがらみを吹っ切ろうとしてきたこともあって、つい口が滑った。
風戸さんが、ムッとして言い返してきた。
「普通の頭が付いてるのがどこにいる。お前の方にいるってか。上意下達の組織のなかにいて、なにいってる」
押し返えされて、ちょっと引いた。風戸さんとは喧嘩別れしたくない。
「うん、そう、でもオレ、その組織の中にいるってわけじゃないですから」
「一々言うな。わかってる。お前、そんなところで、よくもってるな。ズレすぎると潰れるぞ」
「そう。でも大丈夫ですよ、自覚があるから。そろそろ片足だけは抜けますよ。そうしないと本当に潰れかねないから。で風戸さん、どうすんですか。気をつけないと、ごった煮のなかで煮崩れしちゃいますよ」
「余計なお世話だ。オレはそんなに柔じゃない。それよりお前、抜けたとして、その先どうすんだ」
「そんなことどうにでもなるじゃないですか。どう転がったって、オレは組織人にゃなれない。 なんにしても自由ってやつで、今までどおり独りで好きなようにやってくだけですよ」
「会社にも組織にもなんの未練もしがらみもない。いつまでもかかわってる気はないし。世間も社会も広いから、なんとでなりますよ。なんとでもして、なったところがなったままでいいじゃないですか。みんな一度は、うっとうしいしがらみから抜けて、自分と社会を自由な立場から見直してみたらと思いますけどね」

ちょっと面倒くさくなって、二人ともビールを飲んでは一服していた。落ち着いたところで続けた。片岡たちとのいやな感じもあって、風戸さんとははっきりしておきたいと思っていた。
「抜けたらどうするって? それ、組織があるから自分があるってことじゃないじゃないですか。組織なんてのどうでもいい。なんにしたって自分でしょう。なんで群れる? 群れてないと落ち着かないって、そりゃ自分がないからじゃないですか。一個の自由人がときに集まって、必要なら組織を作って、いらなくなったら解体すればいい。ところが組織ってのは一度できあがると、そこにしがみついて生きていこうって姑息なヤツらのたまり場になる。それが社会ってもんで、それがなけりゃっていう人たちもいるんでしょうけど、オレはやだな。風戸さんも、その点ではオレと似たようなもんでしょう」

おい、風戸さん、なんとか言えよと思いながら、もう言いたいこと言っちゃえと思った。
「オレは自分が転がる寸前にいることわかってますから、なんとかつないでいける。オレのことより、風戸さんのほうが、組織のなかにいるぶん、大丈夫かなって気になっちゃいますよ。距離をあけて気をつけないと、食えないごった煮のなかで煮崩しかねないし、下手すると汁気がすっかりとんで、昨日飲みすぎて戻した跡みたいになっちゃいますよ」
そんな風戸さん、見たかないけど、周りをみれば、あっちにもこっちにもカサカサになった反吐の跡のようなのがいる。
2019/9/29